第8話:最初の仕事
スマホが震えたのは、昼過ぎだった。
見慣れない番号。
——でも、もう分かる。
「……はい」
出る前から、どこからの連絡かは察していた。
『お時間よろしいですか』
あの男の声。
相変わらず、抑揚がない。
「……まあ」
『確認していただきたい案件があります』
いつもと同じ、軽い言い方。
でも——
少しだけ違う。
『本日中でも対応可能でしょうか』
「……行きます」
短く答える。
もう、断る理由はほとんど残っていない。
『では、詳細を送ります』
通話はそれで終わった。
必要最低限。
すぐに、スマホに情報が届く。
地図と、簡単な概要。
画面を見て、わずかに眉をひそめる。
「……でかいな」
表示されたのは、住宅地の一角。
その中でも、ひときわ大きな家だった。
「……ほんまに仕事なんやな」
小さく呟き、立ち上がる。
現場は、ほぼ完成していた。
外観は整っている。
足場も、多くは外されている。
新築特有の匂いが、わずかに漂っていた。
だが——
「……静かすぎるな」
人の気配が少ない。
工事終盤にしては、不自然なくらい。
入口の前に立つと、スーツ姿の男が近づいてきた。
「仲村さんですね」
「あ、はい」
軽く頭を下げる。
相手も丁寧に返すが、どこか余裕がない。
「本日は、よろしくお願いします」
「……どうも」
言葉が硬い。
視線が落ち着かない。
その理由は——すぐに分かった。
「準備はできています」
背後から声。
いつの間にか、あの男が立っている。
「こちらの案件の依頼主です」
簡単な紹介。
スーツの男は小さく会釈するだけだった。
余計なことは言わない。
言えないのかもしれない。
「内容を説明します」
あの男が続ける。
「基礎に沈下が確認されています」
「……沈下」
思わず復唱する。
「床の傾き、壁のクラック。軽微ですが、進行の兆候があります」
スーツの男が、わずかに顔をしかめる。
「施工会社は、設計通り施工したと主張」
「設計側は、地盤調査の問題を指摘」
「地盤業者は、問題なしと回答」
淡々と並ぶ言葉。
でも——
中身は重い。
「工程写真も確認済みです」
「いずれも、問題は確認されていません」
そこで、わずかに間が空く。
「ただし」
声が、ほんの少し低くなる。
「一部の工程が、記録されていません」
「……抜けてるってことですか」
「はい」
短い肯定。
「解体すれば確認は可能です」
「ですが、現実的ではありません」
現場を見れば分かる。
数千万単位の話になる。
「……だから、俺か」
あの男は何も言わない。
否定もしない。
それで十分だった。
「確認していただきたいのは一点です」
「問題がどこで発生したか」
「……原因特定」
「そうです」
シンプルで、重い。
「……分かりました」
短く答える。
逃げ場はない。
建物の中に入る。
空気が違う。
外より、少し重い。
静かすぎる。
足音だけが、やけに響く。
ふと、視界の端。
赤い点。
前よりも、はっきり見える。
数も、多い。
「……増えてんな」
小さく呟く。
無視して、奥へ進む。
問題の基礎部分。
床材の下。
仕上げの向こう側。
直接は見えない。
「……やるしかないか」
しゃがみ込み、手を当てる。
コンクリート越し。
冷たい感触。
一瞬、ためらう。
——仕事や。
そう思って、力を込める。
触れた瞬間。
視界が歪む。
音が混じる。
低い振動。
機械音。
誰かの声。
「……打設いくぞ」
コンクリートが流れ込む。
——途切れる。
「……は?」
一瞬で切れる。
浅い。
短すぎる。
もう一度、触れる。
集中する。
こめかみに、鈍い痛み。
断片が流れる。
杭打ちの場面。
本数。
数える。
「……少な」
明らかに足りない。
でも、それも途中で切れる。
別の断片。
打設の続き。
振動が弱い。
締め固めが甘い。
空気が残る。
「……これ」
さらに別の断片。
表面。
細いヒビ。
そのまま、次の工程へ。
「おい、そのままでいいのか」
誰かの声。
「見えなくなるから大丈夫だ」
軽い返答。
その瞬間、映像が弾ける。
「……っ」
頭が揺れる。
繋がらない。
全部が、バラバラ。
「……ズレてる」
狙ったところに戻らない。
過去が、一つじゃないみたいに。
それでも——
繰り返す。
拾う。
共通点だけを繋ぐ。
杭の不足。
不完全な打設。
ヒビの放置。
工程の飛び。
「……」
手を離す。
息を吐く。
立ち上がる。
振り返る。
二人がこちらを見ている。
「……分かりました」
自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。
「原因は、施工です」
スーツの男の表情が固まる。
「地盤じゃない」
一歩近づく。
基礎の位置を指す。
「ここ、杭が足りてない」
「……え」
「設計より、本数が少ない」
続ける。
止まらない。
「その上で、打設も甘い」
「締め固め不足で空隙が残ってる」
「ヒビが出たまま、次の工程に進んでる」
スーツの男が、資料をめくる。
手が震えている。
「そんな……」
「写真には写ってないはずです」
静かに言う。
「抜けてる工程がある」
沈黙。
重い空気。
やがて——
「……確認します」
絞り出すような声。
「助かりました……」
深く頭を下げる。
その姿に、少しだけ戸惑う。
「……いや」
曖昧に返す。
あの男が口を開く。
「十分です」
それだけ。
完了の合図。
外に出る。
空気が軽い。
ポケットに、封筒を入れられる。
報酬。
その場では開けない。
でも——分かる。
重い。
帰り道。
少し歩いてから、封を開ける。
中を見る。
「……え」
思わず声が出る。
想像より、多い。
バイト何日分どころじゃない。
「……ほんまに金になるんやな」
現実味が、一気に増す。
これなら——
やっていける。
そう思った、その時。
足が止まる。
振り返る。
さっきの家。
ほんの一瞬——
景色が重なる。
同じ場所。
同じ基礎。
でも。
杭は、足りている。
打設も、問題ない。
ヒビもない。
別の“施工”。
別の“結果”。
一瞬で消える。
「……なんや今の」
さっき見た過去とは違う。
でも、否定できない。
「どうしました?」
後ろから声。
あの男。
また、気配なく立っている。
「……いや、なんでもない」
すぐに視線を外す。
言わない。
まだ分からないものは——
口に出すべきじゃない。
そんな気がした。
男はそれ以上聞かない。
「そうですか」
それだけ。
帰り道。
ポケットの中の封筒。
何度も触る。
現実の重み。
金。
仕事。
使えば、稼げる。
シンプルな構造。
「……楽やな、これ」
少しだけ笑う。
簡単すぎるくらいに。
(間)
ふと、空を見る。
何もない。
何もないはずなのに。
頭の中には、あの“ズレ”。
違う過去。
違う結果。
「……ほんまに?」
小さく呟く。
答えはない。
でも——
その違和感だけが、
静かに残り続けていた。




