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亡くなった母から、三年後にLINEが届いた〜止まっていた家族の時間が、切なくも温かい奇跡で動き出す〜  作者: 鷹司 怜


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【第二章 母しか知らないこと】 第4話 母しか知らないこと

『まだ会えるよ』


私はその文字を何度も読み返した。


十回。


二十回。


いや、もっとかもしれない。


スマートフォンの画面は変わらない。


送信者は『母』。


そして返信は確かに存在していた。


『まだ会えるよ』


意味が分からなかった。


会える?


誰に?


どうやって?


母は三年前に亡くなった。


それは変わらない事実だ。


病院で見送った。


棺に花も入れた。


墓参りにも行った。


だから会えるはずがない。


それなのに胸の奥では別の声が囁いていた。


もし本当に母だったら。


私は慌てて首を振った。


そんなわけがない。


冷静になれ。


きっと理由がある。


誰かのいたずらかもしれない。


LINEの予約送信かもしれない。


何か説明できる仕組みがあるはずだ。


そう思うのに。


思えば思うほど苦しくなった。


期待してしまうからだ。


期待して。


違った時が怖い。


三年前、母を失った時のように。


もう一度失うのが怖かった。


時計を見る。


午前一時四十分。


眠れるはずがなかった。


私はソファに座ったまま、スマートフォンを見つめ続けた。


画面には母とのトーク履歴。


四年前の会話。


そして今夜の会話。


その間には三年という空白がある。


三年間。


何もなかった場所に。


突然言葉が現れた。


まるで母が帰ってきたみたいに。


そんな考えが浮かび、私は目を閉じた。


母の顔が浮かぶ。


料理をしている姿。


洗濯物を畳む姿。


テレビを見て笑う姿。


どれも当たり前だった。


失うなんて考えたこともなかった。


人はどうして、大切なものがなくなってから気づくのだろう。


もっと話せばよかった。


もっと帰ればよかった。


もっとありがとうと言えばよかった。


そんなことばかり考えてしまう。


スマートフォンを胸に抱える。


そのままソファへ身体を預けた。


気づけば外は静かになっていた。


雨も止んでいる。


私はいつの間にか眠っていた。


・・・


目を覚ますと朝だった。


カーテンの隙間から光が差し込んでいる。


首が痛い。


ソファで寝てしまったらしい。


時計を見る。


午前七時。


会社へ行かなければならない。


だが真っ先に手を伸ばしたのはスマートフォンだった。


LINEを開く。


新しい通知はない。


少しだけ安心した。


そして少しだけ寂しかった。


自分でも嫌になる。


昨夜まで信じていなかったくせに。


もう次のメッセージを待っている。


私は苦笑した。


顔を洗い、スーツへ着替える。


朝食代わりのコーヒーを流し込む。


いつもの朝。


いつもの通勤。


いつもの満員電車。


それなのに世界が少し違って見えた。


母からLINEが来た。


たったそれだけで。


三年間止まっていた時間が動き始めている気がした。


午前十時。


会議中だった。


部長の話が続いている。


私は資料を見ているふりをしながら、何度もスマートフォンを確認していた。


自分でも情けないと思う。


高校生じゃあるまいし。


だが気になって仕方なかった。


その時だった。


――ピコン。


通知音。


心臓が跳ねる。


私は机の下でそっと画面を見る。


送り主は『母』だった。


呼吸が止まる。


新しいメッセージ。


短い一文。


それだけだった。


『大輔、覚えてる?』


私は固まった。


覚えてる?


