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冷血の花は愛に散る  作者: 神城零
第二章「情緒宿す麗しき怪物」
9/16

第二話「嫉妬の針は薔薇のようで」

 7月下旬。

 品川の廃倉庫から回収したハードディスクの解析作業は、私のタワーマンションのリビングで夜通し行われていた。


「ピュアさん、暗号化の解除に成功しました」


 マルチモニターの前に座っていた蓮が、充血した目をこすりながら報告してきた。彼がキーボードを叩くスピードは、私が教え始めた1ヶ月前に比べると格段に速くなり、もはや組織の専門のハッカーにも引けを取らないレベルに達していた。


「ご苦労様。中身はどうなっているの?」

「バベルのダミー組織と思われる複数のアカウント間の通信ログと、取引の台帳データです。……これ、すごい量ですよ。薬物の流通経路だけじゃなく、資金洗浄のルートまで詳細に記録されています」


 私は彼が展開したスプレッドシートのデータを背後から覗き込んだ。

 画面をスクロールするごとに、莫大な金額の数字と、暗号化された取引場所の座標が羅列されていく。

 そして、1つの日付と座標のデータが、私の目に留まった。


「蓮。この1番新しいスケジュールデータ、明後日の深夜に設定されているわね。場所は東京湾岸の大型コンテナターミナル。取引の規模は……これまでの数10倍のロットよ」

「はい。ログの文脈から推測するに、海外から密輸された新型の合成薬物が、1度に大量に陸揚げされるタイミングみたいです。バベルの関連組織の幹部連中も、この取引のために1斉に集結する手はずになっています」


 私はその情報を脳内で即座に処理した。

『あの方』と呼ばれる黒幕が、東京の地下にばら撒いている未知の薬物。それが1箇所にこれほどの規模で集まるということは、敵の主要な兵站を物理的に叩き潰す最大のチャンスを意味している。


「完璧よ、蓮。アドにこのデータを暗号化して送信しなさい。大規模な殲滅作戦を提案するわ」

「了解しました」


 彼は迷いなくキーボードを叩き、データを霞ヶ関のサーバーへと転送した。

 これが、私の予測不能な日常にさらなる劇的な変化をもたらす、巨大な作戦の引き金となったのだ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 翌日の午後。

 霞ヶ関にある『天秤』の事務所の、最も広い地下会議室。

 私がロータスを伴って会議室の重厚な扉を開けると、そこには普段の少人数のブリーフィングとは明らかに異なる、異様な熱気と多種多様な人間の気配が充満していた。


「おっ、来たなピュアちゃん! ロータスの坊主も!」


 1番に声をかけてきたのは、虎柄のスカジャンを着たタイガーだった。彼は会議室の大きな円卓に腰掛け、豪快に笑っている。

 そして、その円卓の周囲には、私がこれまで顔を合わせたことのない4人の見知らぬメンバーの姿があった。


「今回の案件は規模が規模だ。うちの組織の遊撃部隊を総動員することになった」


 円卓の上座で葉巻を吹かしながら、アドが静かに告げた。

 私の視線は、自然と初対面の4人のメンバーたちへと向けられた。


「ガハハハッ! アドの旦那から話は聞いてるぜ。あんたが1人でバベルの30人を1分で片付けたっていう、噂のルーキーだな!」


 タイガーの隣で豪快に笑い声を上げたのは、身長190センチメートルはあろうかという、筋骨隆々の巨漢だった。20代前半ほどの若い男だが、そのガタイの良さはちょっとした熊のようだ。着ているカーゴパンツのポケットからは、導火線のようなものが見え隠れしている。


「俺はファイアだ。よろしくな! 爆発物とド派手な花火なら俺に任せとけ!」

「バベルの連中を片付けたのはアリスと1緒によ。……物理的な破壊力には優れていそうだけれど、隠密行動には致命的に不向きな質量ね。私はピュアよ。よろしく」


 私が冷静に評価を下すと、ファイアは「きっついなー!」とケラケラ笑いながらタイガーの肩をバンバンと叩いた。どうやらこの2人は、脳の構造が極めて近い同類のようだ。


「ふふっ、初めまして、ピュア。君の噂は僕も聞いているよ」


 次に声をかけてきたのは、円卓の隅で壁に寄りかかっていた人物だった。

 色白で、色素の薄い短髪。身長は170センチメートルほどで、骨格が細い。顔立ちが極めて整っており、声のトーンも高くも低くもないため、男性なのか女性なのか、視覚情報だけでは瞬時に判別がつかない中性的な外見をしていた。


「僕はルミナス。遠距離からの狙撃を専門にしている。君の計算された射撃技術、1度見てみたかったんだ」

「中性的な容姿ね。あなたのその異常に発達した瞳孔のサイズと虹彩の色素の薄さは、夜間視力や動体視力に特化した遺伝的特性かしら」

「ご名答。僕の目は、暗闇でも1キロ先の標的の瞬きを視認できる。スコープ越しの世界は、僕にとって庭みたいなものさ」


 ルミナスは妖しく、しかし友好的な笑みを浮かべた。

 遠距離の精密狙撃。私の手持ちの武器の中にもスナイパーライフルはあるが、私の本来の専門は中近距離での圧倒的な制圧だ。彼(あるいは彼女)の眼球のスペックは、論理的に考えて非常に有用な戦力になる。


「俺はレイだ。……まあ、よろしく頼むわ」


 ルミナスの隣の椅子に気だるげに座っていた、痩せ気味の男が短く挨拶をした。

 身長はルミナスと同じくらいだが、神経質そうな細い目つきをしており、常に周囲の空間を観察しているような鋭い視線を投げかけている。


「レイは『第6感』の持ち主だ」


 アドが葉巻の煙を吐き出しながら補足した。


「現場のわずかな環境の変化、敵の筋肉の動き、空気の微細な流れから、次に敵がどう動くかをコンマ数秒先まで『予測』できる。理屈じゃねえ直感だが、こいつの予測は外れたことがねえ」

「第6感……。つまり、脳の無意識領域が視覚・聴覚情報を超高速で統合処理し、パターン認識として出力している状態ね。非科学的というよりは、高度な無意識演算の賜物だわ」

