世界はコンピュータリタラシー
「おーい、このネクジェネの記事の24ページ目、岩井さんに頼んでおいてくれる」
大山正史はただでさえ狭かった世界がさらに縮小しつつある翻訳の世界に身を置き、コーディネーターとして勤務している。
大規模言語モデルが進化しつつある今、業界は絶望的に先細りしており、翻訳者として身を立てる志を持つものも少なくなった。必然的に古株と呼ばれる翻訳者が水が抜けていくプールの中で浅瀬でボールを取り合うように仕事を引き受けようとしのぎを削っている。中にはすでにAIを頼りながら訳しているように見受けられる人物もいるし、変に奇を衒った訳文を送ってくる翻訳者もいる。
仕事の数も少ないものだから、SNSを使って必死にプロパガンダを打つ者も星の数ほどいるし、その中には自身のプライベートやパーソナリティを晒してセルフブランディングに勤しむ人もいる。
美しい文章とは何か。この永遠の問いはAIの作る簡潔で無駄のない文章と同一視されつつあり、だからといって個性は必要だという考えと交錯しながら、道なき道を右往左往しながら結局はブランディングというコタエに行きついてしまいそうだ。売れなければ認められたとはいえないし、真に響く文章を紡ぎだしたところで受け取り手に感じる力がなければ、それはふと浮かんだ綺麗なシャボン玉でしかないのだ。そして、受け取り手というのは認められたものを学習していくAI化した人間となり、この傾向はどんどん加速していくようにも思われる。
「岩井さんは今日はバイクでツーリングって、SNSに上げてませんでしたっけ」
この世界にいると、SNSで翻訳者のアカウントをフォローすることは当たり前のようになっている。みながみな、彼らの「美しい」文章を読みたいわけではない。彼らに認められたい、仕事につなげたい、という人間も一定数いるのだ。かくして業界はコンピュータやスマートフォンを片時も手放せないという、結局、したいことはなんなのか、という問いに答えられない世界へと変貌してしまった。いいねがほしい。インプレッションが増えたのにコメントがないのはなぜなのか。いったい彼らは何に悩んでいるのだろう。チャンネル登録と高評価をお願いいたします。
ちなみにネクジェネとはネクストジェネレーションというネットマガジンで、その名の通り、次世代の流行やファッションを扱い、書籍の紹介もたまに行っている。ただ、書籍の紹介のインプレッションは芳しくないようだ。
コンピュータという箱の中でどう動くかが、世界を作っていく。そしてもはや、その外に出るすべを我々は失っている。
「ツーリングかよ。まいったな。ずっとこの記事岩井さんがやってんだよ。岩井さんの文体を学習したAI作れないか」
「近頃では、AIへの話しかけ方でAIの方も返答の仕方を合わせるようにできてきたらしいですよ。なんかできそうですよね」
「おい、できるのかよ。翻訳量払わなくてよくなるじゃないか」
「ボス…そうしたら、僕らも失業です」




