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第4話:選択肢

 スマホの画面に表示された番号を、しばらく見つめる。


 ——また鳴る。


 「……しつこいな」


 小さく吐き捨てて、通話ボタンを押した。


 「……はい」


 数拍の沈黙。


 それから、落ち着いた声。


 「仲村大輔さんで、間違いないですね」


 ——柔らかい。だが、距離が近い。


 初対面のはずなのに、妙に踏み込んでくる。


 「……誰ですか」


 「少しだけ、お時間よろしいですか」


 事務的でもなく、営業でもない。


 妙に“慣れている”話し方。


 大輔は眉をひそめる。


 「用件次第です」


 間を置かず、相手が言う。


 「最近、生活が少し厳しいですよね」


 ——止まる。


 言葉が、一瞬で温度を奪う。


 「……は?」


 否定より先に、苛立ちが出た。


 「なんなんすか、あんた」


 相手は少しも動じない。


 「状況は把握しています」


 淡々としている。


 言い切らない。

 “断定しない言い方”で、確信している。


 その感じに、妙な引っかかりが残る。


 どこかで——


 (……なんや、この感じ)


 記憶の奥が、わずかにざらつく。


 思い出せない。


 でも、初めてじゃない気がする。


 「……気持ち悪いな」


 吐き捨てるように言う。


 相手は一拍置いてから、


 「助けられるかもしれません」


 と、静かに続けた。


 “助ける”ではない。

 “かもしれない”。


 その言い方が、逆に現実的だった。


 大輔は舌打ちをこらえる。


 「……そんな都合ええ話、あるか」


 「ないですね」


 即答だった。


 否定しない。

 引きもしない。


 その距離感が、また気持ち悪い。


 「ただ——」


 相手が続ける。


 「選べるうちに、選んだ方がいいとは思います」


 ——その言い回し。


 ほんの一瞬、胸の奥が引っかかる。


 (……前にも、聞いたような)


 思考がそこまで進んで、止まる。


 「……何の話ですか」


 声が少し低くなる。


 相手は少しだけ間を取ってから、


 「会ってお話しできれば」


 と言った。


 「危険はありません、とまでは言いません」


 「ただ、判断はあなたに任せます」


 押しつけない。

 だが、逃がさない。


 その“間の取り方”に、既視感がある。


 大輔は黙る。


 数秒。


 呼吸だけが残る。


 「……どこですか」


 気づけば、そう言っていた。


 喫茶店。


 平日の昼間、客はまばら。


 奥の席に座っている男は、あまりに普通だった。


 年齢も、服装も、特徴がない。


 ——なのに。


 (……なんや)


 視線を向けた瞬間、わずかに遅れる。


 そこに“いる”はずなのに、認識が引っかからない。


 気配が、薄い。


 いや——


 最初から“拾えていない”ような。


 男は軽く会釈する。


 「どうも」


 声を聞いた瞬間、違和感が一段深くなる。


 電話と同じ声。


 ——なのに、目の前の存在と噛み合わない。


 「……」


 大輔は向かいに座る。


 じっと見る。


 覚えがあるかどうか、確かめるように。


 だが、顔には引っかからない。


 「初めまして、でいいですかね」


 男が言う。


 その一言に、わずかな“含み”。


 大輔の眉が動く。


 「……なんすか、それ」


 男は小さく肩をすくめる。


 「気のせいなら、それで構いません」


 逃げた。


 はぐらかしたとも違う。


 “触れない”選び方。


 それが逆に引っかかる。


 「あなたは——」


 男が続ける。


 「……一度、見ましたよね」


 静かに。


 断定せずに、確信している言い方。


 大輔の視線が止まる。


 否定は出てこない。


 「そして——」


 男は間を置く。


 「……あの時、止まりました」


 ——心臓が一瞬だけ強く鳴る。


 「あの時」


 具体的なはずなのに、説明がない。


 なのに、意味だけが伝わる。


 (……知ってる)


 そう思った瞬間、思考を押し止める。


 「……なんのことですか」


 低く返す。


 男はそれ以上踏み込まない。


 「それができる人は、少ないんです」


 わずかに、評価の色が混じる。


 「……あの場で、手を引ける人間は」


 空気が、少しだけ重くなる。


 大輔は視線を逸らす。


 そのとき。


 男の視線が、わずかに大輔の顔をなぞる。


 測るように。


 「……見えなくなっていますね」


 静かに言う。


 大輔の表情が止まる。


 「……は?」


 問い返す声に、わずかな苛立ち。


 男は続けない。


 説明もしない。


 ただ、事実のように置くだけ。


 「最近——」


 一拍。


 「花粉症の症状、出ませんでしたか」


 軽い調子。


 雑談に近い言い方。


 だが、視線は逸らさない。


 大輔の指先が、わずかに強張る。


 (……なんでそれ)


 思い当たる。


 今年に限って、妙に軽かった。


 いや——


 ほとんど出ていない。


 「……それがなんなんすか」


 低く返す。


 男は小さく頷くだけ。


 「いえ」


 それ以上は触れない。


 踏み込めるのに、踏み込まない。


 その距離感が、逆に不気味だった。


 「……で」


 「結局なんなんすか、あんたら」


 男は即答しない。


 カップに手を添え、少しだけ考える間を置く。


 「説明はできます」


 そして、


 「ただ——知らない方がいいこともあります」


 目線が、真っ直ぐ向く。


 逃げ場を残したまま、逃がさない目。


 「仕事があります」


 「危険はゼロではありません」


 「ですが、生活は安定します」


 事実だけを並べる。


 装飾がない。


 「……見ろとは言いません」


 ここだけ、少しだけ強調された。


 大輔の指先が、わずかに動く。


 沈黙。


 外の車の音だけが聞こえる。


 男はそれ以上話さない。


 急かさない。


 「……」


 大輔は小さく息を吐く。


 「……信用できる要素、ゼロなんすけど」


 男は頷く。


 「そうですね」


 否定しない。


 その姿勢が、逆に現実的すぎる。


 「今のままでもいいと思います」


 男が言う。


 一歩引く。


 「ただ——」


 少しだけ視線を落とし、


 「選べるうちに、選んだ方がいい」


 同じ言葉。


 電話と同じ。


 だが今度は、少しだけ重い。


 大輔はポケットの中で拳を握る。


 (……やっぱり)


 どこかで、この距離感を知っている。


 でも思い出そうとすると、霧がかかる。


 「今日はこれで」


 男は立ち上がる。


 名刺をテーブルに置く。


 「無理にとは言いません」


 それだけ言って、去る。


 残された名刺。


 大輔はしばらく見ない。


 手も伸ばさない。


 ただ、そこにある。


 (……誰やねん、ほんまに)


 胸の奥に残るのは、


 不安でも恐怖でもなく——


 “思い出せないことへの違和感”


 だった。

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