「……あんた、アドの言う通り理屈っぽいな。まあ、俺の直感が役に立つなら好きに使ってくれ」


 レイが肩をすくめる。

 そして、最後の1人。

 私の視線は、円卓の反対側でアリスの隣にちょこんと座っている、小柄な少女へと向けられた。


 身長は150センチメートルあるかないか。20代前半のはずだが、10代の少女のように華奢で色白な女性だった。

 彼女は1言も発することなく、ただ無表情で、手元の小さなポーチから取り出したキャンディを口に放り込んでいる。

 腰の左右には、彼女の体格には不釣り合いなほど大型の拳銃が2丁、ホルスターに収められていた。


「この子はクォーツだよ! ピュアちゃん、初めましてだよね!」


 アリスが嬉しそうに少女の肩を抱き寄せた。

 クォーツと呼ばれた少女は、アリスに抱きつかれても表情1つ変えず、ただ私を見て、コクリと1度だけ小さく頷いた。


「クォーツは昔から私と仲良しでね! すっごく無口なんだけど、2丁拳銃の腕前は組織でもトップクラスなんだから!」

「……」


 クォーツは喋るかわりに、自分のポーチをごそごそと漁り、カラフルな包み紙のチョコレートを1つ取り出すと、それをアリスに向かってスッと差し出した。


「えっ、私にくれるの? ありがとー! クォーツちゃん優しい!」


 アリスが満面の笑みでチョコレートを受け取ると、クォーツはほんの少しだけ目を見開き、白い頬を微かに赤く染めた。

 言葉は発しない。ただ、自分が渡したお菓子をアリスが喜んでくれたことが嬉しいのだと、その微小な表情筋の変化が如実に物語っていた。


「ね? 無口だけど、お菓子をあげたり貰ったりすると、こうやって少しだけ嬉しそうにするの! すっごく可愛いでしょ!?」

「……」


 アリスがクォーツの頭を撫でると、クォーツは嫌がるそぶりも見せず、されるがままに目を細めている。


 ——ピキリ、と。


 私の胸の奥で、またしても冷たい不快感が鎌首をもたげた。

 以前、蓮が私のキッチンに勝手に入った時とは違う種類の不快感。

 私の脳内アルゴリズムが、目の前の光景を『異常事態』として検知し、警報を鳴らしている。


 アリスが、私以外の人間と親しげに接触している。

 アリスが、私以外の人間に対して「可愛い」と言い、無償の愛情を注いでいる。

 クォーツという少女がアリスに向ける信頼の眼差しは、私がアリスに対して抱いている『好意』と同質のものだ。


 なぜ、私がこんな感情を抱く必要があるのか。

 アリスは私の所有物ではない。彼女が誰と仲良くしようが、物理的に私の機動力や戦闘力が低下するわけではない。これは極めて非合理的な感情のバグだ。この原因を、論理的に説明できない。


 外界の人間が言うところの『嫉妬』。

 私はその概念を知識としては理解していたが、まさか自分の肉体がこのような非合理的なエラーコードを出力するとは計算外だった。


「……ピュアさん? どうかしましたか?」


 隣に立っていたロータスが、私の異変を察知して小声で尋ねてきた。

 私が無意識のうちに拳を強く握りしめていたからだ。


「何でもないわ。ただ、あのクォーツという少女の2丁拳銃の反動制御のメカニズムについて、少し計算を巡らせていただけよ」

「そ、そうですか」


 私はロータスに冷たく返し、強引に胸の奥のエラーをタスクキルした。

 今は感情のバグをデバッグしている暇はない。目の前には、大規模な殲滅作戦が控えているのだ。


「よし、全員揃ったな。これより作戦のブリーフィングを始める」


 アドが立ち上がり、会議室のメインモニターに巨大な地図と建物の見取り図を映し出した。


「ロータスが解読してくれたデータのおかげで、明後日の深夜、東京湾岸の第7コンテナターミナルにて、バベルの関連組織による大規模な新型薬物の陸揚げと取引が行われることが判明した。敵の戦力は、タトゥーで管理された武装兵が最低でも50人。さらに、取引を取り仕切る幹部クラスも複数集結するはずだ」

「50人……。1つの軍隊じゃないですか」


 ロータスが青ざめた顔で呟く。


「そうだ。だからこそ、今回は班を3つに分けて、同時多発的な殲滅と制圧を行う」


 アドはモニターにレーザーポインターを当て、各々の配置を示した。


「まず、近接の強襲班。ここは敵のヘイトを1番に集め、物理的な破壊力で前線をこじ開ける役割だ。メンバーは、アリス、タイガー、ファイア、そしてクォーツの4人だ」

「了解! ド派手にぶっ飛ばしてやるぜ!」

「ワイらの独壇場やな!」

「任せてよ。クォーツちゃん、背中は任せたよ!」


 アリスがクォーツに微笑みかけると、クォーツは静かに頷き、ホルスターの銃に手を添えた。


「次に、遠距離の狙撃班。強襲班の死角をカバーし、逃亡を図る幹部や、見張り塔の狙撃手を事前に排除する役割だ。メンバーは、ピュア、ルミナス、レイの3人だ」

「了解。僕の目とレイの予測があれば、誰1人このターミナルから生かしては返さないよ」


 ルミナスが中性的な笑みを浮かべる。

 レイも「強襲班が暴れれば、敵の動きのパターンは読みやすくなる。援護は任せてくれ」と気だるげに頷いた。


「妥当な配置ね」


 私はアドの編成に同意した。

 私のスナイパーライフルによる長距離狙撃と、ルミナスの視力、レイの予測能力をリンクさせれば、それは完璧な『全方位の死神』として機能するだろう。スナイパーライフルの経験は無いが、私の演算能力があれば問題なく役割を全うできるはずだ。


「アド。私は構わないけれど、私のサポーターであるロータスの配置はどうなるの?」


 私が尋ねると、アドはニヤリと笑い、私の横にいるロータスを指差した。


「今回の作戦、ロータスは俺と1緒に『参謀班』として動く。最前線には出さず、少し離れた指揮車両バンの中から、全体のハッキングとドローンによる索敵、そして各班へのリアルタイムな情報共有を統括してもらう」

「え……俺が、ですか?」


 ロータスが目を丸くした。


「ああ。お前が解読したあの莫大な量のデータと、この前の仕事で見せたトラフィック制御の速度。お前の情報処理能力は、俺の想像を遥かに超えていた。今回の作戦はエリアが広すぎる。俺1人で全体を指揮するより、お前のハッキングスキルを横に置いた方が遥かに部隊の生存確率が上がる」


