表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡くなった母から、三年後にLINEが届いた〜止まっていた家族の時間が、切なくも温かい奇跡で動き出す〜  作者: 鷹司 怜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/27

【第六章 予約されたLINE】 第20話 届き続ける言葉


 翌朝。


 窓の外では、昨夜の雨が嘘だったかのように青空が広がっていた。


 庭の紫陽花には雨粒が残り、朝日に照らされて小さく輝いている。


 大輔は縁側に座り、その景色を静かに眺めていた。


 昨夜、母のスマートフォンに電源が入った。


 そして、開かなかったLINEが、今日はいよいよ開かれる。


 胸の鼓動は落ち着かないのに、不思議と恐怖はなかった。


 母の言葉なら、きっと自分たちを傷つけることはない。


 そう信じられたからだ。


「朝ご飯できたよ。」


 彩花の声が台所から聞こえる。


 食卓には焼き魚と味噌汁、それに卵焼きが並んでいた。


「母さんの味に近づいたかな。」


 照れくさそうに笑う彩花へ、父は優しく頷く。


「十分うまい。」


 その何気ないやり取りに、大輔は胸が温かくなった。


 母が願っていたのは、きっとこんな朝だったのだろう。


 食卓を囲み、笑い合う家族。


 それだけで十分幸せだった。


 朝食を終えると、父は居間の座卓へスマートフォンを置いた。


 三人が自然と向かい合って座る。


 まるで法事の日のように、誰も軽々しく口を開けなかった。


 父は静かに深呼吸する。


「……開くぞ。」


 大輔と彩花は小さく頷いた。


 LINEのアイコンに指が触れる。


 画面が切り替わり、友だち一覧が表示された。


 そこには家族や親戚、近所の人たちとのやり取りが並んでいた。


 母らしい、短くて温かな文章ばかりだった。


『ありがとう。』


『気をつけて帰ってね。』


『今度また遊びに来てね。』


 どの言葉にも、相手を気遣う優しさがあった。


 父は一覧をゆっくりスクロールする。


 すると、一番上に固定されたトークが現れた。


 相手の名前は――


 「大輔」


 大輔は思わず息をのむ。


「俺……。」


 父は画面を見つめたまま言う。


「開いていいか。」


「……うん。」


 静かに頷く。


 トーク画面が開いた。


 そこには、生前の何気ない会話が並んでいた。


『今日は仕事どう?』


『ちゃんとご飯食べてる?』


『無理しすぎちゃだめだよ。』


 ありふれたやり取り。


 でも今となっては、一つひとつが宝物だった。


 画面を下へ送る。


 母が入院してからのメッセージ。


『今日は少し元気。』


『病院のご飯、おいしくないなあ。』


『退院したら唐揚げ作るね。』


 そして――。


 母からの最後の既読メッセージ。


『また明日ね。』


 その翌日、母は意識を失った。


 それ以降、返信はない。


 大輔は目を閉じた。


 あの日、「また明日」が来ると信じていた。


 誰も、最後になるとは思っていなかった。


 父はさらに下へスクロールする。


 すると、画面の一番下に、小さな時計のマークが付いたメッセージが表示された。


 送信日時は――


 三年後の今日。


 彩花が小さく息をのむ。


「これが……。」


 父はゆっくりと画面を見つめた。


 そこに書かれていたのは、たった一行。


『おはよう、大輔。ちゃんと朝ご飯は食べましたか?』


 その瞬間だった。


 大輔の視界が滲む。


 朝、彩花が作ってくれた卵焼き。


 父と交わした「うまいな」という会話。


 まるで母が、その食卓を見ていたかのような言葉だった。


「母さん……。」


 声にならない。


 たった一文なのに、胸がいっぱいになる。


 父は画面を見つめながら、静かにつぶやいた。


「三年経っても……母さんは朝ご飯の心配をしてる。」


 彩花は涙を拭いながら笑った。


「本当に、お母さんらしいね。」


 大輔はスマートフォンへ手を伸ばす。


 画面の下には、まだ続きを示す小さな文字が表示されていた。


『続きを読む』


