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第18話:踏み込む側

 タッカーの音が、一定のリズムで続いていた。


 ――パン、パン、パン。


 本来なら、何も考えなくても手が動く工程だった。


 実を合わせる。

 押さえる。

 打つ。


 それだけの繰り返し。


 なのに今日は、その“当たり前”が噛み合わない。


 差し込む。

 一瞬、遅れる。


 押す。

 感触が浅い。


(……またか)


 叩いて寄せる。


 収まる。


 問題はない。


 はずやのに、全部が後追いになる。


 前なら――


 先に分かっていた。


 どこでズレるか。

 どこで止まるか。


 今は、“起きたあと”しか見えない。


 ただの作業になっている。


「最近また増えてへん?」


 背後で声がする。


「何がっすか」


「あの事故やん」


 別のやつが応じる。


「ニュースでやっとった交通事故」

「ほら、トラック突っ込んだやつ」


「あー、あれな」


 一拍。


「でもさ、現場でも多ない?」


「昨日もどっかでケガ出たらしいで」


「資材落ちたとかなんとか」


「なんか続いてるな」


「気ぃつけやんとな」


 軽い会話。


 いつもなら流す。


 でも。


 手が止まる。


 ――増えてる。


 頭の奥に、あの映像が浮かぶ。


 家具が落ちる瞬間。

 ほんの数センチのズレ。


 分岐。


 寄せた側。


 あれが、一つじゃないとしたら。


(……関係ないわけないやろ)


 無意識に、タッカーを握る手に力が入る。


 ――パン。


 音が、やけに強く響いた。


 休憩。


 外に出る。


 ベンチに座る。


 水を飲む。


 味がしない。


 頭の奥が重いまま、抜けない。


 視界の端に、赤い点が浮かびかける。


 瞬き。


 消える。


(……やめとけ)


 目を逸らす。


 そのとき。


「仲村さん」


 後ろから声。


 低い。


 逃げ場を作らない声。


 振り返る。


 ――佐伯。


 前に会ったときより、距離が近い。


 立ち位置が違う。


 “来ている”。


「……なんですか」


「ちょっといいですか」


 選択肢はない。


「……ここでですか」


「場所、変えましょう」


 間を与えない。


 立たされる。


 現場から少し離れた路地。


 人通りはない。


 音も遠い。


 妙に閉じている。


 佐伯が止まる。


 距離は近いまま。


「最近の事故、知ってますよね」


 いきなり核心。


「……交通事故はニュースで見ました」


 そこだけ出す。


 それ以上は出さない。


 一拍。


 佐伯の視線が、わずかに強くなる。


「現場での事故のことも」


 呼吸が止まる。


 喉が詰まる。


 ――どこまで知ってる。


 答えない。


 動かない。


 でも、それが答えになる。


「現場、重なってるんですよ」


 静かな圧。


「タイミングも」

「状況も」

「説明のつかないズレ方も」


 言葉が、まっすぐ刺さる。


「あなたも関わってます?」


 直球。


 逃げ道がない。


「関係ないです」


 即答。


 それしか言えない。


 佐伯は何も言わずに見る。


 数秒。


 長い。


 測られている。


 耐えきれず、視線を逸らす。


「……まあいいです」


 一歩引く。


 でも終わらない。


「一人、追ってる人間がいます」


 空気が変わる。


「金の流れが妙で」

「現場への出入りも多い」

「説明のつかない案件ばかり関わってる」


 心臓が強く鳴る。


 ――海田。


 名前は出ない。


 でも、分かる。


「心当たり、ありますよね」


 静かに刺す。


 沈黙。


 言えない。


 言ったら終わる。


「あなた、そいつと同じ側ですか?」


 最悪の質問。


 喉が動かない。


 違うと言い切れるか。


 関わっているのは事実。


 でも――


 同じ側なのか。


 答えが出ない。


 沈黙が続く。


 佐伯は、そのまま見ている。


 焦らない。


 追い詰めるだけ。


「捕まえるつもりです」


 はっきり言う。


 迷いがない。


「普通のやり方じゃ無理でも」


 一瞬だけ、含み。


 ――知っている。


 全部じゃない。


 でも、“普通じゃない領域”の存在を。


「協力してくれませんか」


 差し出される選択。


 共闘。


 でも、逃げ道ではない。


「表には出しません」

「あなたも守る」


 条件は整っている。


 ように見える。


 でも。


 森川。

 海田。

 佐伯。


 全部違う。


 全部、正しい気がして。


 全部、危ない。


(……どこにも乗られへん)


 息を吐く。


「……無理です」


 はっきり言う。


 逃げない拒否。


 佐伯は、わずかに目を細めて――


「そうですか」


 それだけ。


 あっさりしている。


 でも。


「じゃあ、巻き込まれないように気をつけてください」


 言葉が重い。


 警告。


 それとも宣告。


 どっちでもある。


 すれ違いざま、


「……次会うとき、立場違うかもしれませんね」


 小さく言って、去る。


 足音が遠ざかる。


 一人になる。


 静かすぎる。


 逃げ場がない感覚だけが残る。


 スマホが震える。


 ――海田。


 画面を見る。


「次、でかいのやるで」


 短い。


 軽い。


 でも重い。


 同時に。


 視界の端。


 赤い点。


 前より、濃い。


 逃げる道と、踏み込む道が重なる。


「……逃げられへん」


 小さく呟く。


 答えは出ないまま。


 画面が暗くなる。

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