表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡くなった母から、三年後にLINEが届いた〜止まっていた家族の時間が、切なくも温かい奇跡で動き出す〜  作者: 鷹司 怜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/27

【第四章 母の心残り】 第12話 妹との約束

母が亡くなってから三年。


私はずっと、自分が一番後悔していると思っていた。


最後に会えなかったから。


電話を後回しにしたから。


仕事を優先したから。


その罪悪感を抱えて生きてきた。


けれど違った。


父も苦しんでいた。


そしてきっと――彩花も。


そのことを考えながら実家へ向かった日だった。


六月最後の日曜日。


空は青く晴れていた。


庭の紫陽花は少し色褪せ始めている。


季節は少しずつ進んでいた。


居間へ入ると、父は買い物へ出ていた。


家には彩花だけだった。


珍しいことだった。


「いらっしゃい」


キッチンから顔を出した彩花が笑う。


昔から変わらない笑顔だった。


母によく似ている。


私は冷蔵庫から麦茶を取り出した。


「父さんは?」


「スーパー」


「また特売?」


「たぶん」


二人で笑う。


しばらく他愛のない話をした。


仕事のこと。


天気のこと。


近所の話。


だが私には気になっていることがあった。


母から届いたLINE。


『次は彩花の番だね』


あの言葉。


母は何を伝えたかったのだろう。


私は意を決した。


「彩花」


「ん?」


「母さんのことで聞きたいことがある」


彩花の手が止まった。


ほんの一瞬だった。


けれど確かに止まった。


私は見逃さなかった。


彩花は笑う。


「なに?」


その笑顔が少し無理をしているように見えた。


私は静かに言った。


「病院のこと」


空気が変わった。


窓から吹く風だけが聞こえる。


彩花はしばらく黙っていた。


そしてゆっくり椅子へ腰掛ける。


「兄ちゃん」


その呼び方が少し懐かしかった。


子どもの頃はいつもそう呼んでいた。


「私ね」


彩花が視線を落とす。


「ずっと言えなかったことがある」


胸がざわついた。


私は何も言わず待つ。


彩花は膝の上で指を組んだ。


少し震えている。


「母さんが亡くなる前の日」


私は息を呑む。


彩花が顔を上げる。


目が赤かった。


「私、母さんと約束したの」


約束。


またその言葉だった。


父との約束。


レオンとの約束。


そして今度は彩花。


母はどれだけの想いを残していたのだろう。


「どんな約束?」


私が聞く。


彩花は少しだけ笑った。


泣きそうな笑顔だった。


「兄ちゃんには内緒って」


私は思わず苦笑する。


母らしい。


最後までそういう人だった。


だが彩花の表情は変わらない。


その約束は、ただの秘密ではなかった。


もっと重いものだった。


「母さんね」


彩花の声が震える。


「兄ちゃんは絶対に自分を責めるって言ったの」


私は言葉を失った。


母のノートにも書いてあった。


『きっと自分を責めると思います』


母は分かっていた。


私のことを。


誰よりも。


彩花は続ける。


「だから私に頼んだの」


涙が頬を伝う。


「兄ちゃんを一人にしないでって」


私は息が詰まった。


声が出ない。


彩花は涙を拭こうとしなかった。


三年間我慢してきた涙だった。


「でもね」


小さく笑う。


「私も苦しかった」


その言葉に胸が締め付けられる。


当然だった。


母を亡くしたのは私だけじゃない。


父だけでもない。


彩花も同じだった。


なのに私は、自分の後悔ばかり見ていた。


「兄ちゃんが帰ってこなくなった時」


彩花が俯く。


「本当に寂しかった」


私は目を閉じた。


何も言えない。


その通りだったから。


仕事を理由に帰らなかった。


母の死と向き合うのが怖かった。


だから逃げた。


結果として家族からも離れた。


「怒ってた?」


私は恐る恐る聞いた。


彩花は首を振った。


そして泣きながら笑った。


「違うよ」


その声は優しかった。


母によく似ていた。


「会いたかっただけ」


その一言で、


私は何も言えなくなった。


「会いたかっただけ」


その言葉が胸の奥へ深く沈んでいく。


私は何も言えなかった。


言い訳はいくらでもできる。


