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亡くなった母から、三年後にLINEが届いた〜止まっていた家族の時間が、切なくも温かい奇跡で動き出す〜  作者: 鷹司 怜


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【最終章 ありがとう、お母さん】 第26話 新しい家族写真

六月最後の日曜日。


 朝から空は高く晴れ渡り、窓を開けると湿った風が部屋へ流れ込んできた。


 食卓では彩花がおにぎりを握っている。


「お兄ちゃん、お弁当できたよ。」


 丸いおにぎりが四つ。


 卵焼き。


 鶏の唐揚げ。


 母が運動会の日によく作ってくれた定番のお弁当だった。


 父は水筒へ麦茶を入れながら微笑む。


「ずいぶん手際が良くなったな。」


 彩花は少し照れながら答えた。


「お母さんには、まだまだだけどね。」


 大輔は卵焼きを一切れつまむ。


「うん。」


「今日は焦げてない。」


「失礼だなあ。」


 彩花が笑いながら肩を軽く叩く。


 その笑い声に、父もつられて笑った。


 仏壇へ出発の挨拶をすると、大輔は写真立ての母へ語りかける。


「母さん。」


「約束どおり、みんなで行ってくるよ。」


 遺影の笑顔は、どこか少し誇らしげに見えた。


 玄関を開けると、初夏の日差しが降り注ぐ。


 車に乗り込み、父がエンジンをかけた。


 カーナビは使わない。


 母が毎年案内してくれた道は、三人とも体が覚えていた。


 車窓には田んぼが広がる。


 水面に映る青空が風に揺れ、遠くでは子どもたちの笑い声が聞こえる。


 大輔は窓の外を眺めながら、小さく笑った。


「母さん、この景色が好きだったよね。」


 父は頷く。


「ああ。」


「毎年、『もうすぐ紫陽花が見頃だね』って嬉しそうだった。」


 彩花は後部座席で古いアルバムを開いていた。


「見て。」


 一枚の写真を前へ差し出す。


 そこには、小学生だった大輔と幼い彩花が、紫陽花の前で変顔をしている姿が写っていた。


 母は笑い転げ、父は困ったように笑っている。


「これ、覚えてる?」


 大輔は吹き出した。


「覚えてるよ。」


「母さん、『写真なんだから普通の顔しなさい』って言ってたのに。」


 彩花も笑う。


「結局、お母さんが一番笑ってた。」


 車内に笑い声が響く。


 その声は三年前には失われていた音だった。


 やがて車は、小高い丘の上にある紫陽花公園へ到着した。


 入口をくぐると、一面に咲き誇る紫陽花が三人を迎えてくれる。


 青。


 紫。


 桃色。


 白。


 雨上がりの雫をまとった花々が、六月の光を受けて輝いていた。


 彩花が思わず息をのむ。


「きれい……。」


 父も静かに頷く。


「あの日と変わらないな。」


 大輔は胸いっぱいに空気を吸い込んだ。


 土の匂い。


 草の香り。


 風に揺れる花の音。


 すべてが懐かしかった。


 三人はゆっくりと遊歩道を歩き始める。


 途中、小さなベンチが見えた。


 母が毎年必ず腰掛けて、お弁当を広げていた場所だった。


「ここだ。」


 父が静かにつぶやく。


 三人はベンチへ腰を下ろし、お弁当を開く。


 唐揚げを頬張る父。


 嬉しそうに卵焼きを配る彩花。


 おにぎりをほおばる大輔。


 その光景を見ながら、大輔はふと思った。


 もし今、母がここにいたら。


 きっと一番最初に言うだろう。


『足りる?』


 その想像に、自然と笑みがこぼれた。


 すると父がぽつりと口を開く。


「写真を撮ろうか。」


 大輔は手にしていた古い写真を見つめる。


 十年前。


 母が裏に書き残した願い。


『十年後も、ここで笑えていますように。』


 その願いを胸に、大輔はゆっくりとうなずいた。


「うん。」


「撮ろう。」


 新しい家族写真を。


公園の中央には、小さな展望広場があった。


 十年前に家族写真を撮った場所だ。


 あの日と同じように紫陽花が咲き、遠くには青い山並みが広がっている。


 違うのは、一人だけ足りないことだった。


 父は古い写真を取り出し、景色と見比べる。


「この木も、大きくなったな。」


 写真の奥に写っていた若木は、今では立派な枝を広げ、紫陽花へやさしい木陰を落としていた。


 大輔は写真を見つめる。


 幼い自分。


 彩花。


 父。


 そして、母。


 四人とも笑っている。


 何気ない休日。


 ただ、それだけの日。


 けれど今となっては、その何気なさが、どれほど大切だったのかが分かる。


「お兄ちゃん。」


 彩花が静かに声をかけた。


「写真、撮ろう。」


 父がスマートフォンを取り出しかけると、近くを散歩していた年配の女性が微笑みながら声をかけてくれた。


「よかったら、お撮りしましょうか?」


 父は少し驚き、それから穏やかに笑った。


「ありがとうございます。」


 女性はスマートフォンを受け取り、少し離れた場所へ立つ。


「はい、もう少し寄ってください。」


 三人は自然と肩を寄せ合った。


 その瞬間、大輔はふと遺影の母を思い出した。


 写真を撮るたびに、母は決まって言っていた。


『もっと笑って。』


『あとで見返したとき、笑顔のほうが幸せになれるから。』


 胸が熱くなる。


 自然と口元が緩んだ。


 女性が微笑む。


