56話・あなたは間に合って良かった
「ミュゲ、駄目よ。あなたには心に決めた相手がいるのだから。ホイホイ他の男性から贈り物を頂いては、あの子が可哀相だわ」
ベネベッタさまにそう言われて、脳裏にフィルマンが思い浮かんだ。確かにフィルマンは面白くなく思うかも知れない。でも、どうしてそのことをベネベッタさまが知っているのだろう? 話した覚えはないのに?
「だからそのお花はわたくしが頂くわね。まあ、赤紫だなんてわたくしの好む花だわ」
ベネベッタさまが、落ちた花束を拾い上げようとすると、ゲッカが慌てた。
「あの、ご夫人には別の物をご用意致します。それは落ちた花束ですから」
「いえ。いいのよ。これが気に入ったから」
そう言いながら、ベネベッタさまは、拾い上げた花束をアージアではなく、近づいて来た顎髭護衛に渡した。
「これはわたくし好みの花だから、丁重に扱って頂戴。花びら一片でも落としては駄目よ」
「畏まりました」
顎髭護衛は懐からハンカチを取り出すと、そのハンカチでそっと包むように花束を抱え上げた。王太后陛下に捧げられる物となると、扱いも丁重になるらしい。
「男前の庭師さん。悪かったわね。この子を口説くのは諦めて下さらない? わたくしで良かったらいつでもお相手をするわよ。わたくしなら夫を亡くした未亡人で、後腐れない関係が築けると思うから」
「ベネベッタさま。失礼ですよ。ゲッカさんとわたしはそのような関係ではないです」
「あなたはそうは言っても、彼の方はどうかしら?」
ベネベッタさまは、ゲッカをねめ付けた。アージアと顎髭護衛は静観している。ゲッカは頭を下げた。
「失礼致しました。誤解を招くような行動を取ってしまったことを謝罪致します」
「謝罪する相手は、今はわたくしではなくてよ」
ゲッカはわたしに向き直ると「誤解させて済まなかった」と、謝りだした。
「ゲッカさん。もう良いですから。別にわたしは怒っていません」
ゲッカは騒ぎになってしまい、居たたまれなくなったのか、わたしに頭を下げた後に、「では自分はこれで失礼致します」と、その場から立ち去って行った。
ゲッカが去ると、ベネベッタさまは怒ったように言ってきた。
「ミュゲ。あなたは正直者だけど、他人もそうとは限らないのよ。少しは疑いなさい」
彼女の目線は、顎髭護衛の手元にある花束に移る。
「それを詳しく調べて貰って頂戴。以前、先王陛下の寝室に飾られていたものと同じようなものに感じられるわ」
「……!」
王太后陛下の言葉で、その場に緊張が走った。花束を指摘したベネベッタさまは、毅然としていて普段のふわふわとつかみ所のない女性とは別の顔をしていた。
「命は一つしかないのよ。だから慎重にね」
相手を良く見定めるようにと、ベネベッタ王太后陛下に言われてしまった。昨日は嫁姑問題で彼女をやり込めてしまったけど、今日はしてやられたような気分だ。
その後、医師から花束に使われた花は、毒のある植物で、花の香りを吸い過ぎると幻覚症状を起こし、花の根を浸した水や蜜を吸うだけで、数分で死に至るものと判明した。
ベテランの庭師ほど、その危険性を考え、他人への贈り物には使わないらしい。ショックだった。ロータスからは彼に対して忠告は受けていたけど、心のどこかでまだ、信じたい思いがあった。それなのにその思いを裏切られたような気がした。
もしも、ベネベッタさまに止めてもらえなかったら、わたしはゲッカの勧めたとおり、花束を寝室に飾って幻覚症状を見続けることになり、近いうちに儚くなっていたかも知れない。そう考えるとベネベッタさまはわたしの命の恩人とも思えた。
「助けて頂いて、ありがとうございました。ベネベッタさま」
やや不本意には思うけど、命を救っても会ったのは確かだ。彼女には感謝した。
「あなたは間に合って良かったわ。陛下は間に合わなかった……」
その言葉には後悔が含まれていた。それと新たな疑問がわたしの中で生まれた。ゲッカがしたことはヴィオラ夫人に報告され、夫人を通して屋敷の者達にも伝えられた。




