第五章 さいごの約束 〈2〉
渚たちが弁天町へ入ると、カナエが少しとまどった。
(カナエ、どうしたの?)
「宝船町とのつながりが弱くなった。なんかくもりガラスごしに町を見てる感じ。ほかの町へくるのははじめてだから、ちょっとね」
カナエの左のたなごころに透明な宝玉があらわれた。黄緑色にあわく光る宝玉を、左手の親指だけで器用にくるくるとまわしながら、弁天町をながめまわす。宝玉に記録されている地図と地形とを照合しているのだ。
「よかった。べつに神さまの力が弱くなってるとかじゃないみたい。この道をそのまま歩いていけば、6丁目の弁天中の裏門にでる。たぶん4丁目の人たちもそこへ避難していると思う」
(そっか。……はやくシリウスも飼い主にあえるといいな)
渚の気もちをさっしたシリウスがうれしげに尻尾をふった。
3
弁天中学校の裏門へ着いたところで、重暗い空に雪が舞いはじめた。強い風にあおられて、刷毛でひいたみたいに空を流れていく。
(やだなあ。雪が降ってきたよ)
「ちょっとした吹雪になりそう。間一髪でセーブポイント到着って感じだね」
渚の言葉にカナエがRPGみたいなたとえ方をした。
中学校の校舎や避難所の体育館にあかりはついていなかった。ここもまだ停電しているらしい。
体育館の入口へまわると、ガラス戸の閉ざされたまっ暗なエントランスに小さなダルマストーブの火がともっていた。
ゲタ箱の前に、ごちゃごちゃとものの置かれた折りたたみ式の細長いテーブルがあり、いくつかならんだパイプイスのひとつに人影が背中を丸めるようにすわっていた。
メガネをかけたおじさんで、町役場の職員であるらしい。
(カナエどう? おじさんについてる弁天町の神さまと話できる?)
カナエは小さくかぶりをふった。
「……ダメ。気配は感じるんだけど、霧の中みたいにぼんやりしすぎて声も聞こえない」
(そっか)
がっかりしていることをカナエに悟られまいと渚はこともなげに云った。
渚はシリウスといっしょにまっ暗なエントランスへ入ると、町役場のおじさんに頭を下げた。
(こんにちわ)
そう云ってはみたが、声はでないし、おじさんからも渚の口の動きは見えなかった。
「ん? なにかな?」
この避難所で犬をつれた子どもを見たおぼえのないおじさんがいぶかしげにたずねた。
渚はシリウスのリードの輪を手首にとおしたまま手袋をぬぐと、首からかけていた小さなノートを開いて、おじさんの前にだした。
「……暗くてよく見えないなあ」
おじさんがテーブルの上に置いてあった懐中電灯を手にとると、ノートを照らして書かれた文字を読んだ。
『ぼくの名前は佐藤渚です。耳は聞こえますが、今は声をだすことができません』
その横に書かれた住所を見ておじさんはおどろいた。
「宝船町? きみ、宝船町からここまで歩いてきたのかい?」
渚はうなづいた。テーブルの上にノートを置いて云いたいことを書きつづる。
『こちらに佐藤恵子はいますか?』
「佐藤恵子さん? きみのご家族?」
ふたたび渚はうなづいた。
「ちょ、ちょっと待ってね。今、聞いてきてあげるから」
おじさんは席を立つと、鉄のとびらを開けて、体育館の中へ入っていった。
おじさんと入れちがいに小学校2年生くらいの小さな女の子とその母親がでてきた。トイレへいくところらしい。
渚が母子のふたりに気づいていないそぶりで顔をそむけると、シリウスが強い力でリードをひっぱった。
シリウスが母子をおどかさないように、あわててリードを短くつかみ直して、シリウスの身体の前を片足でさえぎる。
シリウスがぶんぶんと尻尾をふって前にでようとした。
(どうしたんだよ、シリウス?)
渚がそれを押しとどめていると、渚の足元に犬がいることに気づいた女の子が云った。
「ママ、ワンちゃんだよ! ……ああ、ワンちゃんだ!」
「……そうね」
泣きそうな声で云う女の子に、母親もさびしげな声でこたえた。女の子が渚に近づいてたずねた。
「ねえ、ワンちゃん、なででいい?」
渚がリードをもつ手をゆるめてうなづいた。動物好きな人なら問題はない。
女の子がシリウスの前にしゃがみこむと、母親にふりむいて云った。
「このコ、秋田犬だ。うちと同じ……シリウス!?」
シリウスの頭をなでながら首輪に気づいた女の子がおどろきの声をあげた。




