五月二四日
「はやくん、おはよ」
「ん、おはよう」
鳥の鳴き声を聞きながら一日が動き出す時間帯。
そんな声と一緒に身を寄せてくる桃香を抱きしめる。
「……」
髪と背中をそっと撫でていつも幸福を感じる時間。
いくつかある大切な習慣の一つ。
「……?」
そうしている中、とある違和感。
いつも隼人が撫でている間、幸せそうに胸の辺りに頬ずりしてくる桃香が動かない。
そういえば、抱き締める直前にいつも漏らす蕩けそうなくすぐったい声もなかった。
さっき顔を見た時は決して調子悪そうな感じではなかったし……どうしたのだろう。
「桃香」
「うん」
「何か、あったのか?」
そっと身を離して、ただし恋人同士の距離で顔を覗く。
少しだけ萎んだ顔。
隼人が絶対に許容できない表情。
「今朝起きたときに気付いたんだけどね」
「ああ」
「昨日、なんだけど」
昨日。
一緒に噴水や構内の水辺が綺麗な公園に少し遠出して来た。そんな学生らしいデート。
「わすれてたな、って」
「え?」
二人でシートを広げてサンドイッチと焼き菓子を食べた後とかはきちんと確認して片付けた筈。
貸しボートから降りる時も同上で、帰りに桃香が少しうとうとしている時も注意はしていた。
一緒に子供たちが居ない時に水遊びの出来る小川に手を繋いで入った時だって少し腰を支えたくらいで何事も無くて。
ツーサイドアップを飾っていたリボンも最後に家の前で手を振る時まで無事だったし……。
ただ、桃香が沈むなんてかなり大事なものの筈。
「わかった」
「はやくん?」
「俺、一回見に行ってくる」
昨日立ち寄ったスポットは全部寄って、あと電車の中だったらどうするか。
そんな風に頭を回していると。
「あ、えっとね」
「うん」
「忘れ物じゃなくって」
「ん?」
モノじゃなく忘れたこと、か?
でも、先週ずっと窓辺に下げたてるてる坊主を突きながら楽しみにしていた桃香が計画していたことは全部やって来たし。
突発で入れたことも含めて昨夜のお休み前も満足そうに笑ってくれていたのに。
一体なんだろうか?
時々母が嘆く店の古いPCが処理中に表示する砂時計を脳内に出して考え込んでいると。
「えっと、ごめんね」
「うん?」
「はやくん、頭ぐるぐるしてるお顔」
ちょん、と鼻先をつつかれる。
その後、隼人の肩を支えにして桃香が背伸びして吐息が重なる。
「昨日って」
「ああ」
「キスの日、だったのって……知ってた?」
「……まあ、一応」
何だったら、先週学校でいつもの面子に煽られたし。
「わたし、おでかけ前までは覚えてたんだけど……楽しくって忘れちゃってた」
「……うん?」
「はやくんに言ったら、いっぱいしてくれるかな? って思ってたのに」
「……」
一瞬固まった頭が、昨日の記憶を遡る。
とは言え。
「……足りなかった、か?」
「そんなことはないけど」
休日だったのもあって断じて普段より回数が下回るなんてことも無かったし。
何だったら、衝動的に人目を盗んで木陰で一瞬とはいえ、した。
「ただ、ちょっと、言うのをわすれちゃってたな、って」
「そっか」
同じように同じことを思い出していたのか。
立ち直りつつある表情の頬を突いてから。
「わ」
額にして。
それから口元に移動する。
「ちなみにそれって」
「うん」
「絶対に昨日じゃないと駄目か?」
そう尋ねて、もう一度。
「そんなこと」
「ん」
「ぜったいに、ない……ね♪」
「よ、な?」
今度は手を捕まえてそこに。
「はやくん」
「ん?」
「サービス、すごいね」
「……桃香がそう言ったんだ」
「うん、ありがと……だいすき」
胸に飛びついた桃香が、いつものように甘える頬擦りをして。
ああ、いつも通りで安心する……そんな吐息を漏らしたら。
「はやくん、はやくん」
「ああ」
「今日は、お勉強とおうちデートのご予定ですけれど」
「はい」
「……サービス期間っていつまでですか?」
「……」
重要事項を確認する声色でそんな質問が。
「本日中?」
「善処、します」
「えへ……やったぁ」
喜色しかない反応に、そんなに好きか? と一瞬だけ思ったものの。
昨日と今と、今までの行いが全部返って来る……黙るしかない。
「じゃあ、また朝ご飯の後で、ね?」
「ん」
大体発生確率67%の、朝の習慣終了時のキスをしてから。
自分の部屋に戻ろうとしたところを。
「あ、はやくん」
「ん?」
「あのね」
まだ忘れ物か? と振り返ったところに。
「そういえば、ね」
「きのうって、ラブレターの日、でもあったみたいよ?」
それいけバカップル。