 アドが真顔でロータスを評価した。

 それは、ただの居候だった11歳の少年が、組織のトップから明確に『必要な戦力』として認められた瞬間だった。


「私の所有物を勝手に借りないでほしいのだけれど」


 私が冷徹に釘を刺すると、アドは「給料は弾む。貸せ」とふてぶてしく言い放った。


「ロータスが全体をサポートすることで、お前の狙撃班のカバーも完璧になる。合理的な判断だろ?」

「……まあ、確かにそうね。全体最適化の観点から言えば、ロータスの能力を参謀班で運用するのは理にかなっているわ。許可するわ」


 私が同意すると、ロータスは「あ、ありがとうございます……! ピュアさんのためにも、皆さんのためにも、絶対に完璧なサポートをしてみせます!」と深く頭を下げた。

 彼のその頼もしい姿を見て、私は胸の奥にあったアリスとクォーツへの非合理的な嫉妬のノイズが、少しだけ和らぐのを感じた。


 私の手で機能拡張された所有物が、組織全体を動かす中枢として機能する。

 それは、私の物理的な影響力が、この外界においてさらに強固なものになっていることの証明だ。


「よし。作戦開始は明後日の午前2時。それまでに各々、武器の最終メンテナンスと配置の確認を済ませておけ。いいな」

「了解」

「おっしゃ!」


 アドの号令と共に、会議室は解散となった。

 強襲班の4人は、ファイアの豪快な笑い声と共に武器庫の方へと向かっていく。アリスがクォーツの手を引いて歩いていく後ろ姿を、私は無表情のまま見送った。


「ピュア。よろしく頼むよ」


 ルミナスが私に歩み寄り、スッと手を差し出してきた。

 レイもその隣で、ポケットに手を入れたまま私を観察している。


「私の物理演算と、あなたの視力、そしてレイの直感のすり合わせね。相互にエラーを補完し合えば、完璧なキルゾーンを構築できるはずよ。よろしく」


 私はルミナスの手を取り、短く握手をした。

 中性的な彼(あるいは彼女)の手は、驚くほど冷たく、しかし一切のブレがない狙撃手特有の硬さを持っていた。


「ロータス。あなたはアドの指揮車両のセットアップを手伝いなさい。私は自分の武器の最終調整を行うわ」

「はい、ピュアさん! 通信の暗号化プロトコルは、俺が絶対に破られないように構築しておきますから!」


 ロータスが駆け足でアドの元へと向かっていく。


 私は1人、事務所の地下にある静かな武器庫へと向かった。

 M24 SWSスナイパーライフルのボルトを引き、薬室とライフリングの汚れを完全に除去する。スコープのレティクルを調整し、風速と重力のベクトルを脳内でシミュレーションする。


 50人の完全武装した私兵。

 そして、『あの方』へと繋がる未知の薬物の大量密輸。


 私のタワーマンションでの平穏な日常を脅かすノイズの根源を、今度こそ物理的に全て粉砕する。

 私は冷たい銃身に触れながら、次なる大規模な殺戮の舞台——東京湾岸の闇夜に向けて、静かに自身の思考を研ぎ澄ませていった。


 2日後の深夜、午前1時45分。

 海風が潮の匂いとディーゼルの排気ガスを運んでくる、東京湾岸の第7コンテナターミナル。

 無数の巨大な鋼鉄のコンテナが迷路のように積み上げられたその広大な敷地は、通常であれば深夜は静寂に包まれているはずだ。しかし今夜は違った。投光器が煌々と焚かれ、黒塗りのワンボックスカーやトラックが何台も列をなしている。


 そして、その周囲を警戒するように巡回しているのは、サブマシンガンやアサルトライフルで完全武装した50人近い男たち。彼らの首元や腕には、あの忌まわしい『塔のタトゥー』が刻み込まれているはずだ。


『各班、配置は完了したな』


 私のインカムに、アドの低く冷徹な声が響いた。

 彼はターミナルから少し離れた場所に停められた指揮車両バンの中で、ロータスと1緒に全体の指揮を執っている。


『ドローンによる赤外線スキャンと、ターミナル内のハッキング済み監視カメラの映像を統合しました。現在、敵の総数は54。中央の開けたコンテナヤードに、取引の元締めと思われる幹部クラスが5人集結しています』


 ロータスの報告が続く。彼の声は緊張でわずかに硬くなっているが、淀みなく正確なデータを各班の端末へと転送してきていた。


「こちら狙撃班。ターゲットの目視を完了したわ」


 私は、ターミナルを1望できる巨大なガントリークレーンの上層プラットフォームにうつ伏せになりながら、M24 SWSスナイパーライフルのスコープを覗き込んだ。

 私の隣には、長銃身の特注ライフルを構えるルミナスが。そして少し離れた1段低い足場には、取り回しの良いセミオートの狙撃銃を構えたレイが配置についている。


「……ふむ。確かに真ん中に偉そうなのが5人いるね。でも、どれが1番の『急所』かな?」


 ルミナスがスコープから目を離さず、中性的な声で尋ねる。

 その問いに答えたのは、少し気だるげに銃を構えているレイだった。


「……1番右の、葉巻を吸ってる白スーツの男だ。そいつが指揮系統のトップだ。俺の『直感』がそう言ってる。周りの護衛の視線、筋肉の緊張の向き……全部があの白スーツを守るように配置されてる」


 レイの『第6感』による予測。理屈ではなく、無意識領域での膨大なパターン認識から導き出された結論だ。


「了解。ルミナスは白スーツの隣の2人を、レイは手前の射線を塞ぐ見張りを2人気絶させて。私は白スーツとその隣のもう1人を処理するわ」

「オーケー、ピュア。君のタイミングに合わせよう」


 私が狙撃のターゲティングを完了させたのと同時刻、インカムに近接の強襲班からの通信が入った。


『こちらファイア。人の出入りが1番多いトラックの荷台周辺と、武器が積んであるコンテナの裏に、たっぷりとC4(プラスチック爆薬)を仕掛けてやったぜ。いつでも花火を打ち上げられるぜ!』

