第27話:逸脱
車の中は、静かだった。
エンジン音だけが続く。
隣の男は、何も喋らない。
名前も名乗らない。
視線も寄越さない。
組織の人間。
それだけで、十分だった。
「単独行動は禁止や」
出発前に言われた言葉が、頭に残る。
(監視か)
横目で見る。
反応はない。
分かっているのか、いないのかも分からない。
車が止まる。
規制線。
閉鎖された現場。
降りた瞬間、空気が変わる。
音が少ない。
抑え込まれている感じ。
「入るぞ」
短い指示。
中に入る。
崩れた足場。
歪んだ鉄骨。
その瞬間。
来る。
映像。
勝手に。
人の動き。
足場の組み方。
手順。
何もしていない。
触れてもいない。
でも、流れる。
(……もう始まってる)
「必要な箇所だけ見ろ」
背後から声。
「余計なことはするな」
「……はい」
足場に近づく。
接合部。
荷重のかかる位置。
視線を向けるだけで、流れる。
最初は、整っている。
作業の順序。
組み上げ方。
(いける)
原因に辿り着ける。
そう思った瞬間。
混ざる。
同じ場所。
同じ人間。
でも——
違う手順。
先に固定する流れ。
後で締める流れ。
支点を変える流れ。
全部、違う。
でも。
どれも、成立している。
(……なんやこれ)
視線を固定する。
もう一度、追う。
現実を見る。
崩れた足場。
壊れた構造。
結果は、変わらない。
崩れている。
(崩れたんは事実や)
一拍。
(でも——)
映像を見る。
そこに至る流れだけが、増えている。
同じ崩れ方。
でも違う原因。
どれも“それで起きた”ように見える。
(どれも間違ってへん)
息が詰まる。
(でも、全部は同時に起きてへん)
理解が追いつかない。
「どうや」
背後から声。
答えなければならない。
どれも正しい。
でも、一つしか選べない。
(選ばなあかん)
強く見える流れに寄る。
無意識に。
「ここです」
短く言う。
同行者が記録する。
無駄がない。
でも。
(……違う)
胸の奥に残る。
別の流れが、消えていない。
視線が戻る。
(ちゃんと見れば分かる)
踏み込む。
許可されていない深さへ。
次の瞬間。
崩れる。
流れが増える。
過去。
別の過去。
さらに別の流れ。
重なる。
ズレる。
どれも“ありえた”。
どれも“それっぽい”。
頭が軋む。
「やめろ」
声が入る。
聞こえている。
でも。
(正しい方を——)
止めない。
さらに見る。
その中で、一つ。
強く見える。
(これや)
確信する。
無理やり。
「こっちです」
断言。
「……本当か?」
「はい」
確認に入る。
現実。
接合部。
荷重。
合わない。
ズレている。
沈黙。
「いや……さっきは……」
もう一度見る。
さらに増える。
どれも正しく見える。
どれも選べない。
思考が崩れる。
「中止だ」
冷たい声。
肩を掴まれる。
「切る」
何かを、こめかみに当てられる。
一瞬。
強いノイズ。
視界が白く飛ぶ。
次の瞬間。
静かになる。
映像が、消える。
現実だけが残る。
崩れた足場。
最初から、結果は一つだった。
呼吸が荒い。
「報告は保留」
淡々とした声。
感情がない。
「お前は——」
一拍。
「使えない可能性がある」
言葉が刺さる。
何も返せない。
否定できない。
車に戻る。
また無言。
窓の外を見る。
(……違う)
(まだ足りんだけや)
思考が残る。
(もっと見れば——)
帰り道。
また来る。
映像。
勝手に。
同じ現場。
違う流れ。
別の原因。
「……なんでズレる」
一拍。
「結果は一個やろ……」
視線が揺れる。
「なんで過去だけ増えんねん」
答えは出ない。
ただ、選べないままの“正しさ”だけが、残り続けていた。