仕事が忙しかった。


帰るのが辛かった。


母を思い出すのが苦しかった。


だけど結局、それは全部自分のためだった。


残された家族のことを考えていなかった。


彩花は静かに麦茶を飲んだ。


窓から差し込む午後の日差しが、テーブルを明るく照らしている。


どこか母がいた頃と変わらない光景だった。


違うのは、母だけがいないこと。


「兄ちゃん」


彩花がぽつりと言った。


「私ね、母さんに怒られたんだ」


私は顔を上げる。


母が怒る。


珍しい話だった。


母は滅多に怒らない。


怒るより先に笑って許してしまう人だった。


彩花は少し苦笑した。


「病院で」


胸がざわつく。


病院。


母との最後の日々。


彩花は続けた。


「私、泣いてばかりだった」


その光景が浮かぶ。


大学生だった彩花。


まだ二十歳そこそこ。


母の病気を受け入れられるはずがない。


「母さんの前で毎日泣いてた」


彩花が笑う。


「今思えば最悪だよね」


私は首を振った。


違う。


それは当たり前だ。


大切な人を失うかもしれない恐怖の中で、泣かない方がおかしい。


だが彩花は続けた。


「ある日ね」


目を細める。


病室の光景を見ているようだった。


「母さんが急に怒ったの」


私は驚く。


想像がつかない。


彩花は笑いながら涙を拭った。


「彩花」


母はそう言ったらしい。


「そんな顔しないの」


優しい声で。


でも少しだけ強く。


「私はまだ生きてるでしょ」


その言葉に、私は胸が痛くなった。


彩花も泣いていた。


きっとその時も。


「母さんね」


彩花の声が震える。


「今を見なさいって言った」


私は目を閉じる。


母らしい。


本当に。


最後まで。


自分の死ではなく、残される人の未来を考えていた。


「だから約束したの」


彩花が言う。


約束。


またその言葉だ。


母はたくさんの約束を残していた。


家族を繋ぐための約束を。


「どんな約束?」


私が尋ねる。


彩花は少し迷った。


そして立ち上がった。


仏壇の横にある棚へ向かう。


引き出しを開ける。


そこから一通の封筒を取り出した。


古い封筒だった。


大切に保管されていたことが分かる。


私は息を呑む。


「それ……」


彩花が頷く。


「母さんから」


封筒の表にはこう書かれていた。


『彩花へ』


母の字だった。


私は自然と背筋を伸ばす。


彩花は封筒を見つめた。


まるで宝物を見るように。


「亡くなる二日前」


静かに言う。


「渡されたの」


部屋が静まり返る。


私は何も言わない。


彩花は封筒から便箋を取り出した。


何度も読んだのだろう。


折り目が柔らかくなっている。


そしてゆっくり読み始めた。


『彩花へ』


『お願いがあります』


彩花の声が震える。


私も胸が苦しい。


母の言葉は不思議だ。


そこにいるような気がしてしまう。


『お父さんを支えてください』


彩花は一度言葉を止めた。


涙を堪えるように。


そして続きを読む。


『大輔を嫌いにならないでください』


私は息を止めた。


彩花も泣いていた。


便箋の上に涙が落ちる。


『あの子は弱いから』


『きっと逃げます』


私は顔を伏せた。


何も言えない。


その通りだったから。


母は見抜いていた。


全部。


私の弱さも。


臆病さも。


逃げてしまうことも。


『でも帰ってきます』


涙が溢れた。


視界が滲む。


読めなくなる。


彩花の声も震えていた。


『だから待っていてあげてください』


私は顔を覆った。


どうして分かるのだろう。


どうして母は、そこまで私を信じられるのだろう。


私は自分を信じられなかったのに。


その時だった。


彩花が最後の一文を読む。


『家族写真を完成させてください』


私は顔を上げた。


彩花も。


二人の視線が重なる。


またその言葉だった。


家族写真。


母の心残り。


消えたアルバム。


すべてが同じ場所へ向かっている。


そして彩花は静かに言った。


「兄ちゃん」


涙を拭いながら笑う。


母によく似た笑顔で。


「私たち、アルバムを探さなきゃね」


私はゆっくり頷いた。


母が残した最後の願い。


その答えが、もうすぐ見つかる気がしていた。


「私たち、アルバムを探さなきゃね」


彩花はそう言って笑った。


泣きながら。


母によく似た笑顔だった。


私は頷く。


