第20話:制御
床の最終確認で、墨を追っていた。
通りは出ている。
見切りも揃っている。
目地のラインをなぞる。
狂いはない。
それでも――
(……なんやろな)
集中が続かない。
視界の端に、赤い点が浮かぶ気がする。
見ていないふりをする。
でも、意識はそこに引っ張られる。
そのとき。
スマホが震えた。
ポケットの中で、短く、強く。
取り出す。
表示はない。
番号も出ない。
それでも分かる。
(……呼び出しか)
一度、床を見る。
まだ作業は残っている。
巾木の納まり。
最終の掃除。
本来なら、抜けるタイミングじゃない。
でも。
(行かなあかん)
顔を上げる。
「すいません、ちょっと外します」
軽くだけ言う。
理由は付けない。
付けられない。
代わりに、
「資材、取りに行ってきます」
そう付け足す。
嘘ではない。
でも、本当でもない。
「おう」
返事はそれだけだった。
誰も深く聞かない。
それが逆に、引っかかる。
(……見えてへんだけか)
道具を置く。
現場を出る。
足取りが、少しだけ速くなる。
施設の中は、いつもと違っていた。
人が多い。
足音。
会話。
慌ただしさ。
余裕がない。
空気が張り詰めている。
(……なんかあったな)
通される。
奥の会議室。
扉が開く。
中は――
見たことのない人数だった。
複数の部署。
見覚えのない顔。
その中に、
森川もいた。
一瞬、目が合う。
何も言わない。
でも、分かる。
(お前もか)
席に座る。
間もなく、前に立つ人間が口を開く。
「始めます」
一拍。
「前回共有した内容から、追加で確認できたことを報告します」
画面が切り替わる。
資料画面。
数字。
地点。
時系列。
「最近の異常についてですが――」
淡々とした声。
「発生件数が、明らかに増加しています」
画面が更新される。
点。
分布。
広がっている。
「原因は特定できていません」
「ただし、共通点があります」
一瞬だけ間。
「発生前に“微細なズレ”が確認されている」
頭の奥が、重くなる。
(……やっぱり)
「さらに」
続く。
「複数地点で、同様の異常が連鎖的に発生しています」
誰も口を挟まない。
空気が固い。
「未登録の能力者による介入の可能性が高いと判断しています」
名前は出ない。
でも、分かる。
(海田やろ)
別の声が入る。
「我々の役割について、再確認しておきます」
上位の人間。
「我々は、“止める”組織ではありません」
一拍。
「遅らせるための組織です」
静かに響く。
その言葉。
(止められへん……?)
別の席から。
「完全に止める方法は、現時点では確認されていません」
「だからこそ、管理する」
続く説明。
点の拡張を抑える。
危険な能力者の隔離。
情報の制御。
今までやってきたことの意味。
全部、そこに繋がる。
さらに。
声が少し落ちる。
「必要であれば——」
一瞬の間。
「消去も行います」
誰も反応しない。
でも、全員が理解している。
大輔は視線を落とす。
一つ一つが、今までの出来事と繋がる。
投稿動画が消えた理由。
接触の仕方。
距離の取り方。
どれも、偶然じゃない。
(……全部これか)
(……分かる)
でも。
(納得はできへん)
そのとき。
一人が口を開いた。
「……未来に関する発言が含まれている可能性は?」
空気が止まる。
一瞬。
全員の意識がそこに向く。
上位の人間が、即座に返す。
「その話は、ここでは扱わない」
切る。
完全に。
それ以上、誰も触れない。
(……なんやねん)
頭の奥に引っかかる。
澪の言葉。
あの事故。
見られている感覚。
繋がりかけて――
止まる。
「以上を踏まえて」
話が戻る。
「今後、単独行動は制限します」
方向が決まる。
そして、
「対象の特定を優先する」
さらに一歩踏み込む。
「詳細な協力内容については、個別に伝えます」
一拍。
「本日の共有は以上です」
会議は終わる。
名前を呼ばれる。
別の部屋へ通される。
扉が閉まる。
限られた人間だけが見ることができるような空気。
静かすぎる。
前の人間が操作する。
続いて、資料画面が切り替わる。
ほんのわずかな間。
そして。
画面に流れる映像。
過去の記録。
人の動き。
ズレ。
誘導。
何度も見た感覚。
でも、今回は違う。
範囲が広い。
点と点が、繋がっている。
「君には精度がある」
横から声。
「協力してもらう」
言い方は柔らかい。
でも。
断れる空気じゃない。
「対象の特定に関わってほしい」
大輔は画面を見たまま言う。
「……捕まえたら、どうするんですか」
一瞬の沈黙。
「状況次第です」
濁す。
でも、分かる。
(決まってへんか、言わへんか)
どっちにしても。
軽くない。
部屋から出る。
廊下。
空気が少しだけ軽い。
壁にもたれる。
息を吐く。
「中、どうやった」
横から声。
森川。
「……重い」
一拍。
森川は、少しだけ息を吐く。
「そらそうや」
少しだけ、視線をずらして。
「正しいことしてるやつほど怖いで」
静かに言う。
その言葉が、残る。
外に出る。
空気が違う。
現実の匂い。
でも。
頭の中は、まだ中にある。
海田は動かしている。
組織は抑えている。
自分は――
(どこや)
視界の端。
赤い点。
浮かぶ。
濃い。
前より、はっきりしている。
手は伸ばさない。
でも。
目が逸れない。
「……どっちも正しいんか?」
小さく漏れる。
答えは出ない。
ただ。
立っている場所だけが、
はっきりしなくなっていた。