「いい笑顔ですね。」


 ――カシャ。


 シャッター音が静かに響いた。


 撮影が終わり、女性はスマートフォンを返しながら言った。


「ご家族で来られたんですね。」


 父は画面を見つめ、小さくうなずいた。


「はい。」


「家族です。」


 その一言には、迷いがなかった。


 四人ではなく、三人でもなく。


 母も含めて、この家族なのだという確かな思いが込められていた。


 女性は写真を見て微笑む。


「とても素敵な一枚ですよ。」


「きっと、あと何年たっても宝物になりますね。」


 その言葉に、大輔は深く頭を下げた。


「ありがとうございます。」


 女性が去ったあと、三人はベンチへ戻った。


 彩花が撮ったばかりの写真を開く。


「見て。」


 画面には、寄り添って笑う三人が写っていた。


 その後ろには、一面の紫陽花。


 青空。


 そして、やわらかな木漏れ日。


「いい写真だね。」


 父がそう言うと、彩花は古い写真と新しい写真を並べた。


 十年前。


 そして、今日。


 場所は同じ。


 季節も同じ。


 違うのは時間だけだった。


 大輔は二枚の写真を見比べながら、ふと笑った。


「母さんなら、きっと言うよ。」


「『みんな、大人になったね』って。」


 三人は顔を見合わせ、静かに笑った。


 その笑顔には、もう無理はなかった。


 悲しみは消えていない。


 寂しさも残っている。


 それでも、その隣には確かに温かな思い出があった。


 父がゆっくり立ち上がる。


「少し歩こう。」


 遊歩道の先には、小さな東屋が見える。


 そこは母が毎年、紫陽花を眺めながら必ず立ち寄っていた場所だった。


「母さんが一番好きだった場所だ。」


 父の言葉に、大輔は静かにうなずく。


 三人は並んで歩き始めた。


 風が吹き抜ける。


 紫陽花がやさしく揺れる。


 その花の向こうに、母の笑顔が浮かんだ気がした。


 けれど今度は、涙はこぼれなかった。


 代わりに、大輔は心の中でそっとつぶやく。


(母さん。)


(約束、ちゃんと守ってるよ。)


東屋へ続く石畳の道を、三人はゆっくりと歩いていた。


 風が吹くたび、紫陽花が小さく揺れる。


 青、紫、白――。


 色とりどりの花が、まるで「おかえり」と迎えてくれているようだった。


 東屋へ着くと、父は柱にもたれ、景色を見渡した。


「母さんは、ここが一番好きだった。」


 彩花が辺りを見回す。


「どうして?」


 父は静かに笑う。


「ここからだと、公園のみんなが見えるだろう。」


 広場では小さな子どもが走り回り、若い夫婦が笑い合い、年配の夫婦がゆっくりと散歩をしている。


 それを見つめながら、母はよく言っていた。


『幸せって、特別な日だけじゃないんだね。』


『こういう何でもない一日が、一番大事なんだよ。』


 その言葉を思い出し、大輔は静かに目を閉じた。


 今なら、その意味が分かる。


 幸せとは、大きな出来事ではない。


 誰かと同じ景色を見て、同じ時間を過ごすこと。


 その積み重ねだった。


 彩花がお弁当箱を片づけながら笑う。


「また来ようね。」


「来年も、その次の年も。」


 父は大きくうなずいた。


「ああ。」


「母さんに会いに来るんじゃない。」


「母さんが好きだった景色を、俺たちも好きでいたいからな。」


 大輔は空を見上げる。


 雲ひとつない青空。


 六月の光を受け、紫陽花がきらきらと輝いている。


 その景色を見ていると、不思議と胸の奥が温かくなった。


 母はもう、この景色を見ることはできない。


 けれど――。


 自分たちが見続けることで、母が愛した世界は消えない。


 それでいいのだと思えた。


 父がゆっくりと立ち上がる。


「帰ろうか。」


 三人は東屋をあとにした。


 帰り道、さっき撮った写真をもう一度開く。


 画面には、笑顔の三人。


 その後ろに咲き誇る紫陽花。


 大輔は十年前の写真と見比べる。


 そこには、時間の流れが写っていた。


 失ったものもある。


 変わってしまったものもある。


 それでも、変わらなかったものがある。


 家族を思う気持ち。


 誰かの「おかえり」を待つ心。


 そして、笑顔で食卓を囲む幸せ。


 写真を見つめながら、大輔は静かにつぶやいた。


「母さん。」


「ありがとう。」


 風が吹いた。


 紫陽花が一斉に揺れる。


 まるで返事をするように。


 父が少し照れながら言う。


「来年は、もっと弁当を豪華にするか。」


 彩花が笑う。


「じゃあ、お父さんも料理手伝ってよ。」


「努力する。」


「『努力する』じゃなくて、『やる』でしょ。」


 三人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。


 その笑い声は、公園の緑の中へ溶けていく。


 誰かを失った悲しみは、なくならない。


 けれど、その人と過ごした時間は、今日を生きる力になる。


 母が残したLINEも。


 母の声も。


 写真も。


 そのすべては、過去へ戻るためではなかった。


 未来へ歩き出すための、小さな勇気だった。


 三人はゆっくりと公園の出口へ向かう。


 その背中を、六月の風がやさしく押していた。

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