ゆビ切りゲんマん
建物内へ侵入し、遺体があるはずの場所へ急ぐ。そして、辿り着いた2人が見たものは――。
「巽!」
巽は、遺体にかぶりついていた。口元を血に濡らしながら、貪るように肉を喰らっている。損傷を見る限り、食べ始めて間もないのだろう。接近や呼びかけにも気付かず、まるで獣のようであった。
「やめて! お願い」
美月は巽に飛びつき、羽交い締めにして無理やり動きを止めた。
「離せ……離せぇぇぇっ!」
それを振りほどこうと、彼は必死になって暴れる。そこに理性などない。単純な力勝負ならば、美月に分があった。
「離さない。ごめん、ごめんね。私が、もっと早くここに来れていれば……」
「空腹に、渇きに……耐えられないんだよ!」
血走った目で、狂ったように彼は叫んだ。
「それ食ったら、収まるってか?」
オースは壁に持たれ、軽蔑の眼差しを向けながら言った。
「あぁ……もうずっとまともな物を食べていない……人を殺した貴方が悪いんだ。ぐるぐるぐる、頭の中に残って、欲求が高まっていくばかり! 美月ぃぃぃ! どうして、邪魔をするんだよぉぉぉ!? 可愛い可愛い大事な弟が、幸福に満たされているんだ! これだけ、食べたら我慢するからさぁ……」
「……嫌、嫌」
彼女は、激しく首を振りながらその要求を拒絶する。
「これのどこがまともな物だ。異常者が」
「あああああああああ!! もう、うるさいうるさいうるさい! どいつもこいつも邪魔ばかり! 誰も、僕の苦しみなんて知らないくせに! もう耐えられないんだよおぉぉっ!」
絶望的な叫びが響いた、その瞬間――爆発的な魔力の解放と共に、鮮血が弾け、美月の右腕が宙を舞った。
「――あ」
悲鳴も上げず、絶叫もせず、彼女はただ唖然としていた。間もなく、ぽとりと落ちる腕。それを見て、巽はようやく我に返る。
「あ、あ、あぁ! 僕、僕はなんてことを……違う。違うんだ、そんなつもりじゃなくて。ただ離して欲しくて……美月の力が強いから……」
「良かっ……た……」
遺体への執着を手放した巽の頬を、彼女はもう片方の腕で撫でた。そして、そのまま力なく横へ倒れた。
「美月! 美月!」
返事はない。顔面蒼白で、出血は収まらない。このままでは、確実に彼女は死を迎えるだろう。弟の手によって。
彼は転がっていた腕を拾い、魔術でくっつけようとする。
「嫌だ、こんなの……駄目だ! 死んじゃ駄目だ!」
(魔術ってとんでもないな)
異常な出来事が立て続けに起こる中、オースだけが冷静だった。
腕は辛うじて繋がった。だが、神経や血管まで修復された訳ではないのだろう。出血も止まらず、腕はただ形だけ繋がっている状態だった。
「はぁ……はぁ……美月……」
肩で息をするその背は、奇跡に縋りつくようだった。
「……どうすんの? ヤバくね? 普通に死にそうじゃん」
(まさか、ここまでのことになるとは。想定外だ)
人間としては常軌を逸しているが、それでも人の枠を外れてはいない。肉体の限界は月並みだ。
生意気な彼の弱みを掴み、屈服させられればそれで良かった。だが、美月の死までは望んでいない。
「助けて……下さい」
消え入るような声で、彼は言った。
「あぁ?」
「助けて下さいっ! 美月が死んでしまう!」
「魔術とか呪術でどうにかなんねぇの?」
「どうにかならないから言っているんですよ! 時間が足りない。猶予がないっ!」
「自分のせいじゃん?」
「お願いします……! 力を貸して下さい……」
なりふり構っていられないのだろう。彼は地に頭をつけて懇願する。その情けない土下座姿は、実に心地の良いものだった。
(まぁ、美月がここで死んだらヤバいだろうな。いよいよ国として機能しなくなるかもしれん。それだけは避けねぇと。となると、だ。頼れるのは、テウメくらいしかいねぇか)
「残念ながら、俺には何もできない。だが……どうにかできる手段がない訳じゃない」
オースは、土下座する彼に近付き、頭を踏みつける。
「誓え。俺の奴隷になると」
「……なりますから。お願いします、お願いします……」
「いまいち信用ならねぇ。言葉だけじゃ、それこそ呪術でも使って俺の奴隷になると証明しろ」
「……はい」
すると、彼は土下座したまま、右腕だけを掲げ、小指を立てた。
「あ?」
「僕の小指に、貴方の小指を絡めて下さい」
「えぇ? 嫌なんだけど……」
意味のわからぬ要求に、オースは眉をひそめる。
「契約……簡易ですが、強力な呪術です。忠誠を捧げましょう」
「チッ、わかった」
オースは仕方なくしゃがみ込み、差し出された小指に、自分の小指を絡めた。
「僕は、貴方に永遠に隷属する。逆らわず、歯向かわない」
巽は、そう宣言した。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます♪ 指切った!」
そして、突然、彼は腕を上下させながら歌い出した。困惑しているうちに歌い切ると、彼は小指を離す。途端、小指が凍てつくような感覚に襲われた。
「な、なんだ。これは」
「これで、成立しました。契約を破れば、僕の小指が切られます。同時に、針千本を飲むような苦痛に襲われる」
「それだけ?」
思わず、そう言ってしまった。魔物であり、呪術で守られた巽にとっては、些細な代償に感じたのだ。
「っ……!」
巽は何か言いたげだったが、堪えるようにして飲み込んだ。
「……まぁ、いい。誠意は受け取った」
契約の効果はあるようだと理解し、ちらりと美月を見る。呼吸も弱々しく、蝋人形のように白い肌。そこに、生気はほとんど残っていない。もはや、人の手でどうにかできるような状態ではなさそうだった。
「行くぞ」
オースは巽の頭から足を下ろし、床を踏む。すると、空間に歪みが生じた。顔を上げた巽は、歪んだ空間を見て驚いていた。
「美月を抱えてついてこい」
そう言い捨て、歪みの中へオースは踏み入る。それを見て、巽はふらつきながら立ち上がり、美月を抱きかかえた。
「ごめん、ごめん……わからないんだ。僕も、僕自身を制御できない……変な声がずっと聞こえて……どうにもならない。美月だけは守りたかったのに……」
すっかり冷たくなった美月が、言葉を返すことはない。
「これから、ますます僕は……おかしくなって、美月をより傷付けてしまうんだろうな。そうなるくらいなら、きっと本当はここで……」
その目からは、涙が溢れる。
「でも……僕は弱いから……1人になりたくないんだ。許してくれ」
淀みない、彼自身の言葉。魔に毒され、呪いに侵され、歪んだ環境に壊された彼は、愛する姉の死を目前にして僅かな間だけ正気を取り戻していた。
「生きよう、一緒に地獄を」
そう呟く彼の声は、どこか空虚だった。呪いのような言葉を吐き、彼もまた歪みの中へと足を踏み入れた。
次回更新は3月29日です




