第31話:逸線
ほとんど寝ていない。
目を閉じても、残る。
声。
言葉。
断片。
混ざったまま、消えない。
(……うるさい)
起き上がる。
頭が重い。
でも、止まってくれない。
海田の言葉。
全部見ればいい。
迷わない。
組織の声。
制限。
監視。
澪の顔。
「もうええって」
全部、同時に浮かぶ。
(……ぐちゃぐちゃやな)
現場に向かう。
新しい場所。
木造。
土台の設置。
墨出し。
据え付け。
いつも通りの流れ。
でも。
集中できない。
視界の端。
動きが混ざる。
まだ動いていない手。
置かれていない資材。
でも――
見える。
(……なんやこれ)
確信はない。
でも消えない。
無視する。
見ないようにする。
作業に戻る。
木材を運ぶ。
合わせる。
固定する。
そのとき。
視界の奥。
崩れる。
資材。
音。
倒れる方向。
一瞬。
映像が重なる。
現実に戻る。
同じ場所。
同じ位置。
まだ何も起きていない。
でも。
(……来る)
体が先に動く。
「危ない!」
声が出る。
手を伸ばす。
押さえる。
隣の作業員の肩を引く。
次の瞬間。
ガタッ、と音。
資材がずれる。
でも、崩れない。
止まる。
沈黙。
「……あっぶな」
誰かが言う。
「たまたまやな」
軽く笑う声。
それで終わる。
誰も深く考えない。
でも。
大輔は動けない。
手が少し震えている。
「……今の」
小さく漏れる。
頭の中で、さっきの映像が再生される。
同じだった。
順番も。
角度も。
(未来……なんか)
言葉にしきれない。
でも。
ただの過去じゃない。
違う。
息を吐く。
思考が揺れる。
(見れば防げる)
一拍。
(でも、見すぎたら……)
崩れる。
分かっている。
体が覚えている。
少しだけ、目を閉じる。
「……使い方や」
小さく言う。
誰にも聞こえない声で。
そのとき。
ポケットが震える。
スマホ。
取り出す。
表示。
「本日任務あり」
短い通知。
いつもの文面。
一瞬だけ見る。
それから。
画面を閉じる。
返さない。
既読だけが残る。
(……知らん)
ポケットに戻す。
初めての感覚。
組織の指示を、外す。
そのまま動く。
現場を出る。
向かう先は、決まっていない。
でも。
引っかかっている場所がある。
さっきの断片。
似たような動き。
似たようなズレ。
足が向く。
歩く。
視界の端。
赤い点。
増えている。
でも。
前と違う。
流されていない。
自分で、選んでいる。
見るか。
見ないか。
一つずつ。
触れないまま、なぞる。
(……いける)
完全じゃない。
でも。
前よりは、分かる。
場所に着く。
少し人通りがある。
交差点。
荷物を運ぶ人。
自転車。
車。
どこでも起きそうな場所。
視界が揺れる。
断片。
同じ場面。
でも、少しずつ違う。
人の位置。
タイミング。
動き。
(……分岐してる?)
確信はない。
でも。
一つじゃない。
重なっている。
大輔は、その中を見る。
選ぶように。
強く出る流れ。
事故。
接触。
転倒。
それを外す。
視線を現実に戻す。
一人。
スマホを見ながら歩く男。
足元がずれている。
進行方向。
タイミング。
来る。
大輔は近づく。
「すいません」
声をかける。
男が顔を上げる。
一瞬、止まる。
その横を、自転車が通り抜ける。
ギリギリで外れる。
何も起きない。
「……あ、すいません」
男はそれだけ言って、去る。
終わる。
静かに。
でも。
(……変わったんか?)
さっき見た流れ。
起きたかもしれない事故。
今はない。
確証はない。
偶然かもしれない。
でも。
違う感覚が残る。
「……選べる」
小さく言う。
その瞬間。
頭に来る。
強い痛み。
こめかみが締まる。
視界が揺れる。
流れ込む。
断片。
一気に。
過去。
別の流れ。
別の結果。
混ざる。
(あかん)
膝が少し落ちる。
呼吸が乱れる。
でも。
止める。
目を閉じる。
意識を引く。
見ない。
追わない。
切る。
強制的に。
数秒。
長く感じる時間。
やがて。
静かになる。
完全じゃない。
でも。
崩れていない。
息を整える。
ゆっくり。
目を開ける。
現実が残っている。
(……いける)
前と違う。
流されていない。
少しだけ。
制御できている。
空を見上げる。
「……全部見んでもええ」
ぽつりと言う。
海田の言葉がよぎる。
全部見ればいい。
否定する。
そのままじゃ、あかん。
一拍。
足元を見る。
「……でも、何も見んのも違う」
静かに。
自分に言う。
間。
「その間で、生きるしかない」
誰もいない場所に、落ちる言葉。
風が少し吹く。
赤い点は、消えない。
でも。
距離は、少しだけ変わっていた。




