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亡くなった母から、三年後にLINEが届いた〜止まっていた家族の時間が、切なくも温かい奇跡で動き出す〜  作者: 鷹司 怜


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【第三章 父の背中】 第8話 三年ぶりの帰郷


母の言葉は、それから三日経っても消えなかった。


『後悔より、思い出してほしかったの』


短い一文だった。


けれど三年間、自分を縛り続けていた鎖を少しだけ緩めるには十分な言葉だった。


六月の終わり。


仕事帰りの電車に揺られながら、私は窓の外を見ていた。


流れていく街の灯り。


行き交う人々。


誰もがそれぞれの日常を生きている。


その中で私は、三年間止まったままだった。


母が亡くなった日から。


いや。


最後の電話に出られなかった瞬間から。


時間が止まっていたのかもしれない。


だが今は違う。


少しずつだが前を向き始めている。


父と話した。


彩花と泣いた。


病院にも行った。


母が残した言葉の意味も少し分かった。


それなのに。


まだ胸の奥には何かが残っていた。


そんな時だった。


スマートフォンが震えた。


母からだった。


私は思わず立ち止まる。


もう驚かないと思っていた。


だが何度見ても胸は高鳴る。


画面を開く。


そこには一行だけ書かれていた。


『今度の日曜日、帰っておいで』


私は思わず笑ってしまった。


まるで生きていた頃と同じだ。


母はよく言っていた。


「たまには顔見せなさい」


仕事が忙しいと言うと、


「五分でもいいから」


と笑った。


結局、私はあまり帰らなかった。


帰れる時はいくらでもあると思っていたからだ。


だが、その「いつか」は突然終わる。


私はそれを知っている。


だから今度は迷わなかった。


『分かった』


返信する。


数秒後。


既読が付く。


そして返事が届く。


『よろしい』


思わず吹き出した。


本当に母らしい。


電車の中で笑ってしまい、慌てて口元を押さえる。


周囲の視線が少し恥ずかしかった。


けれど心は温かかった。


その週末。


私は再び実家へ向かった。


前回と違うのは足取りだった。


重くない。


怖くない。


もちろん緊張はしている。


だが逃げたいとは思わなかった。


駅を降りる。


懐かしい風景。


小さな商店街。


古い時計台。


川沿いの遊歩道。


子供の頃、彩花と自転車で走った道。


母にアイスを買ってもらった店。


思い出が次々と浮かぶ。


不思議だった。


以前は苦しかった記憶が、今は少しだけ優しく見える。


実家へ続く坂道を上る。


庭の紫陽花は少し色を変えていた。


季節が進んでいる。


時間は止まっていない。


私は玄関の前で立ち止まった。


そして気づく。


鍵が開いている。


昔からだ。


母はいつも私が帰る時間になると鍵を開けて待っていた。


「いらっしゃい」


そう言いながら。


胸が少し痛んだ。


だが今は悲しみだけではない。


懐かしさもある。


私は扉を開けた。


「ただいま」


自然に言葉が出た。


その瞬間だった。


奥の居間から、


「おう」


と父の声が聞こえた。


続いて、


「おかえり」


彩花の声もする。


私は立ち尽くした。


当たり前の光景だった。


家族なら。


どこにでもある光景だ。


けれど私にとっては三年ぶりだった。


胸の奥が熱くなる。


父が顔を出した。


彩花も笑っている。


そしてその時。


仏壇の前に置かれた母の写真が目に入った。


変わらない笑顔だった。


まるで言っているように見えた。


――やっと帰ってきたね。


私は小さく頷いた。


「うん」


誰にも聞こえない声だった。


それでも確かに返事をした。


母へ。


そして家族へ。


ようやく私は、


帰ることができたのだ。


昼食を終えた後だった。


父は麦茶を飲みながら言った。


「そろそろ片付けるか」


彩花が顔を上げる。


私も父を見る。


何を片付けるのか分かっていた。


母の遺品だった。


三年間。


誰も本格的に手を付けられなかった。


