修行③
前回のお話→明日、もう一度渚の様子を見に家に行くと言って聞かない晴菜についていくことにした崎本。晴菜を家に送っていった後、晴菜の家の前に不穏な気配を感じた崎本は、走って家に帰った。
次の日、約束の時間になっても晴菜は踏切に来なかった。崎本は30分待った。しかし晴菜はやって来ない。
「まさか、先に1人で行ったのか?」
昨日の晴菜の様子に、崎本は理解しがたい狂気じみたものを感じた。ただの幼馴染みや親友にしては、心配の範疇を超えていたし、何より晴菜の目が恐ろしいと崎本は思った。女子同士ならそれが普通なのかと納得しようとしたものの、思い出すほどに不気味さが増していく。
夏の日差しが容赦なく崎本の肌を焼く。崎本は、その暑さに限界を感じていた。考えれば考えるほど、全身から汗が噴き出してくる。意を決して、1人で渚の家に向かうことにした。一応晴菜に、『何かあったのか? とりあえず宮路の家に向かうから。見たら連絡してくれ』とメッセージを入れて、見舞いの品が入った袋を持ち直して歩き出した。袋の中には果物のジュースを数本入れてあった。あわよくばみんなで飲もうという展開に持って行けるかと思ったからだ。
渚の家が見えてくる。しかし家の前にも周辺にも、晴菜らしき人影は無い。崎本はインターホンの前で、大きく息を吐いて、早くなる鼓動をなんとか黙らせようと試みて、諦めた。うるさい鼓動はそのままに、どうとでもなれと、勢いでボタンを押す。『ピンポーン』と、崎本の気も知らないお気楽な音が響いた。崎本は唾を飲み込んで、つい息を止める。
「はい。あ、君は」
「こ、こんにちは。連日すみません。あの……えっと……秋野さんは来てませんか?」
袋を持つ崎本の手は、小刻みに震えていた。
「晴菜ちゃん? いや、来てないよ?」
「そうですか……すみません。……帰ります」
「あ、ちょっと待って」
玄関の向こうから、人が慌てて動く音が響く。靴を乱暴に履く音と、玄関を開ける音がほぼ同時だった。康太は転げるようにして玄関を開けたらしい。
「今日、晴菜ちゃんとうちに来るって話になってたの?」
「す、すみません。止めたんですけど、なんか変だからお見舞いに行くって……それで、俺、心配で、一緒に行くって約束したんですけど、待ち合わせの場所にいなくて。勝手に行っちゃったと思って」
「そうか。わざわざすまなかったね」
「いえ! こっちこそ連日すみません。あの、一応これ、お見舞いに……」
「あぁ。有難う。すまないね。暑かったろう。ちょっと待ってなさい」
康太が玄関を開けたまま家の中に消える。崎本がそれとなく家の中に目をやると、不気味なほど暗くヒンヤリとして見えた。崎本は何か見てはいけないものを見たような気持ちになって、すぐに目を逸らす。それと同時に康太が再び現れて、崎本の前に戻って来た。手には麦茶のペットボトルが握られている。
「すまない。家に上がってもらって涼んで行きなさいと言いたいところなんだが……」
康太が崎本に渡した麦茶は、3本とも袋ごしからでもわかるほどしっかりと冷えていた。崎本は返そうとしたが、康太も譲らない。数度押し返し合いをして、崎本は冷えた麦茶を受け取った。康太は、どこかホッとしたような顔をする。これ以上何も聞くなと言っているような、やつれた笑顔だった。崎本は帰るしかなかった。
崎本を帰してすぐ、今度は康太の携帯がけたたましく鳴り響いた。康太は止まらない冷や汗をさらに噴き出して、電話をかけて来た相手の名前を確認する。晴菜の父、秋野勇次からの着信だった。康太はなんとか呼吸を整えて通話ボタンを押す。
「はい、宮路です」
普通に出られたとホッとしたのも束の間、携帯の向こうの勇次の声はかなり切羽詰まっていた。
「康太さん、勇次です。お休みのところすみません」
「勇次さん、大丈夫ですよ。どうしたんですか慌てて」
「それが、晴菜がどこにもいなくて!」
「晴菜ちゃんが?」
「携帯も靴も、財布もカバンも家にあるのに、朝から家のどこにもいなくて! 妻とあちこち見に行ったんですが見つからなくて。それでさっき携帯を見たら、『宮路の家に行く』と男の子からメッセージが入って。もしかしたらそちらにいるのかと……!」