『アリスだよ! こっちも配置完了! 爆発と同時に突っ込むからね!』


 アドが指揮車両から最終の指示を下す。


『よし。作戦の目的は敵の完全な殲滅だ。開幕の初撃で、どれだけ敵の戦力と指揮系統を削れるかが鍵になる。狙撃班と強襲班、タイミングを完璧に合わせろ。……ロータス、カウントダウンを頼む』

『了解しました。……総員、作戦開始まで、5、4、3、2、1——』


 ロータスのカウントがゼロになった瞬間。


起爆ファイア!!』


 強襲班のファイアの雄叫びと共に、コンテナヤードの2箇所で凄まじい爆発が夜空を焦がした。

 轟音と爆風が吹き荒れ、密集していた10数人の武装兵が悲鳴を上げて吹き飛ばされる。トラックの積荷が炎に包まれ、敵陣のど真ん中に強烈なパニックが引き起こされた。


「……今よ」


 爆発の轟音が敵の聴覚を奪ったそのコンマ1秒の隙を突き、私たち狙撃班は同時にトリガーを引いた。


 パンッ!!


 サプレッサーを装着しているとはいえ、ライフルの発砲音はそれなりに響く。しかし、爆発音に完全にかき消され、敵に位置を悟られることはない。

 私の放った7.62ミリ弾は、レイが指定した『白スーツの幹部』の側頭部を寸分の狂いもなく撃ち抜いた。男の頭部がザクロのように弾け、その隣にいたもう1人の幹部の胸板も、私の素早いボルトアクションによる次弾で正確に貫かれた。

 同時刻、ルミナスのライフルが残る2人の幹部の心臓を撃ち抜き、レイが手前の見張り2人を無力化する。


「指揮系統のトップ、沈黙。見事だね、ピュア。君のボルトアクションの速さ、機械みたいだ」

「物理的な動作を最適化しているだけよ。無駄話は後にして。敵の残党が動き出すわ」


 私がスコープから目を離さずに告げると、眼下のコンテナヤードでは、炎と煙の中から生き残った武装兵たちが怒号を上げながら散開し始めていた。

 そして、その混乱の只中へと、アリス、タイガー、クォーツの3人が猛然と突入していくのが見えた。

 アリスがハンドガンで華麗に踊るように敵をなぎ倒し、タイガーがショットガンで豪快に敵を吹き飛ばす。小柄なクォーツも、無表情のまま両手の拳銃から正確無比な弾幕を張り、敵を確実に沈黙させていた。


『敵の指揮系統は崩壊しました! 強襲班、そのまま押し切ってください!』


 ロータスの安堵したような声がインカムに響く。

 開幕の奇襲は完璧に成功した。敵の半数以上を初撃で削り、残るは20人程度。このまま圧倒的な暴力で制圧できる——そう計算した。


 だが、戦闘は私たちの予想を覆し、泥沼の様相を呈し始めた。


「……しぶといわね」


 私はスコープ越しに、異常な光景を目の当たりにしていた。

 アリスやタイガーの銃弾を腕や足に受けても、敵の武装兵たちは痛みを感じていないかのように立ち上がり、死に物狂いでアサルトライフルを乱射してくるのだ。


『チィッ! こいつら、例の薬で完全にラリってやがる! 恐怖心が欠如してやがるぞ!』

『囲まれないように動いて! タイガー、右から3人! クォーツちゃん、後ろ!』


 強襲班の通信に焦りの色が混じる。

 彼らは自分の命を惜しむことなく、ただ目の前の敵を殺すことだけをプログラムされた『肉の機械』と化していた。いくら私たちが圧倒的な技量を持っていても、コンテナの迷路の中で死兵と化した20人以上の武装兵を相手にするのは、物理的に時間を要する。


「ルミナス、ピュア。コンテナの裏や建物の中に隠れながら移動している奴らが多い。俺が動きを読むから、そこを撃ち抜け」


 レイがスナイパーライフルを構えながら、鋭い声で指示を出した。

 彼は比較的近距離からの狙撃と、戦況の全体を把握する『観測手スポッター』としての役割に切り替えたのだ。


「ルミナス、3時の方向、赤いコンテナの陰から2人。5秒後に左へ走るぞ」

「了解。……見えた、クリア」


 レイの第6感による正確な予測を受け、ルミナスが中距離から敵を仕留めていく。


「次はピュア。……9時の方向、青いコンテナの裏だ。だが姿は見えねえ。相手は壁に背中を預けてリロードしてる。俺の直感だと、10秒後に右から顔を出す。速度はかなり速めだ、気をつけろ」


 レイの指示は、視覚情報に頼れない『予測』だった。

 だが、私はその不確定な情報を受け取り、脳内で瞬時に完璧な演算を開始した。


 敵は青いコンテナの裏。右から顔を出す。速度は速め。

 私はスコープのレティクルを、コンテナの右端の『何もない空間』に合わせた。

 レイの言葉のトーン。彼の「かなり速め」という表現の誇張度合い。現在の風速3メートル。標的までの距離350メートル。7.62ミリ弾の初速と重力による弾道落下。そして、インカムの通信ラグ(ping値)であるコンマ05秒。


 すべての変数を代入し、私はトリガーに指をかけた。

 10秒後。

 青いコンテナの裏から、敵の男がアサルトライフルを構えて右へ飛び出した——その瞬間。


 パンッ!


 私が放った弾丸は、男が飛び出して空間に顔を現したのと全く同じタイミングで、彼の眉間を完璧に撃ち抜いた。

 男は銃を構えたまま、まるで自ら弾丸に当たりに行ったかのように吹き飛び、絶命した。


「……は?」


 隣でルミナスが、信じられないものを見たように声を漏らした。


「今のは……レイ、お前、コンテナの裏の右端から10センチ横を指定したか?」

「いや、俺は『右から顔を出す』としか言ってねえ……。おい、ピュア。お前、俺の曖昧な言葉だけで、相手が飛び出すタイミングと速度を完璧に逆算して『置きエイム』したのか……?」


 レイの神経質そうな声が、驚愕で微かに震えている。


「当然よ。あなたの直感による言語情報と、通信の遅延、そして人間の筋肉が最大収縮した際の初速を計算すれば、彼がどのタイミングでどの空間に顔を出すかは物理的に確定するわ」


