第10話:見せるもの
夜。
携帯が震える音で目が覚めた。
暗い部屋の中、ぼんやりとした意識のまま画面を見る。
表示は、あの番号。
少しだけ間を置いてから、出る。
「……はい」
『お時間よろしいですか』
いつもの声。
抑揚がなく、感情が見えない。
「依頼ですか」
『はい。警察経由です』
短い説明。
それだけで、内容の重さが分かるようになっていた。
大輔は小さく息を吐く。
「……またですか」
『今回は結果が求められています』
その一言だけ、わずかに重かった。
(間)
現場は、住宅街の中の道路だった。
昼間。
車も人も、普通に通る場所。
ただ、アスファルトの一角だけが、少し違って見える。
立ち止まると、自然とそこに目がいく。
何かがあった場所。
言葉にしなくても分かる。
「この辺りです」
警察の男が指差す。
スーツだが、どこか現場慣れしている雰囲気。
「目撃証言が曖昧でして」
淡々とした口調の奥に、焦りが滲んでいる。
「遺族が納得していないんです」
その言葉だけ、少し重く落ちた。
大輔は頷く。
「……確認します」
もう、躊躇いは前ほど長くない。
ゆっくりとしゃがみ込み、手を地面に近づける。
視界の端。
赤い点が、薄く並んでいる。
以前より、はっきりしている。
触れる。
一瞬で、空気が変わる。
夜。
街灯の下。
同じ場所。
車の音。
足音。
人の気配。
断片が流れ込む。
大輔は息を整えながら、少しずつ“調整”する。
まだ粗い。
狙った場所に、うまく合わない。
それでも、前よりは動かせる。
少し戻す。
少し進める。
見える。
車。
歩いてくる人影。
何気ない一瞬。
そのまま進む。
衝突。
鈍い音。
身体が跳ねる。
それだけ。
派手さはない。
現実の事故は、思っていたよりも静かだった。
(……これだけか)
そう思いかけた、そのとき。
違和感。
ほんの一瞬。
被害者の動きが、わずかにズレる。
タイミング。
一歩。
ほんのわずか。
(……なんや今の)
大輔は、もう一度そこを追う。
深く見る。
少し無理に、踏み込む。
瞬間。
別の映像が混じる。
同じ場所。
同じ時間。
でも——
被害者が止まる。
車は、そのまま通り過ぎる。
何も起きない。
(……は?)
次の瞬間には消えていた。
元の流れに戻る。
事故は、起きている。
意識を引き戻す。
頭の奥が鈍く痛む。
「……っ」
軽くこめかみを押さえ、視線を外す。
現実に戻る。
昼間の道路。
何もなかったように、人が通る。
立ち上がる。
少しだけ、足元が不安定になる。
「どうでした?」
警察の男。
すぐに結果を求める目。
大輔は、少しだけ黙る。
頭の中に、二つの“結果”が残っている。
事故が起きた現実。
起きなかった可能性。
「原因は?」
問いはシンプルだった。
でも、答えは一つじゃない。
少しだけ間を置く。
「……避けるのは、難しかったと思います」
言葉を選ぶ。
断定しない。
でも、方向は示す。
警察の男は、わずかに眉を寄せる。
「過失は?」
「……大きなものは、なかったかと」
曖昧。
だが、嘘ではない。
男は小さく頷くが、納得しきれていない。
「そうですか……」
責任の所在がぼやける。
それが分かる反応だった。
その横で、組織の男は何も言わない。
ただ一度だけ、大輔を見る。
現場を離れる。
歩きながら、何も言わない時間が続く。
やがて、男が口を開く。
「それで問題ありません」
あっさりとした声。
大輔は横目で見る。
「……そうですか」
納得しているわけではない。
でも、否定もしない。
「情報は、多いほど正しいわけではありません」
続く言葉。
「必要な形で提示されるべきです」
足が止まりかける。
(……必要な形)
頭の中に、さっきの“別の映像”がよぎる。
「……でも」
言いかけて、止まる。
何を言えばいいのか分からない。
男はそれ以上、何も言わない。
歩き続けるだけ。
別れたあと。
一人になる。
歩道に立ち止まる。
人の流れ。
車の音。
いつも通りの街。
ふと、さっきの場所の方向を見る。
当然、何も見えない。
その瞬間。
一瞬だけ。
視界の端。
事故が起きなかった“方”が、よぎる。
歩き去る背中。
何も起きない夜。
すぐに消える。
「……どっちがほんまなんや」
小さく呟く。
答えはない。
信号が変わる。
人が歩き出す。
大輔も、それに合わせて歩き出す。
ポケットの中の手が、無意識に握られる。
何を掴んでいるわけでもないのに。
「……」
言葉は続かない。
ただ、分かってしまう。
見えるものが増えるほど、
分からなくなる。
そのまま、人の流れに紛れていく。
静かに。
確かに。
戻れない側で。




