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修行②

前回のお話→渚がアヤカシ界に渡った頃、渚の父康太は、同僚の篠崎と子育ての難しさを嘆き合い、悶々と過ごしていた。渚がいなくなって4日目の夜、突然自宅のインターホンが鳴り響く。

 焦る気持ちを抑えつつ、なんとか仕事を早く済ませた康太は、上司と相談してしばらく定時で帰れるようにしてもらった。早足で家に帰り、ジャケットを脱いだ時、唐突にインターホンが大きな音を立てた。康太は心臓を逸らせながら、インターホンの画面を覗いた。

 画面には渚の幼馴染みの晴菜と、初めて見る男子が映っていた。康太は迷った。この時間に来るということは、渚への見舞いであろうことは容易に想像できたからだ。しかし今ここに渚はいない。居留守をしようにも家に電気が点いている以上それはできない。康太は短く息を吐いてから、インターホンに返事をした。


「あ、おじさんこんばんは! 晴菜です! 渚のお見舞いと、プリントを持ってきました」

「あぁ。今開けるよ」


 康太が玄関を開けると、1週間分のプリントの束を持った晴菜と目が合った。軽く挨拶をしがてら、康太は晴菜の隣の男子とも目を合わせる。男子は緊張しながら、「こんにちは。お、同じクラスの、崎本です」と挨拶をする。すかさず晴菜が、「もうこんばんはだよ」とツッコミを入れた。

 康太も、「こんばんは。渚の父です。初めまして」と挨拶を返すと、崎本はカクカクとお辞儀をした。康太は思わず顔が綻ぶ。


「2人とも有難う。でもこんな時間に来るのは危ないんじゃないか?」

「夕方も来たんだけど、誰も出なかったから。進路相談の日程表とかもあったし、まだちょっと明るいから大丈夫」


 康太は、しまったと思った。自分は仕事とは言え、渚も2人を出迎えなかったのは怪しまれるかもしれない。背中に一気に汗が噴き出す。


「渚、そんなに具合悪いの?」

「え、うん。そうなんだ。どうも無理が祟ったみたいで」

「月曜日はそんな風に見えなかったのに」

「やっぱ開かずの踏切見に行って、遠回りして帰ったからじゃね?」

「開かずの踏切?」


 今度は崎本が、しまったという顔をした。晴菜は崎本の肩に重たい一撃を加えて、観念したように康太に話し出す。

 月曜日の朝、電車に轢かれそうになった渚を見知らぬイケメンが助けたこと。開かずの踏切で有名な踏切が、放課後に行ってみたら呆気なく開いたこと。開かずの踏切は幽霊の仕業で、悪用になったのはそのイケメンが何かしたからじゃないかという話になったこと。その踏切が不気味で、晴菜が無理を言って2人に遠回してもらって家まで付き添って貰ったこと。

 康太は晴菜の話を聞きながら、鼓動が早くなっていくのを感じていた。


「ごめんなさい。そんなに体調悪いように見えなかったから……」

「いや、いいんだよ。たぶん、寝不足もあっただろうし、きっと汗をちゃんと拭かなかったんだろう」

「渚がそんなミスするなんて、珍しい」

「やっぱ宮路さんも怖かったんかな。悪いことしちゃった……」


 崎本ががっくりと体を折って項垂れる。その姿は、本当に反省している時の泣きそうな男子そのものだった。康太は、「崎本君のせいじゃないよ。来週末には夏休みだし、たまにはしっかり休ませようと思って」と取り繕った。それでも崎本は、「すみません」としきりに謝り倒す。いい子なんだなと、康太は思った。

 しかし晴菜は、康太の説明に納得していない様子だった。今日は会えないのかと引き下がらない。康太は、「みんなにも移すと悪いから」と何度も晴菜に言う羽目になった。こんな時嘘や建前が上手ければと、心底自分を恨んだ。