 私は次弾を装填しながら、淡々と答えた。


「レイ、あなたの『第6感』は非常に有用な変数よ。次を指示して」

「……バケモンかよ、あんた。アドが手放しで評価するわけだ」


 レイは乾いた笑いを漏らしながらも、再び観測に集中した。


「よし、次は12時の方向。建物の2階の窓だ。ブラインドが閉まってるが、奥に1人いる。狙撃手だ。3秒後に立ち上がって構えるぞ」

「窓ガラスの厚さとブラインドの材質による弾道の屈折率を計算。……クリア」


 私は窓がブラインドで遮られているにも関わらず、レイのカウントに合わせてトリガーを引き、壁越し(ウォールバン)で見えない敵の頭部を粉砕した。

 その後も、私はレイの直感という不確定要素を、完璧な物理演算で『確定した死』へと変換し続けた。どんな死角に隠れようと、どんなフェイントをかけようと、私のライフルは例外なく彼らの急所を貫き続けた。

 私は、近距離の制圧だけでなく、遠距離においてもあらゆる情報から最適解を弾き出す『オールラウンダー』なのだ。


『狙撃班、すげえサポートだぜ! 敵の数がガンガン減ってやがる!』


 ファイアの豪快な声がインカムから聞こえる。

 戦況は完全にこちらに傾いていた。残る敵は数人。このまま終わる、そう計算したその時だった。


『……おい、強襲班! アリスがまずいぞ!!』


 レイの切羽詰まった声が、インカムに響き渡った。


『敵の集中砲火を食らってる! あの薬漬けの連中、死に物狂いでアリスの退路を塞ぎやがった! かなり被弾してるぞ!!』


 その報告を聞いた瞬間。

 私の脳内で、完璧に組み上げられていた計算式が、ガシャンと音を立てて崩れ落ちるような感覚に陥った。


「……被弾?」


 私はスコープから目を離し、コンテナヤードの奥、アリスが展開していたはずのエリアを肉眼で探した。

 だが、炎と硝煙に遮られ、彼女の姿は確認できない。


 私の論理回路が、即座に状況を演算する。

 アリスは防弾防刃のケブラーインナーを着用している。彼女の人間離れした回避能力と、クォーツやタイガーの援護があれば、致命傷には至らないはずだ。物理的・合理的に考えれば、彼女はまだ十分に持ちこたえられる。死ぬ確率など、数パーセントにも満たない。


 しかし。

 頭ではそう理解しているのに、私の胸の奥から、心臓を鷲掴みにされるような強烈な『ノイズ』が湧き上がってきた。


 視界にアリスの姿がない。

 彼女が血を流し、倒れているかもしれないという仮説。

 なぜだ。なぜ私の心拍数がこんなに上がっている? 呼吸が浅くなる。ライフルを握る手に、不要な力が入る。

 これは、恐怖? それとも、焦燥?

 感情が欠落しているはずの私が、これほどまでに明白な『エラー』を吐き出している。


「……ピュア! 撃ち漏らすな、右だ!」


 レイの叫び声で、私はハッと我に返った。

 アリスのいるエリアに近づこうとする敵兵が2人、コンテナの隙間を走っている。


「……邪魔よ」


 私は奥歯を強く噛み締め、スコープを覗き込んだ。

 冷静になれ。私がエラーを起こせば、アリスの生存確率は下がる。

 私は全ての思考リソースを『敵の排除』という1点に集中させ、かつてないスピードでボルトアクションを繰り返した。


 パンッ! パンッ! パンッ!!


 私は計算速度の限界を突破し、レイの指示すら待たずに、アリスのいるエリアへ向かう敵を次々と頭部から粉砕していった。

 その射撃は、機械のような正確さに、明確な『怒り』と『焦り』が乗った、暴力的なまでの制圧射撃だった。


『全敵対反応、沈黙しました! レーダー、クリアです!!』


 数分後、ロータスの裏返った声が作戦の終了を告げた。

 私はライフルを背中に背負い、誰よりも早くプラットフォームの階段を駆け下りた。


「ピュア! 待て、単独行動は……!」


 ルミナスの制止を無視し、私はコンテナヤードの奥、煙が立ち込めるエリアへと全力で走った。

 頭の中は、1つの目的だけで塗り潰されていた。

 アリスの無事を確認し、この不快なエラーを解消しなければならない。


 コンテナの陰を抜けた先、血だまりと薬莢が散乱する空間に、強襲班のメンバーが集まっていた。

 タイガーが肩で息をし、ファイアが周囲を警戒している。

 そして、その中心で。


「……アリス」


 私は足を止めた。

 アリスはコンテナの壁に背中を預け、力なく座り込んでいた。

 彼女の黒いレザージャケットは数箇所が裂け、防弾インナー越しに受けたと思われる銃弾の衝撃で、腕や脇腹から鮮血が流れ出ている。彼女の顔は蒼白で、いつもの明るい笑顔はそこにはなかった。


 そして、そのアリスの身体に縋り付くようにして、小柄な少女——クォーツが、必死の形相で止血帯を巻き、ガーゼを押し当てて介抱していた。

 クォーツの白い手は、アリスの血で真っ赤に染まっている。


「アリス……! ダメージの計算を……」


 私が安堵と焦燥の入り混じった奇妙な感情を抱えながら、彼女の元へ駆け寄ろうと手を伸ばした、その瞬間だった。


「……近づかないで!!」


 空気を劈くような、鋭く、悲痛な叫び声が響き渡った。


 私は目を見開いた。

 声の主は、クォーツだった。

 普段は一切言葉を発さず、ただ頷くか首を振るだけの無口な彼女が。私の方を振り返り、その大きな瞳に明確な『敵意』と『嫌悪』を浮かべて、私を怒鳴りつけたのだ。


「え……?」


 私は差し出した手を空中で止めたまま、完全に硬直した。


 クォーツは、怪我をしたアリスを私から庇うように両腕を広げ、小動物が威嚇するかのように私を睨みつけている。

 その視線は、ただの動揺ではない。

 彼女は、私の存在そのものを拒絶していた。私がアリスに触れることを、本能レベルで嫌悪しているのだ。


「クォーツ……ちゃん、ダメだよ……ピュアちゃんは、味方……」


 意識が朦朧としているアリスが、掠れた声でクォーツをたしなめようとするが、クォーツは首を横に振り、私への警戒を一切解こうとしなかった。


「……」


 私は、突きつけられたその明確な『拒絶』の前に、どう反応していいのかわからなかった。

 敵の銃弾も、死線のプレッシャーも、私にとっては単なる物理的な計算対象に過ぎなかった。だが、他者からの純粋な『嫌悪』という感情を向けられたのは、私が外界に出てから初めての経験だった。


