アヤカシの世界へ⑥
前回のお話→長老から、「戦わなきゃならない相手は人間の方だ」と言われた渚。詳しく聞こうとするも、スオウに邪魔されてしまう。渚は気持ちを切り替えて、これから自身の力についてしっかり勉強しようと考えた時、ふいに学校のことを思い出して絶叫した。
その夜、スオウや長老になだめられてようやっとの思いで布団に横になった渚は、興奮して眠れないかもしれないと、長老から貰った銀色の鈴蘭を枕元に用意した。しかし鈴蘭の出番は無く、よほど疲れていたようで結局たっぷりと眠ってしまった。やっと体を起こした時には、時計の針が昼近くを指していた。
部屋の掛け時計を見て飛び起きた渚は、携帯を握りしめて部屋の縁側に仁王立ちした。渚の視界には昨日見た、ちぐはぐで、だだっ広い庭が悠々と横たわる。渚は肺の奥まで空気を入れて、そして叫んだ。
「なんで圏外なのぉぉぉぉ‼︎」
昨夜、学校の存在を思い出した渚は、慌てて携帯の画面を点け、そして膝をがくりと折った。無情にも渚の携帯は、どこにも連絡できない状態であると、憎たらしいほど自信たっぷりにそのマークを表示していたのだ。圏外の2文字が恨めしい。
渚の叫び声を聞いて、わらわらとアヤカシたちが集まってくる。渚は肺の空気を出し切って、肩で息を吸ってからもう一度携帯を見た。何度見ても、携帯には電波が入っていなかった。それなのに、予想外に渚はすっきりとした気持ちにもなっていた。叫んだお陰かもしれない。
「なんでぇなんでぇ。また叫びやがって」
「あ、スオウおはよ。もうおそよ? ねぇなんでここ電波入んないの? 連絡できないじゃん」
「昨夜も言ったが、ここはアヤカシ族の世界だぞ? 人間界の電波が届くわけないだろう」
「でも……」
「ちなみに言えば時間の流れも違う」
「え?」
「前にそう話したろ? たぶん人間界ではもう4日か5日くらい経ってるんじゃないか?」
「そ、そんな……だって四辻御堂ではゆっくり」
「四辻御堂はまたこことは別の場所にあるからな。時間のほころびなんてのは、案外あちこちにあるのさ」
今まで休まず学校に行っていた渚にとっては、それは残酷な宣告だった。飄々とした笑い顔を向けて喋るスオウを、渚はひと睨みした。スオウは、「おー怖や怖や」と肩をすくめて渚の後ろにどさりと座り込む。
渚はその場にへたり込んだ。ぐるぐると考えれば考えるほど、どうしたら良いのかわからなくなる。このまま休み続けるわけにはいかないとは思っても、母やアヤカシたちを放って人間界に戻るわけにもいかなかった。渚には、目の前に広がる、あらゆる国の、あらゆる時代の物がちぐはぐと並ぶ庭を、焦点も合わせずに見つめることしかできなかった。
「もうすぐ……夏休みだったのに」
ふいにそんな言葉が渚の口から漏れる。そうだ、もうすぐ夏休みだ。夏休みに入るまで待ってくれれば良かったのにと一瞬思ってから、渚はその言葉を心の奥に引っ込めた。
仮に夏休みにこのことを知ったとして、その時には手遅れになっていたかもしれない。そう自分を慰めても、今まで頑張ってきたことが無駄になるかもしれないと思うと、渚の心はじくりと腐るようだった。
ふいに大きな影が渚の体を包み込んだ。スオウが隣に立ったのだと思った渚が影の主に鋭い視線を投げると、自分を見下ろしている長老と目が合った。着物のたもとに手を通して、こちらを伺う目からは何も感じ取れない。しかしその表情から発せられる声は、柔らかく優しかった。
「どうした? 深刻な顔して」
「いえ、ちょっと……」
「ふーむ……そうか、学校のことかな?」
「え⁉︎」
「図星かい? 昨日あれだけ叫んだら流石にね」
「……私、今まで一度も休んだこと無かったんです。お母さんがいなくなって、学校にまた行くようになってから……でも、ここに来て、もう何日も経ってて……」
「そりゃ、驚くわいな」
「学校も休んじゃってるし、今年は受験もあるし……ずっと、休まず頑張ってきたのに……ずっと……」
母がいなくなってからずっと、渚は本音や悩みを他人から隠してきた。それなのに長老には素直に口が回る。渚は遠くからそんな自分を見ているような気持ちになった。喋りなれないせいか、どこか、たどたどしい話し方になっている。自分でも、小さな子どもみたいだと思ったが、一度動き始めた口は止まらない。長老は沈黙で続きを促す。
「このままじゃ、成績とか、出席日数とか、不安で。……えっと、良い高校に行けなかったらどうしようって」
「お嬢ちゃんは、その『良い高校』とやらに行って何をしたいんだい?」
「え? えっと……」
答えが、すぐに出てこない。
「わかりません」
渚は長考の末、素直にそう答えるしかなかった。
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