捨てることができなかった。


整理することもできなかった。


押し入れ。


箪笥。


食器棚。


母が使っていたものは、そのまま残っている。


まるで母が少し買い物へ出かけているだけのように。


父が苦笑する。


「母さんに怒られそうだな」


彩花も笑った。


「絶対言うよ」


『いつまでそのままにしてるの』


母ならそう言うだろう。


私は仏壇の写真を見る。


優しく笑っている。


まるで本当にそう言っているようだった。


午後。


三人で二階へ上がった。


母の部屋だった。


窓から柔らかな光が差し込んでいる。


机。


本棚。


鏡台。


どれも三年前のままだ。


私は胸の奥が少し苦しくなる。


だが以前ほどではなかった。


悲しい。


それでも向き合える。


そんな気がした。


彩花がクローゼットを整理し始める。


父は本棚。


私は押し入れを担当することになった。


襖を開ける。


段ボール箱がいくつも並んでいた。


古いアルバム。


年賀状。


学校のプリント。


懐かしいものばかりだ。


一つ一つ手に取るたびに時間が巻き戻る。


「懐かしい……」


思わず声が出た。


小学校の作文。


母が大切に取っていたらしい。


運動会の写真。


遠足のしおり。


私が忘れていたものまで残っている。


母らしかった。


何でも捨てられない人だった。


すると奥の方に小さな箱が見えた。


白い紙箱だった。


他とは違う。


妙に新しい。


私は引き寄せる。


蓋には何も書いていない。


少し迷った。


だが開ける。


中に入っていたのは一冊のノートだった。


大学ノートほどの大きさ。


紺色の表紙。


角が少し擦れている。


私は何気なく開いた。


そして手が止まる。


表紙の裏に文字があった。


母の字だった。


見慣れた字。


優しく丸い文字。


そこにはこう書かれていた。


『家族へ』


胸が高鳴る。


私は立ち上がった。


「父さん」


声が少し大きくなる。


父と彩花が振り向いた。


「これ……」


二人も近づいてくる。


ノートを見る。


彩花が息を呑んだ。


「母さんの字だ」


父も黙り込む。


私はゆっくりページをめくった。


最初の日付は、


母が亡くなる約半年前だった。


そして最初の一行を見た瞬間、


誰も言葉を失った。


『もし私がいなくなったら』


部屋が静まり返る。


風の音だけが聞こえる。


私は続きを読む。


震える指で。


母の言葉を。


『たぶんみんな泣くと思います』


『だから先に言っておきます』


『泣くのは三日まで』


彩花が思わず笑った。


涙を浮かべながら。


「母さんだ……」


本当に母らしかった。


父も苦笑している。


私も笑った。


そして次の文章を読む。


『四日目からはちゃんとご飯を食べること』


『お父さんは野菜も食べること』


父が顔をしかめた。


「余計なお世話だ」


その言葉に彩花が吹き出す。


三人で笑う。


三年前なら笑えなかったかもしれない。


けれど今は違う。


母の言葉が、


悲しみではなく温かさを連れてくる。


私はページをめくる。


すると途中で挟まっていた紙が落ちた。


一枚の付箋だった。


何気なく拾う。


そこには短く書かれていた。


『このノートは最後まで読んでください』


『まだ誰にも話していないことがあります』


私たちは顔を見合わせた。


誰も話さない。


だが同じことを思っていた。


まだ秘密がある。


母が残した秘密が。


そしてノートの最後のページには、


大きな文字でこう書かれていた。


『アルバムを探してください』


私は息を呑んだ。


アルバム。


なぜアルバムなのか。


母は何を残したのか。


その答えはまだ分からない。


だが確かなことがあった。


母は最初から、


私たち家族をここへ導いていたのだ。


三年後の今へ。


『アルバムを探してください』


母の字を見つめながら、私は何度もその一文を読み返した。


アルバム。


ただのアルバムではない。


母はわざわざノートの最後に残した。


きっと理由がある。


父も黙っていた。


彩花も同じだった。


部屋には不思議な緊張感が漂う。