 なぜ、彼女は私を拒絶するのか。

 私が何をしたというのか。


 私の脳内に、処理しきれない膨大なエラーコードが溢れ出す。

 血の匂いと硝煙が立ち込める東京湾岸の闇の中で、私はただ、自分に向けられたその鋭い敵意の理由を理解できず、立ち尽くすことしかできなかった。


━━━━━━━━━━━━━━━━


 東京湾岸の第7コンテナターミナルを舞台にした大規模な殲滅作戦は、夜明けを待たずに完全に終了した。

 アドの指揮とロータスの情報統制、そして私たちの圧倒的な暴力によって、50人以上の武装兵と幹部たちは1人残らず物理的に排除された。

 その後は、シンの率いる大掛かりな事後処理クリーニング部隊の独壇場だった。彼らは手慣れた様子で血痕を洗い流し、死体を袋に詰め、押収した莫大な量の新型薬物と裏帳簿を組織のバンへと次々に運び込んでいった。現場の隠蔽工作は完璧であり、翌朝のニュースでこの惨劇が報じられる確率はゼロに等しいだろう。


 問題は、私たちの側の損害だった。

 狙撃班の私やルミナス、レイは完全に無傷。参謀班のアドとロータスも当然ながら安全圏にいた。強襲班のタイガーとファイアも、自慢のタフネスと破壊力で無傷のまま暴れ回っていた。

 だが、敵の集中砲火を浴びたアリスだけは例外だった。

 彼女は霞ヶ関の事務所の地下にある医務室へと直行し、専属医による緊急の処置を受けた。


「……命に別状はない。安心しろ」


 処置を終えた専属医が、医務室の前に集まっていた私たちに告げた。

「防弾・防刃のケブラーインナーのおかげで、銃弾は全て体表で止まっている。裂傷と打撲、それに伴う出血は多いが、内臓や太い血管は無事だ。1番のダメージは、極限状態で無理やりリミッターを解除したことによる全身の筋繊維の断裂と神経への過負荷だな。しっかり治療とリハビリを受ければ、1ヶ月から2ヶ月で完治する」


 その報告を聞いて、私は胸の奥で暴れ回っていたアラートが、スッと静まるのを感じた。

 アリスは壊れていなかった。修理可能な範囲の損傷であり、時間が解決する物理的な問題だ。私の世界から彼女が失われるという最悪のエラーは回避されたのだ。


「なら、今のうちに彼女のダメージの度合いを自分の目で確認しておきたいわ」


 私が医務室のドアノブに手を伸ばそうとした、その時だった。

 医務室の扉の前に立ち塞がるように、小柄な人影がスッと割り込んできた。


 クォーツだった。

 彼女は華奢な両腕を広げ、私を明確に拒絶するような鋭い視線で睨みつけている。彼女の真っ白な頬や服には、アリスを介抱した際についた赤黒い血の跡がまだ生々しく残っていた。


「……退いてちょうだい。私はアリスの容態をこの目でデータとして確認する必要があるの」

「……」


 クォーツは首を横に振り、1歩も退こうとしなかった。

 現場で私に向けられたあの敵意は、決して1時的なパニックによるものではなかった。彼女は明確な意思を持って、私をアリスに近づけまいとしている。


「おいおい、クォーツちゃん。ピュアちゃんも心配しとるんやから、通したれや」

 タイガーが苦笑いしながら仲裁に入ろうとしたが、クォーツは彼に対しても無言で首を振り、頑なにドアを背にして守り続けた。


「……いいわ。負傷者の絶対安静を優先するのは合理的な判断よ。今は退くわ」


 私は冷徹に状況を計算し、ここで彼女を物理的に排除してまで中に入るメリットはないと結論づけた。

 踵を返し、私は待機しているロータスと共にタワーマンションへと帰還することを選んだ。

 だが、その背中に刺さるクォーツの冷たい視線は、私の計算式の中に処理しきれない『バグ』として不快な澱みを残していた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 作戦から2日後。

 私は霞ヶ関の事務所に足を運んでいた。アリスの経過を直接確認し、必要であれば今後の仕事のシフトを再構築するためだ。

 地下の廊下を歩き、医務室の前に差し掛かった時のことだった。


 カチャリと扉が開き、中からクォーツが姿を現した。

 手には、空になった点滴のパックと、アリスに差し入れたと思われるお菓子の空き箱が握られている。


 私と彼女の視線が、冷たい蛍光灯の下で交錯した。

 私は立ち止まり、彼女の行動を予測する。また威嚇して私を追い払うのか、それとも無視して通り過ぎるのか。

 だが、クォーツの行動は私の予測を裏切るものだった。


「……あなた」


 彼女の口から、微かな、しかしはっきりとした声が発せられた。

 現場での悲痛な叫び声を除けば、私が初めて聞く彼女の肉声だった。鈴を転がすような、しかしどこかガラス細工のように冷たく脆い声。


「少し、話がある」

「……私に?」


 私が聞き返すと、クォーツはコクリと1度だけ頷き、医務室から少し離れた人気のない資材置き場の方へと歩き出した。

 私は彼女の意図を測りかねながらも、その小さな背中を追った。


 薄暗い資材置き場に入ると、クォーツは私に向き直った。

 彼女の大きな瞳には、やはり私に対する明確な警戒と嫌悪が宿っている。


「……アリスから、聞いた」


 クォーツは、ぽつり、ぽつりと、言葉を絞り出すように話し始めた。普段からコミュニケーションを言語に頼っていないせいで、その発声はひどく不器用で、言葉と口の間に奇妙なタイムラグがあるように感じられた。


