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第17話:同じ景色

 タッカーの音が、妙に乾いて聞こえた。


 フロア材は、朝の湿気をわずかに抱えたまま並んでいる。

 触れると冷たいはずなのに、感覚が一瞬遅れる。


 木の匂いだけが、はっきりしていた。


 大輔はフロア材を抱えたまま、立ち止まっていた。


 ――遅い。


 自分でも分かる。


 次の動きが、ワンテンポ遅れる。

 頭の中で工程が繋がらない。


 前は違った。


 見れば分かった。

 流れが自然と“先に”見えていた。


 今は、それがない。


 ただの現場になっている。


「おい」


 後ろから声。


 振り返ると、森川がいた。


「お前、顔やばいで」


 軽い言い方。


 でも、視線が鋭い。


「……寝不足っす」


 短く返す。


 自分でも雑だと思う。


 森川は数秒、何も言わずに見る。


 逸らせない。


 結局、大輔の方が先に目を外した。


「……まぁええけど」


 それだけ言って、離れる。


 ――分かってる。


 踏み込まれてないだけや。


 午前の作業。


 ミスまではいかない。


 でも、全部が鈍い。


 材を取る位置。

 身体の向き。

 次の段取り。


 わずかにズレる。


 その“わずか”が積み重なる。


「大輔、それ逆や」


「あ……すいません」


 持ち替える。


 判断が遅い。


 周りに合わせるだけで精一杯になる。


 ふと、床を見る。


 何もない。


 赤い点も、ズレも。


 ただの木。


(……普通や)


 そう思うのに、


 どこか足りない。


 昼過ぎ。


 資材を運ぶときだった。


 角を回るタイミングで、足が止まる。


 ――一瞬、迷う。


 その間に、バランスが崩れかける。


「おい」


 横から手が入る。


 森川だった。


 何事もなかったように支える。


 そのまま、位置を戻す。


「……何してんねん」


「……すいません」


「謝る前に見ろ」


 低い声。


 怒鳴らない。


 でも、刺さる。


 一拍。


 森川は大輔の顔をもう一度見る。


「終わったら、ちょっとええか」


 それだけ言って、離れた。


 帰れとは言わない。


 でも、“話はする”という温度だった。


 作業は最後までやった。


 終わりが近づくにつれて、少しだけ身体が戻る。


 それでも違和感は消えない。


 片付けを終え、現場を出る。


 森川が待っていた。


「行くで」


 短い。


 ついていく。


 近くの公園。


 人はいない。


 ベンチの横で止まる。


「で?」


 森川が言う。


 それだけ。


 逃げ場はない。


 大輔は少しだけ黙って、


 観念したみたいに口を開いた。


「……昨日、触りました」


 森川の目が、わずかに細くなる。


「分かっとる」


「顔で」


 淡々と返す。


 続けるしかない。


「仕事で……」


「海田ってやつに」


「見せられて」


 言葉を選びながら話す。


 全部じゃない。


 でも、隠しても意味がない部分は出す。


 家具のこと。

 分岐。

 寄せたこと。


 そして――


「……その後、起きました」


 森川は何も言わない。


 最後まで聞く。


 風の音だけが通る。


 話し終わると、少し間が空いた。


「……アホやな」


 ぽつりと。


 でも、怒ってない。


 呆れと、少しの苦笑。


 それで終わり。


 それだけで、少し楽になる。


「……俺のせいかもしれん」


 自然に出た。


 割れた家具。

 怒鳴り声。

 あの空気。


「ちゃう」


 即答。


 間がない。


 大輔が顔を上げる。


「触るやつは他にもおる」


「お前だけちゃう」


 事実として言う。


 慰めじゃない。


「……でも、関わりました」


「それは事実やな」


 そこは引かない。


 だから重い。


「じゃあ……どうしたらいいんですか」


 問い。


 自分でも答えを持ってない問い。


 森川は少しだけ考えて、


「距離取るしかない」


 と言った。


 シンプルすぎる。


「それで済むんですか」


「済まんで」


 すぐ返る。


「でも、それしかない」


 逃げじゃない。


 割り切り。


 現実。


「……止めなあかんのちゃうんですか」


 思わず出る。


 森川が少しだけ視線を上げる。


「誰が?」


 静か。


 でも、重い。


 言葉が詰まる。


 自分が?


 組織が?


 誰が止める?


 答えが出ない。


「俺は関わらん」


 森川が言う。


「それが俺の選択や」


 迷いはある。


 でも決めている声。


 それを聞いて、


 大輔の中で何かが引っかかる。


「……逃げてるだけちゃいます?」


 出てしまう。


 自分でも分かる。


 これは責めている。


 一瞬だけ、空気が止まる。


 森川は――


「せやで」


 あっさり言った。


 否定しない。


 開き直りでもない。


 ただ認める。


「でもな」


 一拍。


「全部背負う方がアホや」


 静かに言う。


 強くない。


 でも、揺れない。


 大輔は何も返せない。


 正しい気がする。


 でも、それでいいとも思えない。


 同じ景色を見てるのに、


 立ってる場所が違う。


 帰り際。


「無理すんな」


 森川が言う。


 それだけ。


「……はい」


 それ以上は出ない。


 距離は少し近づいて、


 でも、ほんの少しズレた。


 一人になる。


 頭の中で、言葉が回る。


 距離を取る。

 関わらない。


 止めるべき。

 でも誰が。


 どっちも正しい。


 どっちも足りない。


 視界の端。


 赤い点。


 前より、濃い。


 手を伸ばしかけて、


 止まる。


 ほんの一瞬。


 迷う。


 それでも。


 触れる。


 わずかに世界が揺れる。


「……俺はどっちや」


 答えは、まだない。

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