何を。


次の瞬間。


新しいメッセージが続く。


『小学一年生の時、お財布をなくして泣いたこと』


私は思わずスマートフォンを落としそうになった。


その記憶。


忘れていた。


いや。


忘れたつもりになっていた。


胸の奥の引き出しがゆっくり開く。


夏の日だった。


蝉が鳴いていた。


近所の公園。


赤い財布。


そして泣きじゃくる幼い自分。


その出来事を知っている人間は少ない。


父も知らない。


彩花も知らない。


友達も知らない。


あの日、一緒にいたのは。


母だけだった。


私は震える指で画面を見つめた。


すると新しいメッセージが届く。


『あの日ね、本当は財布をなくしたんじゃなかったんだよ』


私の背筋に冷たいものが走った。


それは。


誰にも話したことのない秘密だった。


私自身ですら忘れていた。


母しか知らない。


母しか知らないはずの記憶だった。


会議の内容はまったく頭に入ってこなかった。


私は机の下でスマートフォンを握りしめていた。


画面には母からのメッセージ。


『あの日ね、本当は財布をなくしたんじゃなかったんだよ』


心臓が速くなる。


喉が渇く。


忘れていた記憶が少しずつ浮かび上がってくる。


夏だった。


蝉がうるさいほど鳴いていた。


小学一年生。


まだランドセルが大きく見えていた頃。


私は赤い子供用の財布を持っていた。


母が買ってくれたものだった。


中には小遣いが入っていた。


確か五百円。


当時の私には大金だった。


近所の公園へ遊びに行った帰り。


私は財布がないことに気づいた。


泣いた。


必死に泣いた。


母の手を引っ張って、


「探して!」


「どこかに落とした!」


と叫んでいた。


母は一緒に探してくれた。


公園の砂場。


滑り台の下。


ブランコの周り。


何度も歩き回った。


だが見つからなかった。


夕方になった。


空が赤くなった。


私は諦めきれずに泣いていた。


その記憶だけはある。


だが、その後が曖昧だった。


なぜだろう。


財布が見つかったのか。


見つからなかったのか。


そこだけが思い出せない。


スマートフォンが震えた。


新しいメッセージ。


『大輔はね、怒られると思ったんだよね』


私は息を止めた。


その瞬間。


記憶の奥で何かが動いた。


怒られる。


そうだ。


私は怖かった。


財布をなくしたことよりも。


母に怒られることが。


五百円をなくしたことが。


子供ながらに悪いことをしたと思った。


『だから公園の東側の植え込みに隠した』


私は目を見開いた。


会議室の空気が遠ざかる。


耳鳴りがする。


植え込み。


あった。


確かにあった。


公園の端。


低い生垣。


私はそこへ財布を押し込んだ。


自分で。


なくしたのではなかった。


隠したのだ。


怒られるのが怖くて。


そして隠した場所を忘れた。


だから泣いた。


だから探した。


だから本当に見つからなくなった。


私はその事実を思い出した。


二十年以上忘れていた記憶だった。


誰にも話したことがない。


父にも。


彩花にも。


友達にも。


話していない。


話す必要もなかった。


あまりにも小さな出来事だったからだ。


だが。


母は知っていた。


あの日、一緒にいたのだから。


スマートフォンが再び震えた。


『お母さん、本当は最初から知ってたんだよ』


私は画面を凝視した。


続けてメッセージが届く。


『大輔が植え込みを何度も見ていたから』


涙が込み上げた。


そうだった。


母は気づいていた。


子供の嘘など見抜いていた。


それでも何も言わなかった。


私は会議室にいることも忘れていた。


目の前の資料も。


部長の声も。


何も聞こえない。


あるのは母の言葉だけだった。


『でも言わなかった』


『大輔が自分で気づくのを待った』


胸が締め付けられる。


母らしい。


本当に。


母らしい。


頭ごなしに叱る人ではなかった。


まず待つ人だった。


見守る人だった。


私が失敗した時も。


遠回りした時も。


すぐには答えを言わなかった。


自分で気づくまで待ってくれた。


私は目を閉じた。


そして思い出した。


あの日の夕方を。


西日が差していた。


蝉の声。


赤く染まる公園。


私は突然思い出した。


植え込みだ。


そこへ走った。


手を突っ込んだ。


そして財布を見つけた。


私は泣きながら母のところへ戻った。


「あった!」


そう叫んだ。


母は驚いたふりをした。


「よかったね」


と笑った。


今なら分かる。


母は最初から知っていたのだ。


それでも私の小さなプライドを守ってくれた。


私が自分で見つけたと思わせてくれた。


その優しさを。


私は今になって理解した。


会議が終わった。


周囲の人間が立ち上がる。


私は動けなかった。


スマートフォンを見つめたまま。


胸が熱い。


あまりにも母だった。


この記憶は誰にも話していない。


検索して出るものでもない。


SNSに書いたこともない。


父ですら知らない。


それなのに。


なぜ。


どうして。


私は震える指でメッセージを打ち始めた。


『どうして知ってるの?』


送信しようとして止まる。


違う。


知っているに決まっている。


母だからだ。


その考えが浮かんだ瞬間。


私は自分で驚いた。


いつの間にか。


私は少しずつ信じ始めていた。


会議が終わっても、私は席を立てなかった。


スマートフォンを握ったまま動けない。


周囲では同僚たちが資料を片付けている。