「わかりました。今日は帰ります。でも、明日も様子見に来ていいですか?」


 やっとわかってもらえたと思ったのも束の間、晴菜の恐ろしい提案に、康太はもう心臓が止まりそうだった。


「えぇっと……」

「高田、無理強いは良くないって。具合悪いって言ってんだから」

「でも、あたしになんにも連絡よこさないなんて変だもん! 心配じゃん!」

「えっと、実は渚の携帯、調子悪くて。学校休んでる間に修理に出しちゃったんだ」

「えー!!」


 なんとか誤魔化そうと、康太は咄嗟に嘘をついた。もう汗が止まらない。頼むからこれで諦めてくれと、必死に心の中で祈った。


「……わかりました。じゃあ渚に、早く良くなってと伝えてください」


 晴菜はしぶしぶとそう言った。康太は、「あぁ、ちゃんと伝えておくよ。2人が来てくれたって」と、大きな安堵感と共に吐き出した。それじゃ、と言って、康太が玄関の扉を閉める。

 鍵がガチャリと音を立てても、晴菜はそこから動かなかった。帰る気満々で先を歩いていた崎本が、晴菜が来ていないことに気がついて、振り返る。


「おい、もう帰ろう。あんまり遅くなるとお前のとこの親も心配するだろ」

「……おかしい」

「は?」


 晴菜はしばらく玄関を睨みつけてから、ズンズンと崎本のところまで歩いた。そして崎本を追い越す。


「お、おい。何がおかしいって言うんだよ」

「何日も、連絡無しで休むなんて。おまけに顔も見れない」

「それは携帯修理に出してるからで、具合も悪けりゃ人には会えないだろ」

「今まで、こんなこと無かった。まるで……」


 まるで渚の母親がいなくなった時のようだと、晴菜は思った。渚の母親がいなくなってすぐの頃、晴菜はこうして何度も学校のプリントを届けに行った。最初のうちは、晴菜が来ても渚は部屋から出ても来なかった。晴菜はそのまま家に上がらせてもらって、仕事を休んでいた渚の父親とよく話をした。休みの日には自分の両親に頼み込んで、お見舞いの食べ物やおもちゃも持って行った。迷惑になるでしょと両親にはたしなめられたが、渚の父親が、「こうして来てくれると、気が紛れて助かります」と両親をなだめてくれたのを思い出す。

 渚が部屋から出て来られるようになって、晴菜とも普通に話せるようになり、学校に来られるようになった。しかしその頃には渚の雰囲気が以前とは変わっていて、近寄りがたくなり、口数も減り、笑顔も滅多に見せなくなった。

 ちょっと触ったらパキッと折れてしまう湖上の薄氷のようなその雰囲気に、私が守らなくちゃ、私が渚を助けなくちゃと、晴菜は体が震えたのを今でもよく覚えている。


「まるで?」


 崎本が晴菜を現在に引き戻す。晴菜は少しイラッとした。


「なんでもない。あたし、明日もお見舞い行く」

「え、やめろって。親父さんもあぁ言ってたじゃん」

「明日はお見舞いの品を持って行くの」

「じゃあ俺も行く」

「なんで?」

「なんでって……」


 崎本は口ごもってその続きを喋らない。


「別に無理してついてこなくていいから」

「無理してねぇよ。俺もなんか見舞いの物持って行く。やっぱ俺のせいかもしれないし」

「それこそ、違うってお父さん言ってたじゃん」

「でも、お前がそこまで言うんだから、やっぱり気になるって言うか。宮路のことよく知ってるのはお前だし……一緒に行った方が、いろいろいいかなって……」

「ふーん」


 晴菜は崎本の言葉に少し気を良くした。「そこまで言うなら一緒に来てもいいけど?」と少し意地悪に言うと、崎本は意外にも素直に、サンキューと言った。そういうところは、渚と違って可愛らしいと晴菜は思った。犬みたいだなとも思ったことは、誰にも言わないことにした。

 明日の14時に例の踏切で待ち合わせようということに決まり、崎本は晴菜を家まで送り届けた。

 自分も帰ろうと崎本が歩き出した時、晴菜の家の前の電柱の影が、クニャリと動いたように見えた。慌てて振り返ってみても、影は整然と並び立っている。崎本はぞくりと体を震わせると、走ってその場を後にした。

毎日20時頃に最新話を更新できるようにがんばります!

活動報告には質問箱を設置しておりますので、コメント欄にご質問やご感想やリクエストなど、お気軽にご活用ください。

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