 そこには、まだ誰も読んでいない母の想いが眠っていた。


 大輔はゆっくり息を吸う。


「……読もう。」


 家族は静かに頷いた。


 止まっていた時間が、また一歩、未来へ動き始める。


大輔は、スマートフォンの画面を見つめたまま動けなかった。


 たった一行。


 それだけなのに、胸の奥へ真っすぐ届いてくる。


『おはよう、大輔。ちゃんと朝ご飯は食べましたか?』


 その文字は、三年前の母と何一つ変わらなかった。


 父が静かに言う。


「返信……したくなるな。」


 その言葉に、大輔は苦く笑った。


「うん。」


「『食べたよ』って送りたくなる。」


 もちろん、送ったところで既読にはならない。


 そう分かっている。


 それでも、指先は自然とキーボードへ伸びそうになる。


 彩花は涙をぬぐいながら笑った。


「お母さん、いつも最初に聞くことは同じだったよね。」


『朝ご飯食べた?』


『ちゃんと寝た?』


『風邪ひいてない?』


 勉強のことでも、仕事のことでもなかった。


 まずは、ご飯。


 まずは、体。


 それが母だった。


 父は画面をそっと下へ送る。


 すると、メッセージの続きを読むことができた。


『忙しいと、ご飯を抜いてしまうでしょう。』


『でもね、人はちゃんと食べないと、心までお腹を空かせてしまいます。』


 居間が静まり返る。


 大輔は思い出していた。


 母がよく言っていた言葉。


『お腹が空いていると、悲しいことばかり考えちゃうからね。』


 子どもの頃は意味が分からなかった。


 けれど社会人になり、一人暮らしを始めてから、その言葉の意味を何度も思い知った。


 疲れて帰った夜。


 食事も取らずに眠ってしまった翌朝は、不思議と世界まで暗く見えた。


 母は、そんなことまで分かっていたのだ。


 画面には、さらに続きがあった。


『お父さんへ。』


 三人は思わず顔を見合わせる。


 父は小さく息をのみ、画面へ目を落とした。


『ちゃんと笑っていますか?』


 父の肩がわずかに震えた。


『あなたは悲しい時ほど、人前で笑う人だから心配です。』


 大輔は父を見る。


 母が亡くなった葬儀の日。


 父は親戚へ頭を下げ、気丈に振る舞っていた。


 涙を見せたのは、皆が帰った深夜、一人で仏壇の前に座っていたときだけだった。


 母は、その父の性格を誰よりも知っていた。


 父は目を閉じ、ゆっくり笑う。


「かなわないな……。」


「最後まで見抜かれてる。」


 彩花は父の肩へそっと手を置いた。


 その温もりに、父は少しだけ表情を和らげる。


 大輔は画面をさらに送る。


 今度は彩花へのメッセージだった。


『彩花。』


『頑張りすぎなくていいの。』


『人に頼ることも、強さだからね。』


 彩花はその場で口元を押さえた。


「なんで……。」


 誰にも話していない。


 仕事で無理をしていたことも。


 一人になると泣いていたことも。


 それなのに、母は全部知っているようだった。


「お母さん……。」


 涙がぽたぽたと膝へ落ちる。


 父は何も言わず、娘の背中を優しくさすった。


 しばらく誰も話さなかった。


 聞こえるのは柱時計の振り子だけ。


 コツ。


 コツ。


 コツ。


 三年前から止まっていた家族の時間が、ゆっくりと動き始めているようだった。


 そのとき、大輔は画面の一番下に、小さなアイコンがあることに気づく。


 封筒の形をしたマークだった。


「これ……何だろう。」


 父も初めて気づいたように身を乗り出す。


 封筒には、小さく一文字だけ表示されていた。


『最後に』


 タップしようとした、その瞬間。


 画面が切り替わり、


『指定日時まで開封できません。』


 という表示が現れた。


 三人は息をのむ。


「まだ……続きがある?」


 大輔の鼓動が高鳴る。


 母は一通だけでは終わらせていなかった。


 まだ、未来のどこかへ向けた言葉が残されている。


 それは、家族が今の自分たちになる日を待っているかのようだった。


 父は静かにスマートフォンを置いた。


「母さんは……。」


「俺たちを急がせないつもりなんだな。」


 大輔は深く頷く。


