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修行④

前回のお話→晴菜に続き、篠崎佳乃も行方不明になってしまった。康太は澪に呼びかけるも、その声は以前のように康太に届かない。康太は全員の無事を祈るしかなかった。

 康太が全員の無事を祈っている頃、人間界で起こっていることなど何も知らない渚は、凜の家から自分たちと一緒にアヤカシの世界に飛んできた本棚の前で頭を抱えていた。


「後でちゃんと返すから、これは泥棒じゃない」


 何度も自分にそう言い聞かせるが、やはり罪悪感が拭えない。こんなこと頼んでないのにという気持ちと、こうでもしなきゃどうなるかわからなかったという気持ちが、渚の中で交互に言い合っている。


「顔を青くしたり白くしたり、忙しい奴だなあんた。しっかり食べねぇからだぞ」


 スオウがいつもの調子で渚に声をかける。渚がまだ昼食を食べていないということで、一旦昼食を挟んでから、本棚のある部屋に集まろうということになった。しかし昨日に引き続き食欲の湧かなかった渚は、玉子スープだけ飲んでお膳を下げた。

 台所ではろくろ首の姉さんたちではなく、若いひとつ目の兄さん2人がお皿を洗っていた。渚が汁椀以外に手をつけていないとわかるや否や、取り合うようにして2人は食事を平らげる。肉汁溢れる餃子を、どっちが1個多く食べるかで軽く言い合いにすらなった。

 確かに美味しそうな中華セットではあったが、どうしても今の渚の胃にはニンニクが重く感じられたのだ。ただ、玉子スープはふわふわで、本当に美味しかった。毎食残してしまって、申し訳ない気持ちはあるものの、無い食欲はどうしようもない。

 それで午後からの勉強のことだけを考えて罪悪感を紛らわせようと渚は思っていたのに、本棚を目の前にして新たな罪悪感に晒されてしまったというわけだった。ほとんど食べていないことを、なぜスオウは知っているのか、渚は聞く気にすらならなかった。


「仕方ないでしょ。あんたが本棚ごと持って来ちゃうなんて思ってなかったんだから」

「この方が手っ取り早いじゃねぇか。ちゃんと返すし、宮路家のお人らもあんたに手出しはできねぇよ。なんてったって大事な後継者だからな」

「その言い方、やめて。私は私。巫女になるつもりも、あの人たちの言う修行をする気も無い。私はただ知りたいの。お母さんを助ける方法があるかもしれないでしょ? たぶんこの本の中に、ヒントがあるはず……」

「さぁ。どうだろうねぇ。俺ぁそうは思わねぇけど」

「え。どういう意味?」

「澪さんはこの本を全部頭に入れてる。その澪さんがこの状況だ。どういうことか、『頭のいい』あんたならわかるだろ?」


 大量の本を改めて目の前にして、渚は自分がどんどん小さくなるような錯覚に陥った。スオウの言うことは尤もだったからだ。

 自分はアヤカシのことも巫女のことも何も知らないし、長老の手前、スオウに教えを請うたわけだが、それは失敗だったかもしれないと渚は思った。渚は、体よくスオウの『いたずら』の出しにされたのだ。さっきスオウが、「わかった」と言った時の意味ありげな笑顔を思い出して、渚は怒りを覚えた。


「サイテー」


 やはり、他人を頼るのは間違いなのだと渚は唇を噛んだ。自分のことは自分でなんとかしなければいけなかった。他人を頼れば利用されるか、自分の思い通りの進み方にならずイライラさせられるかのどちらかだ。

 渚はつい、スオウの飄々とした雰囲気に呑まれていつもと違うことをした。スオウは普段からこうやって相手のペースを乱して、自分のペースに他人を巻き込むやり方なのだろう。冷静になって思い返せば簡単にわかることなのに、怒濤の展開についていくことに精一杯すぎて為すがままになっていた自分にも、渚は苛立った。これでどうやって母を助ければいいのか。渚はグッと拳を握る。


「そんな怖い顔すんな。方法が無いわけじゃねぇ。それに、そこの本を読むのは無駄でもねぇ。きっとこれからやる『勉強』の役に立つ」

「もうあんたの口車には乗らないから。やっぱり他人を頼ると碌なことが無い」

「ガキのうちからそんなこと言ってると苦労するぞ。澪さんを助けに行きたいんだろ?」

「……そりゃそうだけど」

「じゃあ大人しく年上の言うことは聞くもんだ。えーっと……ったく。俺ぁものを教えるのが苦手なんだがなぁ。あの狸じじいめ。今に見てろよ」


 スオウがブツブツと文句を言いながら、何やら準備を始めた。本棚の前にあるテーブルに、3本脚の巨大な盃のような物を置き、その中に水を注ぐ。水を縁のギリギリまで注ぎ終わると、水の中に人差し指の先をそっと差し込む。途端に波打っていた水面がピタリと止み、部屋の空気が一瞬で冷たくなる。


「さて、宮路家のこととアヤカシ族のことは前に少し話したからわかるよな」

「う……うん。なんとなく?」


 突然何が始まるのかと身構えた渚は、巨大な盃から身が離せなくなった。


「なんとなくでもいい。ようは知ってるか知らないかが肝心なんだ。知らないとそこからは何も生まれない。でも端くれでも知っていれば、そこには世界が生まれる。さ、俺と同じように、中にそっと人差し指を入れな」

「こ、これに? なんで?」

「入れりゃあわかる。これも澪さんを助けるのに必要なことだ」


 母のことを引き合いに出されると、渚も無下にはできない。渋々と、盃を挟んでスオウの前に立ち、溢れそうな水の中に人差し指を入れた。水はやはりとても冷たく、渚の体に一気に鳥肌が立った。


「よし……求めるもの、求められるもの。見定めるもの、見守るもの。探すもの、探されるもの。知るもの、教えを請うもの。我の呼びかけに応え給え」


 スオウが低く透き通った声で呪文のような言葉を発すると、盃の中の水が勢いよく弾き上がった。渚は思わず目を閉じる。

 渚は冷たい水が降ってくるのを覚悟したのに、暫く待っても何も降ってはこなかった。恐る恐る目を開けてみると、渚たちはさっきまでいた部屋ではなく、まるで深い水の中のような、光がゆったりとゆらぐ空間の中に浮いていた。地面に足がついている感覚が無い。

 渚とスオウの間に、ピンクのような赤のような色をした、ふわっとしたものが浮かんでいる。大きさは渚の体の半分ほど。炎のようにその先端が揺らめいているのに、そばにても渚は熱さを感じなかった。


「我を読んだのはお主か? それともお主か?」

毎日20時頃に最新話を更新できるようにがんばります!

活動報告には質問箱を設置しておりますので、コメント欄にご質問やご感想やリクエストなど、お気軽にご活用ください。

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