「あなたのこと。……両親を、殺したって」

「事実よ」

「感情がない。……恐怖も、悲しみもない。誰でも、平気で殺せる……バケモノだって」

「バケモノという表現は非科学的だけれど、私の脳のストッパーが常人と異なるのは事実だわ。それがどうかしたの?」


 私が一切の感情を交えずに肯定すると、クォーツの細い眉がピクリと歪んだ。


「……なんで」

「なんで?」

「なんで……アリスは、あなたみたいな冷たいバケモノを……あんなに、お気に入りにしてるの……?」


 クォーツの言葉には、隠しきれない『憎悪』が滲んでいた。

 彼女の小さな手が、ギュッと固く握りしめられている。


「私には、わからない。……私は、アリスがずっと好きだった。アリスが笑ってくれるのが、嬉しかった。……アリスは、私にだけ特別に優しかったのに」


 彼女は俯き、言葉を途切れさせながら、自分の胸の奥にある感情を不器用に吐き出していく。


「あなたが来てから、アリスは……ずっと、あなたの話ばかりする。『ピュアちゃんがね』って。……楽しそうに。……私より、あなたの方ばっかり見てる」

「……」

「あなたは、アリスのことなんか、なんとも思ってないくせに。……ただの機能の1部だとしか、思ってないくせに……っ!」


 クォーツが顔を上げ、私を睨みつけた。

 その瞳は、怒りと、それ以上に深い『嫉妬』で揺らいでいた。


 私は、彼女の言葉を頭の中で冷徹に処理しながら、ある1つの解答に辿り着いた。

 彼女が私を拒絶する理由。

 それは私が親殺しだからでも、冷徹な殺人鬼だからでもない。

 ただ単に、自分が独占していた『アリスからの寵愛』を奪った泥棒だからだ。


 極めて非論理的で、幼い独占欲。

 だが、その感情のベクトルは、私が数日前に会議室で彼女たちを見た時に抱いた、あの不快なノイズと完全に同質のものだった。


「……勘違いしないでちょうだい、クォーツ」


 私は腕を組み、冷ややかな声で反論した。


「私がアリスをなんとも思っていないというのは、あなたのデータ不足による誤謬よ。私はアリスの存在を高く評価しているし、彼女と過ごす時間は私の精神の安定に必要不可欠だと計算している。だから、彼女を失うことは私にとって許容できないエラーなのよ」

「……理屈ばっかり」


 クォーツは忌々しそうに吐き捨てた。


「そういうところが……嫌い。あなたは、アリスの優しさを……計算式でしか測れない」


 彼女の指摘は的を射ていた。私は感情を言語化する際、どうしても物理や論理のフォーマットに変換してしまう。それが彼女のような感情的な人間には、ひどく冷酷なものに映るのだろう。


「……で? 私にそんな非合理的な嫉妬をぶつけるためだけに、わざわざ呼び出したの?」


 私が尋ねると、クォーツは唇を強く噛み締め、それから、酷く悔しそうに目を伏せた。


「……アリスが、あなたに会いたがってる」

「……そう」

「本当は、絶対に会わせたくなかった。……でも、アリスが『ピュアちゃんの無事な顔が見たい』って、何度も言うから……」


 クォーツの声が、微かに震えていた。

 大好きなアリスの願いを叶えたいという思いと、私への憎悪が、彼女の中で激しく衝突しているのだ。


「私が見ていないところで……1回だけ。……5分だけ、許す」

「見ていないところで? あなたは同席しないの?」

「……見たくない」


 クォーツは顔を背け、ポツリとこぼした。


「アリスが……あなたと親しげに、笑って話しているところなんか……絶対に見たくない」


 それは、弱音のような、哀しい本音だった。

 彼女の不器用なほどの純粋さと独占欲に、私は小さく息を吐いた。

 彼女もまた、アリスという太陽の引力に囚われた、哀れな衛星の1つなのだ。私と同じように。


「……わかったわ。あなたのその非合理的な妥協に感謝するわ、クォーツ」


 私はそれだけ告げ、踵を返して医務室へと向かった。

 背後から、クォーツの小さな深呼吸の音が聞こえた気がした。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 医務室の扉を静かに開けると、消毒液の匂いと共に、ベッドの上で上半身を起こしているアリスの姿が目に入った。


 彼女の肩や腕には痛々しい包帯が巻かれ、点滴のチューブが繋がれている。血色はまだ少し悪いが、私の姿を認めた瞬間、彼女の顔にいつもの向日葵のような笑顔がパッと咲き誇った。


「あ、ピュアちゃん! よかった、来てくれたんだね!」

「あなたのダメージチェックを行いに来たわ。……顔の表情筋の動きと、発声のトーンから計算するに、バイタルは安定しているようね」


 私はベッドの傍らに立ち、彼女の全身を冷徹にスキャンした。


「あはは、相変わらずのピュアちゃん節だね! うん、もう全然大丈夫だよ! ちょっと筋肉痛が酷いかなーってくらい!」


 アリスが無理をして右腕を動かそうとしたので、私は無言でその手を上から押さえて制止した。


「強がらないで。リミッターを外した反動による筋繊維の断裂は、あなたの精神力でカバーできる物理的損傷ではないわ。大人しくしていなさい」

「……えへへ、ごめんごめん。ピュアちゃんには隠し事できないね」


 アリスは嬉しそうに目を細め、私に押さえられた自分の手を見つめた。


「ねえ、ピュアちゃん。さっき、クォーツちゃんと会ったでしょ?」

「ええ。彼女が私に面会の許可を出したから、ここに来られたのよ」

「……そっか。クォーツちゃん、怒ってたでしょ。本当にごめんね」


 アリスの笑顔が、少しだけ困ったような、申し訳なさそうなものに変わった。


「あの現場で、ピュアちゃんに酷い態度取っちゃって……。私、後から彼女をすごく叱ったんだよ。『ピュアちゃんは私の大事な後輩で、味方なんだから』って」

「別に気にしていないわ。彼女が私を拒絶する理由は、先ほど本人から直接聞いて、論理的に理解したから」


 私が淡々と答えると、アリスは小さく吹き出した。


「ふふっ……やっぱりね。ピュアちゃんとクォーツちゃんは、絶対に喧嘩すると思ってた」

「喧嘩? 私は彼女と物理的に衝突した覚えはないわよ」

「そういうことじゃないよ。2人はね、すごく似てるの」


 アリスは私の目を真っ直ぐに見つめ、優しく語りかけた。


「クォーツちゃんは感情をうまく言葉にできないから、態度で示そうとする。ピュアちゃんは感情を全部理屈でコーティングして、冷たい言葉で隠そうとする。表現の方法は真逆だけど、2人とも……すごく不器用で、純粋で、寂しがり屋なんだよ」


 私はピクリと眉をひそめた。

 私が、あの感情の塊のような少女と似ている?