捲し立てるように喋る勇次の声。普段の勇次は穏やかで、愛娘を本当に大事に思っていることを知っている康太は、返す言葉選びに一瞬悩み、「確かに今しがた男の子が渚のお見舞いに来てくれましたが、晴菜ちゃんはうちに来てないんです」と言う他なかった。
電話越しの勇次が、明らかに落胆する。きっと勇次の近くにいるであろう、晴菜の母親の絶望すら康太まで伝わってくるようだった。こういう時、気の利いた言葉をかけてやれればと思う康太だったが、自分では余計な一言になりかねないと思い直して、ただ、「力になれなくてすみません」とだけ言った。
「いえ。むしろお騒がせしてすみません。とりあえず警察に行ってきます。渚ちゃん、お具合悪いんですか?」
康太の心臓がドキッと跳ねる。
「え、ええ。どうも風邪を拗らせてしまったようで」
声が上擦ってしまった。しかし勇次は康太の動揺には気づかず、「そちらも大変な時にすみませんでした。お大事になさってください」と言って、力無く電話を切った。康太は今までで一番大きなため息をつく。
「晴菜ちゃんまで、いなくなってしまった」
康太は、自分の中でどんどん膨らむ嫌な予感が確信に変わらないでくれと、強く強く念じた。しかし週明けの月曜日、会社に出勤した康太は、現実はそう優しくないことを思い知る。
月曜日、いつもなら康太と同じくらいに出社する篠崎が会社に来ない。上司も連絡が繋がらないと言う。上司に頼まれた康太が篠崎に電話を入れても繋がらない。メッセージを送ると、1時間後に『午後から出る』と実に簡素なメッセージだけが返ってきた。
実際午後に出社してきた篠崎は、金曜日までとはまるで別人のようなやつれきった顔をしていた。誰よりも元気な声で挨拶をして、朝から愛嬌を振りまくいつもの篠崎とは真逆な様子だ。誰もが心配して声を掛ける。康太も堪らずそばに行って事情を聞いた。
「篠崎どうした!? 具合でも悪いのか?」
「あぁ宮路か。それが……娘が……佳乃が……いなくなっちまって……」
「なんだって!?」
自分でも思った以上に大きな声を出してしまった康太は、全員の注目を浴びることになった。康太の心臓が飛び出そうになるほど強く、警告の音を鳴らしている。
「部屋に閉じこもるのはよくあることだから、土日に顔を合わせないのはいつものことで……でも、今朝、どこにもいなくて……携帯も、靴も、カバンもそのままなのに……」
康太の血の気が一気に引いて、周りの音が遠ざかっていく。康太の頭の中に、土曜日に聞いた勇次の声がどんどん大きくなって反響する。篠崎がどさりと置いたカバンの音に、康太はなんとか感覚を取り戻した。
「け、警察には」
「午前中、調書取って捜索願を出してきた」
「そうか……」
「嫁は暴れるし、堪らず出てきたけど……なんだってこんなことに……」
頭を抱えるその姿は、あまりにも痛々しかった。さすがの上司も何も言えず、むしろ目に涙を浮かべて悲痛な面持ちで篠崎の背中に手を置いた。自分の子どもと重ねたのかもしれない。そういう上司なのだ。
上司は篠崎に帰るように促したが、「帰っても嫁に殴られるだけなんで」と力無く言った篠崎を哀れに思ったのか、空いている会議室で休むように言って連れて行った。上司も篠崎も、それから結局定時まで姿を見なかった。会議室の前を通ると、篠崎が鼻をすする音と、上司がなんとか励まそうと声を掛けているらしい音が漏れ聞こえてくる。康太はなんと声を掛けていいのかわからず、そのまま会議室を通り過ぎ、会社を後にした。
康太は家に向かいながら、かつて澪から宮路家のことやアヤカシたちのことを聞かされた時のことを思い出していた。そして、澪がアヤカシ界に行くと言った時、遙か昔に何があったのかも聞いた。康太は澪の話の中に、『2人の人間が生け贄になり―』という一節があったことを思い出し、家に着くなりリビングの写真に駆け寄って、勢いよく手に取った。
「澪! 今そっちで何が起こってるんだ! 渚だけじゃない。2人の子どもがいなくなった! 君が前にしてくれた話と関係があるのか?」
いつもなら康太の頭の中に澪の言葉が聞こえるはずなのに、今はまるで砂嵐の中、遠くから叫んでいる声のようにしか澪の言葉は康太へ届かない。ただの一言も聞き取れなかった康太はがっくりと体を折り、写真を抱え込んで震えた。
「頼む……みんな無事でいてくれ……!」
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