 一度に全部伝えるのではない。


 一歩ずつ。


 家族が前を向ける速さに合わせて。


 母は、三年という時間さえも愛情に変えていたのだった。


 誰も、すぐには言葉を発することができなかった。


 居間に流れるのは、柱時計の振り子の音だけ。


 カチ、コチ。


 カチ、コチ。


 三年前には止まってしまったはずの家族の時間が、少しずつ動き始めているようだった。


 父は静かにスマートフォンを見つめていた。


 画面には、母から届いた最初のメッセージが表示されたままだ。


『ちゃんと朝ご飯は食べましたか?』


 何度読んでも、その一文が胸に染みる。


 大輔は小さく笑った。


「母さんらしいよ。」


「三年ぶりの最初の言葉が、『元気だった?』でも『会いたかった』でもない。」


「朝ご飯の心配なんだ。」


 彩花も涙を拭いながら笑う。


「本当にそう。」


「最後まで、お母さんだったね。」


 三人は顔を見合わせる。


 泣き顔なのに、不思議と笑っていた。


 父はスマートフォンをそっと仏壇の前へ置いた。


 遺影の母が穏やかに微笑んでいる。


「ありがとう。」


 父は静かに頭を下げた。


「今日も、家族を集めてくれた。」


 その言葉に、大輔ははっとする。


 そうだ。


 三年前、母が亡くなってから、家族三人だけで食卓を囲むことはほとんどなかった。


 仕事。


 距離。


 忙しさ。


 それぞれに理由があり、少しずつ家族の時間は減っていった。


 けれど母からの一通のLINEが、その止まっていた時間を再び動かしている。


 大輔は立ち上がり、台所へ向かった。


「何か作ろうか。」


 彩花が驚く。


「えっ?」


「昼ご飯。」


「母さんなら、きっと『せっかく集まったんだから一緒に食べなさい』って言うと思う。」


 父が笑う。


「それは間違いない。」


 三人は冷蔵庫を開ける。


 残っていた野菜。


 卵。


 味噌。


 母が漬けた最後の梅干し。


 豪華な料理ではない。


 けれど、一緒に作る時間が温かかった。


 父は包丁を握りながら苦笑する。


「母さんには、『危なっかしい』ってよく言われたな。」


「でも今日は、ちゃんと教わった通りにやってみる。」


 彩花が笑う。


「私は味噌汁担当ね。」


 大輔は卵焼きを焼き始める。


 少し焦げてしまった。


 それを見て三人で笑う。


「失敗した。」


「でも、お母さんならきっと言うよ。」


 彩花は優しく微笑んだ。


「『焦げても大丈夫。家族で食べればおいしいよ』って。」


 食卓に料理が並ぶ。


 仏壇にも、小さなお椀と箸を添えた。


 父は手を合わせる。


「母さん。」


「いただきます。」


 三人も続く。


「いただきます。」


 その瞬間だった。


 窓の外から、やわらかな風が吹き込んだ。


 庭の紫陽花が静かに揺れる。


 カーテンも、母が微笑んだようにふわりと膨らんだ。


 彩花が空を見上げる。


「……今、来た気がした。」


 父は笑って答えた。


「ああ。」


「きっと、『ちゃんと食べなさい』って見に来たんだ。」


 大輔は箸を取り、卵焼きを一口食べる。


 少し甘くて、少し焦げていて。


 母の味には、まだ遠い。


 それでも心は満たされていた。


 食べること。


 笑うこと。


 誰かと同じ食卓を囲むこと。


 母が残したかったのは、そんな当たり前の日常だったのだ。


 食事を終えたあと、大輔はもう一度スマートフォンを見つめた。


 画面には、新しい通知はまだない。


 けれど、不思議と待つことは苦ではなかった。


 母はきっと、一番いいタイミングで次の言葉を届けてくれる。


 焦らなくていい。


 その日まで、自分たちはちゃんと生きよう。


 ちゃんと笑おう。


 ちゃんと食べよう。


 それが、母への一番の返事になる。


 大輔は仏壇の写真へ向かって微笑んだ。


「母さん。」


「今日はちゃんと、ご飯を食べたよ。」


 遺影の中の母は、何も言わずに笑っていた。


 けれど、その笑顔は、どんな言葉よりも優しく大輔たちを包み込んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