第五章 さいごの約束 〈9〉
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とびらの奥にはドーム球場のように大きな空間がひろがっていた。しかし、渚たちの目にとびこんできたのは、あさく海水の張った空間の中央にうずくまる巨大な怪物の姿だった。
(これが……!)
「〈大黒蟲〉……!」
渚とカナエははじめて目の当たりにした〈大黒蟲〉の大きさと禍々(まがまが)しさに息を呑んだ。
まるで竜のような印象のおそろしい巨大魚が窮屈そうに体をふたつ折りしていた。昨日の昼間に見たマグロ漁船よりもはるかに大きい。
サメのようにとがった頭。切れ長のするどい目。全身をおおう茶褐色のごつごつととがったうろこ。虹色の光沢をした長く大きな背びれや胸びれ。海水に浸かったあごの下にもぬめぬめと光る虹色の尾びれがひろがっている。
〈大黒蟲〉の全身は緑色の光る網でおおわれていた。
網の目から2mほどの細長い六角柱がつきでていて〈大黒蟲〉は光るハリネズミのようにも見えた。この光こそ、神さまたちが〈大黒蟲〉へほどこした封印のための結界である。
(カナエ、あそこ!)
〈大黒蟲〉の大きな額に小さなカギ穴のかたちをした緑色の光が見えた。そのカギ穴へ渚の手にした銅剣を根元までつきさせば封印は完成する。
「……めんどくさいけど、尾の方から背びれにそって〈大黒蟲〉の体を上っていくしかないか」
カナエがヤレヤレと小さく肩をすくめて云った。渚もうなづくとズボンのすそを折ってひざの上へたくし上げた。
通路は〈大黒蟲〉の広場をあさく浸す海水よりも高い位置にあった。巨大な〈大黒蟲〉にとってはないに等しい水たまりでも、渚のひざ下くらいの深さがある。
「〈大黒蟲〉の尻尾までたいした距離じゃないから」
宙にういたカナエがお気楽に云った。
通路から〈大黒蟲〉の広場の生あたたかい海水に足を浸した渚は、岩でできた怪物のたまごの中に足をふみ入れた気がした。
渚が宙にうくカナエをともないながら歩きだすと〈大黒蟲〉が赤く血走った瞳でその動きをゆっくりと追った。
サメのように大きな口の中からキルキルキルキル……と、かかりそこないのエンジン音みたいな鳴き声がもれる。威嚇のつもりであるらしい。
ふたりは岩のようにごつごつとした〈大黒蟲〉の身体を上りはじめた。
〈大黒蟲〉の死角となる背びれのうしろを歩けば〈大黒蟲〉の目を気にすることもないが、逆に〈大黒蟲〉のようすがわからないのも不安だったので、渚たちはあえて〈大黒蟲〉の顔が見える方を上った。
時おり、渚の背たけをこえるほど大きな〈大黒蟲〉の背びれがピクリと動いて、渚たちをはらい落とそうとしたが、そのたびに結界が強く光って〈大黒蟲〉の動きを封じこめた。
「ね、ちゃんと神さまたちが守ってくれてるんだよ」
(……神さまたち?)
カナエの言葉に渚が首をかしげた。カナエは結界の光る網の目からつきでた六角柱をいとおしそうになでながら云った。
「この柱は〈大黒蟲〉を鎮めるための結界になった神さまたちだから」
(結界になった神さまたち……)
渚は前に自分がカナエに云った言葉を思いだして後悔した。
(……たくさんの神さまが地震を鎮めにいって、こんなヒドイことになってるのかよ!? なんだよ! 神さまなんてなんの役にもたたないじゃないか!)
〈大黒蟲〉を鎮めにいった神さまたちは役たたずではなかった。自分たちの存在とひきかえに〈大黒蟲〉を鎮めようとしているのだ。
うつむく渚の気もちを察したカナエが明るく強い口調で云った。
「……だから、ぜったいに私たちの手で〈大黒蟲〉を封印させなきゃだよ」
(うん)
渚が強くうなづいた。
何度も結界にしめつけられた〈大黒蟲〉はすっかり観念したらしく、目を閉じるとおとなしくなった。
「ようやくあきらめたみたいだね」
(……だといいけど)
あれだけの災害をひき起こした〈大黒蟲〉相手に、渚はカナエほど楽観できない。
ふたりが数10分かけて〈大黒蟲〉の背中を半分ほど進んだところで〈大黒蟲〉がギュルギュルギュルギュル……と、さっきよりも強くのどの奥で鳴きはじめた。
「なに?」
(……?)
渚とカナエがいぶかしむ間もなく、とつぜん足元の〈大黒蟲〉がビリビリとゆれだした。
〈大黒蟲〉のうろこがギシギシときしみながら大きく波打った。巨大魚の身体は渚が小学校で体験した地震よりも激しく上下動して立っていられない。
「渚!」




