第16話:結果
朝の現場は、まだ少し湿気を含んでいた。
合板の上に並べたフローリング材が、うっすら冷えている。
段ボールをめくると、木の匂いが立つ。
突板の複合フローリング。
狂いは少ないが、油断すると“逃げる”。
大輔は一枚手に取り、軽くしならせる。
反りはない。
実を合わせて、噛みを見る。
「一列目、通り見とけよ」
「はい」
墨に沿って、一列目を決める。
――カン、カン。
タッカーの音が続く。
二列目に入ったところで、違和感が出た。
板を寄せたとき、ほんのわずかに隙が出る。
(……ん?)
押せば入る。
でも、墨のラインと感覚が合わない。
目を落とす。
墨は真っ直ぐ。
それでも一瞬だけ、二重に見えた。
(気のせいか)
叩く。
収まる。
問題はない。
でも。
(……なんやろな)
違和感だけが残った。
昼前。
スマホが震える。
――海田。
「ちょい手伝ってほしい仕事あるわ」
一度閉じる。
床を見る。
問題ない。
(……やめとけ)
でも。
既読をつける。
「内容は?」
「現場確認だけや」
「軽いやつ」
短い。
(……それなら)
「夕方なら行けます」
送信。
現場は、街中の新築だった。
中はほぼ完成。
床も仕上がっている。
養生も丁寧だ。
(ええ現場やな)
「奥な」
電話越し。
「リビング側」
「……なんで分かるんですか」
「見えるからや」
軽い。
リビング。
広い。
「明日 家具搬入予定」
張り紙。
大輔はしゃがむ。
手を伸ばす。
床。
その上。
赤い点。
(これくらいなら)
触れる。
視界が切り替わる。
人の出入り。
掃除。
そして――
ズレ。
台車の角度。
手の位置。
足の位置。
ほんの数センチ。
(……なんやこれ)
集中する。
高そうな家具。
大きい。
木製キャビネット。
運ぶ。
途中。
養生。
段差。
ほんの少し。
引っかかる。
崩れる。
――落ちる。
鈍い音。
割れる。
「うわ、やば……」
「そこや」
海田。
「今のとこ」
「……これ、なんですか」
「分岐や」
「どっちにも転ぶとこ」
一拍。
「そこ、条件ええねん」
「……条件?」
「寄りやすいってことや」
頭痛。
映像が重なる。
落ちる。
落ちない。
(やめろ)
「ちょっと寄せただけや」
「……なんでそこなんですか」
海田、少し笑う。
「向こうも困ってるみたいやからな」
「……向こう?」
「気にせんでええ」
帰る。
頭が重い。
(まだ起きてない)
そう思う。
翌日。
昼過ぎ。
別件の用事で、あの現場の近くを通る。
(……寄る必要ないやろ)
足が止まる。
でも。
少しだけ中を覗く。
玄関。
靴が多い。
声がする。
荒い。
「雑な仕事しやがって!」
「どないすんねん!」
「賠償と慰謝料や!」
業者のふりして中に入る。
リビング。
――あの場所。
床。
そして。
割れた家具。
角が欠けている。
運搬業者は平謝り。
「申し訳ありません……!」
施主が詰める。
「こんなんで済む思てんのか!」
その横で――
ハウスメーカーらしき男。
少し距離を取って、腕を組んでいる。
「本社には報告します」
淡々とした声。
「……業者指定、外れるかもしれませんね」
空気が凍る。
運搬業者の顔が変わる。
怒鳴り声の中。
その男が――
ほんのわずかに、
口元を緩めた。
(……起きた)
さっき寄せた方が。
大輔は動けなかった。
視線が、床から離れない。
怒鳴り声が、少し遠くなる。
そのとき。
背後で、足音が止まる。
現場のざわめきに紛れて、気配だけが近い。
「なんや、顔悪いで」
後ろから声。
一瞬遅れて、振り返る。
森川が立っていた。
「なんで……」
「通りがかりや」
一拍。
「点、荒れてたやろ」
軽く顎で中を示す。
「見とったら、お前が入ってくの見えた」
「……いや」
うまく言葉が出ない。
森川は床を見る。
少しだけ目を細める。
「……触ったやつおるな」
軽く言う。
でも。
背中が冷える。
「……分かるんですか」
「匂いや」
「荒れてる」
スマホが震える。
海田。
「どうやった?」
見ない。
続けて。
「な、ええやろ」
さらに。
「これで話進むわ」
視線が、割れた家具に戻る。
怒鳴り声。
謝罪。
追い詰められる顔。
便利。
使える。
でも。
壊れている。
人じゃない。
でも。
関係が。
思い出す。
「関わるのはやめた方がいい」
外に出る。
空気が軽い。
でも。
頭は重い。
視界の端。
赤い点。
前より、濃い。
(……見ん方がよかったんかな)
小さく思う。
でも。
目は逸らせなかった。
どこかで。
誰かが、
うまくいったと笑っている気がした。




