57話・泣いている場合じゃ無い
「サクラ。大丈夫かい?」
「フィル……」
夜になって彼が部屋を訪ねて来た。昼間、わたしが殺されかけたことをヴィオラ夫人から報告があったのかも知れない。彼の顔を見て泣きたくなった。
彼がおいでと両手を広げるから、その胸を借りる事にした。背中に彼の手が回された。
「わたし、彼に何か恨まれることした?」
目尻が熱くなってきて視界が緩む。生まれてからこれまで、他人に嫌われたことが無いとは言わないが、命を狙われたことなんてない。しかもその相手は、仲良くしてくれていた相手だけにショックだった。
「サクラはその庭師と親しくしていたの?」
「彼はわたしが森の中で倒れていたのを、一番初めに発見してヴィオラ夫人に教えてくれたみたいだったの。彼は記憶が無くて不安になっているわたしに優しくしてくれたから、疑いたくなかった。でも──、信じてはいけない人だったのよね?」
「サクラ。ごめん。僕が──」
「いいえ。いいの。あなたは悪くない。悪いのは彼よ。わたしに何の恨みがあったのかは分からないけど──」
真面目なフィルマンのことだから、わたしが命を狙われたと知って、自分がこちらの世界に招こうだなんて、願わなければ良かったと思っていそうだ。彼の口からその言葉だけは聞きたくなかった。慌てて涙を拭いて俯きがちだった顔を上げれば、憂い顔の青い瞳と目があった。
わたしはこちらの世界に来て後悔はしていない。こちらの世界に来た当初は、記憶を失っていたこともあり、毎日が不安だった。
自分は何者なのか?
どこから来たのか?
自分には家族がいるのか?
その家族はどこにいるのか?
自分を捜しているだろうか?
と、一人になると考えてしまう。
わたしの不安を見て取ったように、ゲッカは側にいてくれて優しい言葉をかけてくれたから、ここに来て自分が誰か分からず、言い知れようのない孤独を感じていたわたしは、彼に依存しがちになっていたのかも知れない。
それを恐らく危惧しただろうロータスの忠告さえ、疎ましいと感じていた。今更ながら、馬鹿だったとしか思えない。
「わたしって人を見る目がないよね。信用してはいけないゲッカを信じて、信用に値するロータスを疑っていたのだから」
「きみは騙されただけだよ。言葉巧みに何も知らないきみを、自分の言いなりにさせようとした男に」
卑屈になって言えば、フィルマンはこんな時でも庇ってくれる。でも、今回の事で反省した。わたしは甘かった。自分に都合の良いことばかりを言う人が善人とは限らない。ベネベッタさまが言うとおりに、相手を上手く見定めなくてはならなかったのだ。
彼と共に生きるとはそういう事だと、ベネベッタさまに叱責されたような気がした。これまでの自分なら、面倒なこととは係わりになりたくなくて、避けるか、逃げてきた。でも、それでは駄目なのだ。きっと。
わたしは向こうの世界に家族を残してきた。こちらの世界に来てフィルマンに会えて良かったと、心の底から思っているぐらい、家族よりもフィルマンを選んだ薄情者だ。
だからこそ、彼の為に何でもしてあげたい。彼を幸せにしてあげたいのだ。
「わたし、ヴィオラさまや、ベネベッタさまのように強くなりたい。あなたを守りたいの」
「参ったな。きみにそう言わせてしまうなんて僕の立場がないな。きみを守るのは、僕の使命だと思っているのに……」
そう言ってフィルマンは、頭頂部にキスしてきた。彼が触れたところに熱を感じる。
「きみは自分で思っているより、遙かに強い女性だと僕は思っているよ」
彼の優しい声音が、心強く感じられた。




