アヤカシの世界へ②
前回のお話→渚たちは、スオウが取り出した小さな鳥居を使って、本棚ごとアヤカシの世界へとやって来た。
「ア、アヤカシ……?」
「そ! ようこそ俺の家へ。こいつらはみんな仲間だ。あんたを取って食べたりしないから安心しな」
「で、でも……」
「みんなぁ! この人間は味方だ。澪さんの娘っ子だ」
スオウの一言でアヤカシたちが一斉に障子戸を開けて入ってきた。シルエットではなく直接色を付けて見るそれらは、本やネットに出回っている姿よりも幾分か親しみやすいものだった。幾分か、だ。
自分とは違う、異形の者にじっと見られて、渚は体を動かせなくなった。クロも最初、こんな気持ちだったのだろうか。悪いことをしてしまったなと、渚は心の中でクロに詫びた。
大勢のアヤカシに囲まれて、渚はどうしたらいいのかわからなくなってしまった。少しずつ、後ろに追いやられる。しかしすぐに、後ろにそびえ立っていた本棚にぶつかった。
アヤカシたちは渚に迫りながら、口々に、「あなたが澪様の娘さん?」、「こんな若いのに何ができるんだ?」、「ホントに巫女様の子孫?」、「これで我々は助かる!」、「早く澪さんのところへ!」、「随分ひょろっこいおなごだなぁ」などと好き放題に言っては、渚を上から下まで見やっている。
居心地が悪くなってスオウを探すと、彼はちゃっかり輪から離脱して、何やらクロと話をしていた。あとでひっぱたいてやろうかと、渚はスオウを睨む。しかしその視線には、スオウを振り向かせる効果が無かった。
「みんな落ち着くんだ。気持ちはわかるがまずは話を聞いてくれ」
スオウがようやっとアヤカシたちを止めに入ったのは、渚がカバンを小さいアヤカシに持って行かれそうになった瞬間だった。絶対、あとでひっぱたく。渚は強くそう心に決めた。
「確かにその子は澪さんの娘だし、次の巫女としても選ばれている。しかしこの子は事情があって我々とは全く無縁の暮らしをしてきたんだ。だから、今すぐに澪さんのところへ、というわけにはいかないんだよ」
どよどよとざわめきが起こる。最初にあんな紹介のされ方をすれば、誰だって救世主が来たって思うだろう。しかし渚はただの中学生で、今の今まで何も知らずに生きてきた。カバンを抱えている手に力が入る。今の自分では何もできないと、実感させられてしまった。
「まずは我々のこと知ってもらいながら、巫女としての最低限の修練を積む為にここに来た。みんなにも協力してほしい。アヤカシ族の為に。澪さんの為に」
スオウが言い終わるとしばらくの間沈黙が流れた。渚はいたたまれなくなって勢いよく頭を下げた。アヤカシたちの視線から逃れたかったというのが正しいかもしれない。
「よ、よろしくお願いします!」
するとあちこちから、「いいぞ! なんでも聞いてくれ!」、「狐どもの好きにはさせねぇぞ!」、「スオウ様がこっちにいてくれるなら心強いわ」、「クロちゃんも居るよ!」、「あの子と澪様がいればきっと勝てる!」、「よぉし! 俺もまだまだやってやるぞ!」、「澪様の為に我らアヤカシ族がひと肌脱ごうじゃねぇか!」、「そうだ! みんなで澪様とアヤカシ族を守るんだ!」、「お母さん、あの子可愛いねぇ」と活気溢れる声が頭上に降り注ぐ。
アヤカシたちの言葉を聞いて、渚は思わず涙ぐんでしまった。スオウの大きな手が優しく渚の肩に置かれ、その温もりにまた涙が嵩を増す。凜の前で泣いたのとは、違う温かさをその涙は持っていた。
「許してやってくれ。みんな家を焼かれたり家族を殺されたりして、行く場がなくなった者たちなんだ。俺は四辻御堂にいることが多いから、一時的にみんなの家としてここを使ってもらっている。ここは強力な結界で隠されているから、化け狐どもも簡単には手を出してこないのさ。もちろん人間には絶対気づかれねぇ」
「そうだったんだ……私……私……」
ゴシゴシと涙を拭って、思い切って顔を上げると、アヤカシたちの生き生きとした顔が渚を見ていた。その顔には過度な期待も、落胆も無い。渚はまた込み上げてきそうな涙を必死に堪えて、彼らに聞こえる大きな声で言った。
「宮路渚です! どうかよろしくお願いします!」
大きな拍手と歓声が部屋いっぱいに広がる。渚は、このままあっという間に戦いを終わらせて、母と帰れるような気持ちに一瞬なった。しかしよくよくアヤカシたちを見ると、体に大きな傷跡がある者や、肘から下が無くなっている者もいた。
渚は背中に悪寒が走り、そんな甘くないのだとすぐに気合いを入れ直す。これからここで、自分が何をしなくてはならないのかを考えると、大きな不安に押し潰されそうになる。それを今、活気溢れる彼らに見せるわけにはいかない。渚は歯を食いしばって笑顔を作った。
「よぉし、まずはこの本棚を運んでほしいんだ。力のある者は手伝ってくれ! あんたはクロと一緒に、まずはこの家をぐるっと回ってきな」
「わ、わかった! クロ君、よろしくね」
「はい! 任せてください!」
大きなアヤカシたちはスオウのところへ集まっていった。小さなアヤカシや子どものアヤカシたちは渚とクロの周りに集まって来て、そのまま移動するとまるで保育園の遠足のようだ。みんな、クロのように可愛らしく、渚には天国に思われた。
しかし、彼らが歩きながら一斉に質問してくるのには流石の渚も困ってしまった。見かねたクロが、「まずはこの家の案内からだよ。手伝ってくださいね」と優しく言うと、みんなが口を揃えて元気な返事をした。そこから渚が質問攻めに遭うことはなくなった。
クロが大正時代から生きているということを、渚は初めて実感した。見た目は子どもなのに、クラスの男子たちよりもよっぽど頼り甲斐がある。この子どものアヤカシたちも、渚よりもずっと年上であろうはずだが、やっぱりそうは見えない姿に、渚は苦笑いをするしかなかった。
そういえば、と彼らを見て渚はようやく晴菜や父のことを考えた。晴菜は崎本と電話できただろうか。まだ昨日のことなのに、随分昔のことのように感じられて、渚は口の中で小さく笑った。
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