秋の日の流れの中で
秋の日の木立がその影を川面に映している。
ひとひらの枯れ葉が落ち、なだらかな流れに浮かびあがった。視線が捉えたのは虫にくわれた茶色の中の黒点。やがて葉はゆっくりとその身をゆだね、時折、水に揺れながら斜めに運ばれてゆく。
正史の頭に浮かんだのはその後、葉が、同じく落ちた枝や誰かが捨てたレジ袋やらタバコの吸い殻やらを巻き込んで河口まで長い旅を続け、しまいには海にのまれて誰の目にも届かない場所へと消えてゆくさまだった。
流れがのまれるとはどういうことかとふと思う。あるいはその旅路は長く気の遠くなるようなものになるのかもしれない。途中で集めるゴミたちは、海にのまれたときにはぎ取られ、何もなかったかのように離れ離れにそれぞれの最後を遂げるのか。それともあるものはくっつきあい、あるものは溶け去り、それでも何らかの意思を持ってどこかで集まり、安住の地で人知れず時を送るのか。
いや、と思う。所詮、木の葉やゴミだ。意思など持つはずがない。それはただそこにあるだけで、意味を付与したり、その中に心をみたり、理由を求めたりするのはナンセンスなことなのかもしれない。しかし、彼にはそれがどうしても無視してよいものには思えない。なぜなら、彼はいつもそれをみているから。
雨の日も、晴れの日も、雪の日も雷の日も、嵐が来た日だってそれは継続している営みであるから。もしかしたら、この何気ない秋の日の光景が、正史の生活そのものなのかもしれない。
遠くから子を呼ぶ中年女性の声が聞こえてくる。そこだけが唯一、確かな現実なのではないかと、頭の片隅によぎったものが、あった。