私はノートを閉じた。


「探してみる?」


彩花が小さく言う。


父は頷いた。


「母さんが言うならな」


その言葉に思わず笑ってしまう。


母がいなくなって三年。


それでも我が家ではまだ母の言葉が一番強い。


きっとこれからもそうなのだろう。


三人で部屋を探し始めた。


本棚。


押し入れ。


クローゼット。


机の引き出し。


思いつく場所は全部見た。


だが見つからない。


アルバムは何冊も出てきた。


私の七五三。


彩花の入学式。


家族旅行。


運動会。


どれも懐かしい。


けれど母が探せと言ったものではない。


父が首を傾げる。


「こんなにあったか?」


「多すぎるよね」


彩花も苦笑する。


私はアルバムを一冊ずつ確認していく。


そして違和感に気づいた。


「父さん」


父が顔を上げる。


「北海道旅行の写真ってなかった?」


「あったぞ」


「見つからない」


父が眉をひそめた。


私も覚えている。


小学六年生の夏。


家族四人で行った北海道旅行。


ラベンダー畑。


牧場。


海鮮市場。


母が何度も写真を撮っていた。


なのに。


アルバムがない。


彩花も思い出したようだった。


「確かに」


部屋が静かになる。


父が立ち上がる。


「おかしいな」


父も覚えているらしい。


そのアルバムだけがない。


いや。


よく見るとそれだけではなかった。


私たちは次々に気づく。


ある時期の写真だけが抜けている。


小学六年生。


中学一年生。


その頃の写真が妙に少ない。


まるで誰かが意図的に抜き取ったように。


彩花が不安そうに言った。


「母さんが隠したのかな」


誰も答えられない。


だが可能性は高かった。


その時だった。


父が机の引き出しの奥から小さな封筒を見つけた。


「なんだこれ」


私たちは近づく。


白い封筒。


表には何も書かれていない。


だが裏返した瞬間、全員が息を呑んだ。


母の字だった。


そこにはこう書かれていた。


『アルバムを見つけた人へ』


胸が高鳴る。


父がゆっくり封を開ける。


中には一枚の便箋が入っていた。


折り目がついている。


母の字で書かれていた。


私は固唾を呑んで見守る。


父が読み始める。


『きっとみんな困っていると思います』


『ごめんなさい』


思わず彩花が笑った。


「絶対わざとだ」


父も苦笑する。


母らしい。


本当に。


けれどその後の文章を読んだ瞬間、


誰も笑えなくなった。


『アルバムは私が隠しました』


部屋が静まり返る。


やはりそうだった。


だが問題は理由だ。


なぜそんなことをしたのか。


父が続きを読む。


『あのアルバムには、私の一番大切な思い出があります』


『そして、一番伝えたいことがあります』


私は無意識に拳を握った。


心臓が速くなる。


母の一番大切な思い出。


それは何なのだろう。


さらに読み進める。


『でも今はまだ見つけないでください』


「え?」


彩花が声を上げた。


私も同じ気持ちだった。


見つけるなと言われても困る。


母はどこまで母なのだろう。


三年経っても振り回されている。


だが便箋には続きがあった。


『まず、お父さんの話を聞いてください』


『お父さんはきっと話したがらないと思います』


『だから私が頼みます』


父が固まった。


私と彩花は同時に父を見る。


父は視線を逸らした。


明らかに様子がおかしい。


彩花が言う。


「父さん?」


父は咳払いをする。


「いや……」


それだけで分かった。


何かある。


母が隠したアルバム。


母が残したノート。


そして父の話。


全部が繋がっている。


父はしばらく黙っていた。


やがて観念したように小さく笑う。


「母さんには敵わんな」


その顔はどこか寂しそうだった。


そして少しだけ懐かしそうでもあった。


父は窓の外を見る。


夕陽が差し込んでいる。


紫陽花が赤く染まっていた。


「長い話になるぞ」


その言葉に、


私と彩花は息を呑んだ。


母が残した次の扉が、


今まさに開こうとしていた。

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