雑談が聞こえる。


椅子を引く音がする。


けれど私の世界には届いてこなかった。


頭の中にあるのは一つだけ。


母だった。


赤い財布。


公園の植え込み。


夕暮れ。


「よかったね」


と笑った母。


あの記憶は本物だった。


誰にも話していない。


父にも。


彩花にも。


それなのに母は知っている。


いや。


知っていて当然なのだ。


あの日、一緒にいたのだから。


私はスマートフォンを見つめた。


そして震える指で文字を打つ。


今まで何度も書こうとしてやめた言葉。


怖くて聞けなかった言葉。


だが、もう逃げられなかった。


『本当に、お母さんなの?』


送信。


画面に緑色の吹き出しが表示される。


送った瞬間、後悔した。


聞かなければよかった。


もし否定されたら。


もし全部終わったら。


そう思うと胸が苦しくなる。


返信はすぐには来なかった。


私は会社を出た。


駅へ向かう。


電車へ乗る。


窓の外の景色が流れていく。


それでも何度もスマートフォンを見る。


返事はない。


家へ着いた。


ネクタイを外す。


スーツを脱ぐ。


夕飯を作る気にもなれず、コンビニのおにぎりを買った。


味がしない。


気づけば時計は午後九時を回っていた。


私はソファへ腰を下ろした。


その時だった。


――ピコン。


通知音。


全身が強張る。


急いで画面を開く。


母からだった。


短い返事。


たった一文。


『それ、大事?』


私は思わず息を止めた。


予想していた答えではなかった。


肯定でも否定でもない。


けれど、その返し方があまりにも母だった。


子供の頃からそうだった。


私が白か黒かを求めると、


母はいつも少し違う答えを返した。


高校生の頃。


進路に悩んでいた時もそうだ。


「この大学に行くべきかな」


と聞いた私に、


母は


「大輔はどうしたいの?」


と聞き返した。


社会人になり、


転職を考えた時も。


「辞めた方がいいかな」


と相談すると、


「辞めたいの?」


と聞いた。


答えを押しつける人ではなかった。


いつも私自身に考えさせた。


だから今回も同じだった。


『それ、大事?』


私はスマートフォンを見つめた。


本当に大事なのだろうか。


相手が母かどうか。


もちろん知りたい。


だが今、この瞬間。


もっと大事なことがある気がした。


三年間、伝えられなかったこと。


聞けなかったこと。


会えなかったこと。


私は目を閉じた。


そして小さく笑った。


涙が滲む。


母らしい。


本当に。


嫌になるほど。


その時、新しいメッセージが届いた。


『大輔』


私は姿勢を正した。


続けて送られてくる。


『お父さん、最近笑ってる?』


胸がざわついた。


父。


思わず画面を見つめる。


父とはもう何か月も会っていない。


連絡も最低限だ。


正月。


盆。


必要な時だけ。


昔は違った。


母がいた頃は、もっと帰っていた。


実家で夕飯を食べた。


父とテレビを見た。


母が笑った。


それが当たり前だった。


けれど母がいなくなってから。


私は実家へ帰れなくなった。


帰るたびに思い出すからだ。


病院のことを。


最後の一時間を。


だから逃げた。


父から。


実家から。


そして自分から。


スマートフォンが震える。


『お父さんね』


その後に続いた言葉を見て、


私は言葉を失った。


『今でも毎朝、お母さんに話しかけてるよ』


私は固まった。


知らなかった。


そんなこと。


父は何も言わなかった。


彩花も言わなかった。


私は何も知らなかった。


新しいメッセージ。


『仏壇のお花、毎週替えてる』


『お母さんの好きだったお菓子も置いてる』


『誰も見てない時に泣いてる』


私はスマートフォンを握りしめた。


胸が痛い。


苦しい。


父のことを何も知らなかった。


自分の後悔ばかり見ていた。


自分の傷ばかり見ていた。


父だって同じなのに。


いや。


父の方がずっと長い時間を母と生きてきた。


その父を私は一人にしていた。


その事実が胸へ突き刺さる。


私は画面を見つめた。


母から最後のメッセージが届く。


『今度の休み、帰ってみたら?』


短い一文だった。


けれど。


それは命令でもなく。


お願いでもなく。


ただ母らしい優しさだった。


私は窓の外を見る。


夜の街。


静かな明かり。


そして思う。


母はもういない。


それは変わらない。


けれど。


残された人たちは生きている。


父も。


彩花も。


そして私も。


スマートフォンへ視線を戻す。


返信欄を開く。


何を書けばいいのか分からなかった。


けれど一つだけ決まっていた。


私は帰ろうと思った。


三年間避け続けた実家へ。


父のいる家へ。


母の思い出が残る場所へ。


その決意をした瞬間だった。


母から新しいメッセージが届く。


たった一行。


だが、その言葉は大輔の心を大きく揺らすことになる。


『本当はね、お父さんにも秘密があるんだよ』


私は息を呑んだ。


父の秘密。


それは何なのか。


そして、なぜ母は今それを伝えようとしているのか。


まだ知らない。


だが確かに感じていた。


母から届くLINEは、


ただ過去を懐かしむためのものではない。


何かを伝えるために届いている。


私が前へ進むために。


家族がもう一度繋がるために。


その夜。


私は三年ぶりに実家へ帰る決意をした。

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