第13話:匂い
昼前。
組み上がりかけた現場の中は、木の匂いが強かった。
天井はまだ抜けていて、光がそのまま落ちてくる。
梁の影が斜めに走り、床に線を作っている。
その中で、大輔は一人、材料の端を整えていた。
ノミを軽く当てて、毛羽立ちを落とす。
刃の入りが浅いと、余計に木が荒れる。
(……乾いてきてるな)
触った感触で分かる。
少し前よりも軽い。
——そのとき。
スマホが震えた。
ポケットから取り出す。
画面を見る。
「本日、案件対応お願いします」
組織からの呼び出しだった。
午後。
車で移動しながら、資料に目を通す。
窃盗事件。
小さな事務所。
被害額も大きくない。
犯人も、ほぼ特定済み。
(……これ、確認いるか?)
ページをめくる手が止まる。
違和感。
「これ、もう犯人おるんちゃうんですか」
助手席の男に聞く。
男は前を見たまま答える。
「念のための確認です」
短い。
それだけ。
でも——
(……念のため?)
引っかかる。
現場は、小さな事務所だった。
ガラス扉。
古いカウンター。
生活感の残る空間。
荒らされた形跡はあるが、雑ではない。
整っている。
(……なんか、変やな)
「お願いします」
男に言われる。
大輔は軽く頷く。
カウンターに手を置く。
木の表面。
細かい傷。
長年使われた跡。
その奥に——
“ある”。
軽く触れる。
——接続。
視界が切り替わる。
夜。
シャッターが半分閉まっている。
男が一人、入ってくる。
顔は見える。
資料の写真と一致。
動きは静か。
無駄がない。
引き出しを開け、
金を取り出し、
戻す。
——迷いがない。
(……まあ、こいつやな)
そのとき。
一瞬だけ——
視界が“ズレた”。
別の角度。
上でも横でもない。
“どこでもない場所”から見ているような視点。
(……なんや今の)
一瞬で戻る。
元の視点。
犯人は、そのまま出ていく。
再生が終わる。
現実に戻る。
大輔は手を離す。
少しだけ息が荒い。
(……今の、何や)
もう一度、触れる。
同じ時間。
同じ動き。
だが——
さっきの“視点”は出ない。
(……気のせい?)
いや。
違う。
残っている。
違和感だけが。
さらに気になるのは——
犯人の動き。
迷いがない。
“知っている”動き。
(……初めてちゃうんか?)
現実に戻る。
「どうですか」
男が聞く。
「犯人はこの人です」
写真を指す。
男は黙って頷く。
少し間があって、
大輔が聞く。
「……これ、なんで確認必要やったんですか」
男は答えない。
数秒の沈黙。
「“誰が見たか”の確認です」
大輔は一瞬、言葉を失う。
「……は?」
男はそれ以上話さない。
帰り道。
車の中。
(誰が見たか……?)
意味が分からない。
でも、
嫌な感じだけが残る。
現場近くで降ろされる。
歩き出すと、前から見覚えのある顔が来た。
森川だった。
「あれ、またおるやん」
いつもの調子。
「……森川さん」
並んで少し歩く。
「最近、変なことないですか」
大輔が聞く。
森川は即答する。
「変なことしかないで」
軽い。
でも本音。
少し間。
森川がふと空を見て、言う。
「……匂い、変わってきてるな」
「匂い?」
「点の出方や」
大輔は黙る。
「荒いんや」
森川は続ける。
「増え方も、なんかおかしい」
「……なんで分かるんですか」
「長いこと見てるとな」
肩をすくめる。
「誰か触りすぎてる」
その一言で、空気が変わる。
(……誰か)
「他にもおるんですよね」
森川は即答する。
「おるで」
少しの間。
「関わらん方がええ」
今までより、少しだけ重い声。
大輔は何も言えない。
夜。
部屋。
一人。
今日の映像が、頭の中で再生される。
犯人。
無駄のない動き。
そして——
“あの視点”。
(……あれ、人ちゃう)
言葉にしてみる。
しっくりくる。
さらに思考が繋がる。
迷いがない動き。
知っている手順。
(……見てから動いてる?)
一瞬、寒気が走る。
つまり——
“過去を見て、動いている人間”がいる。
スマホが震える。
通知。
知らない番号。
開く。
「その仕事、楽やろ?」
指が止まる。
続けて届く。
「もっと稼げるで」
既読がつく。
大輔は画面を見つめたまま、動かない。
ゆっくりと閉じる。
部屋が静かになる。
でも——
さっきまでより、静かじゃない。
“誰かがいる”気配だけが、残る。