母が残したノート。


父との約束。


レオンへの手紙。


家族写真。


全部が一つの場所へ繋がっている。


消えたアルバム。


そこに答えがある。


その時だった。


彩花が少し迷うような表情を見せた。


私は気づく。


まだ何かある。


言っていないことが。


「どうした?」


彩花は視線を落とした。


そして小さく息を吐く。


「実はね」


静かな声だった。


「私、少しだけ知ってる」


胸が大きく鳴った。


「何を?」


彩花は私を見る。


真っ直ぐに。


「アルバムのこと」


私は思わず身を乗り出した。


彩花は続ける。


「母さんが入院する前の日」


その言葉に部屋の空気が変わる。


母との最後の日々。


彩花だけが知る時間。


「母さんね」


懐かしそうに笑った。


「押し入れを片付けてたの」


私は黙って聞く。


「身体が辛いはずなのに」


「ずっと何か探してた」


母らしい。


最後まで家族のために動く人だった。


「それでね」


彩花の目が少し潤む。


「私が手伝おうとしたら怒られた」


思わず笑ってしまう。


母は本当に大事なことだけは自分でやりたがる。


彩花も笑った。


「珍しかった」


「絶対触っちゃ駄目って」


私は胸の鼓動が速くなる。


間違いない。


アルバムだ。


「どこで見た?」


彩花は少し考えた。


記憶を辿るように。


そして言った。


「二階じゃない」


私は驚く。


母の部屋ではないのか。


「納戸だった」


納戸。


一階の奥にある小さな物置部屋。


昔はあまり使っていなかった。


古い家具や季節用品を置いていた場所だ。


私は父を見る。


父も驚いていた。


「納戸?」


「うん」


彩花は頷く。


「母さん、そこから大きな箱を持って出てきた」


大きな箱。


私は拳を握る。


近づいている。


確実に。


その時だった。


玄関の音がした。


父が帰ってきた。


両手にスーパーの袋を提げている。


「何だお前たち」


私たちの顔を見るなり苦笑する。


「そんな深刻な顔して」


私は立ち上がった。


「父さん」


「ん?」


「納戸見たい」


父がきょとんとする。


数秒後。


事情を理解したらしい。


「ああ」


小さく笑った。


「行くか」


三人で廊下を歩く。


夕方の光が差し込んでいる。


懐かしい家の匂い。


床の軋む音。


全部が昔のままだ。


納戸は家の一番奥にあった。


古い木の扉。


私は子どもの頃を思い出す。


秘密基地みたいで好きだった。


父が扉を開ける。


埃の匂いがした。


中には古い段ボールが積まれている。


扇風機。


ストーブ。


使わなくなった棚。


何十年分もの時間が詰まっていた。


私たちは探し始めた。


三人で。


まるで宝探しだった。


母が残した最後の宝物を探すように。


一時間ほど経った頃だった。


「これ……」


彩花が声を上げた。


私は振り向く。


部屋の奥。


古い木箱の陰。


そこに段ボールがあった。


白いガムテープで封がされている。


他とは違う。


妙に綺麗だった。


まるで最近まで誰かが触っていたように。


父が近づく。


ゆっくり持ち上げる。


少し重い。


箱の上には母の字があった。


私は息を止めた。


震える文字で。


たった一言。


『まだ開けないで』


誰も動けなかった。


父も。


彩花も。


私も。


母の字だった。


確かに。


そこにあった。


三年前の母の言葉が。


父が苦笑する。


「最後まで母さんらしいな」


彩花も泣き笑いになる。


私は箱を見つめる。


ついに見つけた。


消えたアルバム。


きっとこの中にある。


だが母は言う。


まだ開けないで。


その意味は何だろう。


すると箱の横に小さな封筒が置かれていることに気づいた。


白い封筒。


母の字。


そこにはこう書かれていた。


『家族三人が揃った日に読んでください』


静寂が落ちる。


三人。


父。


彩花。


そして私。


私はゆっくり顔を上げた。


今、ここにいる。


三人とも。


母が待っていた三人が。


その事実に気づいた瞬間。


胸の奥で何かがほどけた。


母は最初から知っていたのかもしれない。


私たちがまたここへ戻ってくることを。


家族として。


もう一度。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