 そんな非合理な結論、私の計算式には全く存在しない。


「私は機械のように合理的よ。彼女のような感情のバグは起こさないわ」

「そうかなぁ? ピュアちゃんだって、私が他の人と仲良くしてたら、ちょっと面白くないなーって思う時、あるんじゃない?」


 アリスの悪戯っぽい問いかけに、私は言葉を詰まらせた。

 図星だった。

 会議室でクォーツとアリスを見た時に私が感じたあのエラーを、彼女は完全に看破していたのだ。


「……だからね」


 アリスは視線を天井へと向け、少しだけ哀しそうに微笑んだ。


「本当は、2人を会わせたくなかったんだ。同じベクトルで私を想ってくれる2人が、私のせいでぶつかり合って、傷つけ合うのを見たくなかったから。……私って、罪な女だよねー」


 わざとおどけたように言うアリスに、私は小さく息を吐いた。


「自意識過剰も甚だしいわ。私があなたを評価しているのは、あくまで外界における私の精神安定装置として、最も効率的な機能を果たしているからよ」

「はいはい、そういうことにしておくね!」


 アリスはクスクスと笑い、それから真剣な表情に戻った。


「ピュアちゃん。あの時、私を助けてくれてありがとう。ピュアちゃんの正確な狙撃のサポートがなかったら、私、本当に死んでたかもしれない」

「当然の仕事をしたまでよ。私の射線上に敵が入ったから、物理的に排除しただけ。……でも、あなたが壊れなくて、よかったわ」

「うん! 私も、ピュアちゃんの顔が見れて安心した!」


 アリスは無事な左手を伸ばし、私の右手をそっと握った。

 その体温は、私の冷たい指先からじんわりと熱を伝播させ、私の胸の奥にある不快なノイズを綺麗に溶かしてくれた。


「クォーツとの約束の5分が経つわ。私はもう帰る。大人しく自己修復に専念しなさい」

「うん! またお見舞い来てね、ピュアちゃん!」


 私はアリスの病室を後にした。

 廊下にはクォーツの姿はなかった。彼女は本当に、私がアリスと親しげにしている光景をシャットアウトするため、どこかに隠れているのだろう。

 不器用な少女の嫉妬。

 そして、それに似た感情を抱く自分自身の非合理性。

 外界の人間関係は、本当に複雑で、計算通りにはいかない。だが、それが今の私には、少しだけ愛おしいものに思え始めていた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 午後8時。

 私は自分のテリトリーであるタワーマンションの最上階へと帰還した。

 玄関の扉を開けると、ほのかにスパイスとブイヨンの食欲をそそる香りが漂ってきた。


「あ、ピュアさん! お帰りなさい!」


 キッチンから顔を出したのは、エプロン姿の蓮だった。

 彼もまた、昨夜の作戦でアドと共に指揮車両に詰め、極限のハッキングと情報処理を1晩中行っていたはずだ。肉体的にも精神的にも疲弊しきっているはずなのに、彼は私が帰宅するタイミングを計算し、完璧に食事を用意して待っていたのだ。


「遅かったですね。アリスさんの容態、いかがでしたか?」

「1ヶ月で復帰できる物理的な損傷よ。問題ないわ」


 私がコートを脱いでソファに掛けると、蓮はすぐに温かい食事をダイニングテーブルに並べてくれた。


「今日は、ビーフシチューと、カボチャの冷製スープです。昨日の作戦でピュアさんも脳を酷使したと思ったので、糖分とビタミンを多めに摂取できるメニューにしました」

「……優秀なサポーターね。私の消費カロリーと必要な栄養素を完璧に計算しているわ」


 私はテーブルにつき、スプーンでシチューを1口すくった。

 じっくりと煮込まれた牛肉が口の中でホロリと崩れ、濃厚なデミグラスソースのコクが疲れた脳細胞に染み渡っていく。

 美味しい。

 物理的な栄養補給以上の、確かな温かさがそこにはあった。


「俺、昨日の作戦で……自分の無力さを痛感しました」


 蓮が向かいの席に座り、少しだけ悔しそうに俯いた。


「アリスさんが敵に囲まれた時、俺のハッキングじゃ敵の足を止めることはできなかった。ピュアさんの狙撃がなかったら……俺は、ただモニターの前で震えていることしかできなかったです」

「当然よ。あなたは情報処理端末であって、物理的な火力ではないのだから。自分の機能の限界を悲観するのは非合理的だわ」


 私は冷徹に事実を告げながらも、次の一口を口に運んだ。


「でも、あなたの提供したリアルタイムのレーダー情報があったからこそ、私は死角から来る敵の動きを完璧に予測し、レイの直感と合わせて最速の迎撃ルートを構築できた。結果としてアリスは生き延びた。あなたの機能は、組織の生存確率を上げるための重要な変数として、12分に役立っていたわ」

「ピュアさん……」


 蓮は顔を上げ、少しだけ目を潤ませて私を見た。


「ありがとうございます。俺……もっと勉強して、ピュアさんの手足として、誰にも文句を言われない完璧なサポーターになりますから」

「期待してるわ。まずは、そのシチューのおかわりを要求するわ。私の胃袋のキャパシティを少し見誤っているようね」

「あっ! すみません、すぐお持ちします!」


 蓮が慌ててキッチンへと駆け出していく。

 そのドタバタとした足音を聞きながら、私は冷たい夜景が広がる窓の外を見つめた。


 血と硝煙に塗れた外の世界。

 クォーツのような、むき出しの感情がぶつかり合う人間関係の軋轢。

 外界はノイズだらけで、常に私の思考を乱してくる。


 だが、このタワーマンションに帰り、私の『所有物』が用意してくれた温かい食事を口にする時。

 私の心は完璧にフラットな状態へとリセットされ、自分が帰るべき『場所』がここにあるのだという事実を、確かに実感することができるのだ。『そう思いたい。(・・・・・・・)』


 私は再びスプーンを手に取り、静かで、しかし確かな温もりに満ちた自分の日常を、ゆっくりと味わい続けた。かった。

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