9話 嵐
出会い頭に怒鳴られてしまった。しかも”中央の犬”だなんて。
「わたくしは猫派よ?」
なんてとぼけてみたけれど、その言葉にヴェラはショックを受けラズがフフンと満足そうに笑っているのを後ろで感じながら、とりあえずは怒鳴って来た相手と向き合ってみる。
「ふざけた事を。これだから中央の人間はいけ好かぬのだ。直ちに立ち去れ!!」
きっちりまとめ上げた燃えるような赤髪とこちらを睨み付ける青の瞳の女性。と、その後ろに隠れて男性が一人。でもあら? この女性、もしかして?
「夫人、こちらの方はバルナバス様が依頼した……」
「バルナバスはまだそんな幻想に憑りつかれているのか。あんな女の事などさっさと忘れれば良いものを……。あの女の所為で、私はっ!
―――まぁいい。兎に角、貴様。貴様に与える部屋などない。犬は即刻帰れ!」
「ちょ、母さん」
どうにも苛烈な方だ。まだ何の挨拶もしていないというのに、右手に持った扇子でわたくしを指し、出て行くように振り回す。身体がまったくブレていない事、しっかりした体格、そして髪色と顔立ちから察するに閣下の血縁者である事が想像できる。そして女性の後ろにいたのは彼女の息子だということもわかった。
「初めまして。わたくし、辺境伯閣下にご依頼いただきました相談所『迷い鳥』の店主、ミストと申します」
とりあえずご挨拶はしておいた方が良いわね。軽く頭を下げて名乗り相手の出方を窺うと、眉間に皺を寄せ相変わらずこちらを睨んでくるご夫人と、口をポカンと開けた優男の姿があった。
「相談所だと? そんな訳の分からないものにまで手を出したのか、アイツは」
「夫人、お止め下さい!」
「黙れ。お前達がしっかりしていないからこんなことになったんだ。わたしに指図するな」
「!!っ」
「わっ!? ちょっと母さん! 何やってるのさ!」
ヘレナと呼ばれた女性はカールの頬を扇子で容赦なく打ち付けた。肉を激しく打つ音と同時に何かがボキッと折れる音。見れば当たり所が悪かったのかカールの頬には赤い線が引かれ、そこから一気に血が流れ出す。痛みに顔を顰め頬を抑えるカールだが、傷口はぱっくり切れたようで流れ出た血が廊下の床を汚していく。
「下がれ。貴様もだ、中央の犬。力ずくで追い出されたくなければ今のうちに……」
「出て行きませんよ」
「……何?」
あらあら、どうしてわたくしが出て行かねばならないのかしら?
「わたくしはクレイン辺境伯に正式に依頼されました。すでに契約は交わしており、何人たりともそれを邪魔する権利はございません」
「貴様……。平民風情がこの私に物申すというのか!」
「そちらこそ。すでにクレイン家から出られた部外者が、我が物顔でわたくしに指図するなんて……貴族女性が訊いて呆れる」
「なんだとっ……!」
「やめてよ母さん! いい加減にして!!」
今にも掴みかかろうとするヘレナ・ラングレー伯爵夫人を止めたのは、後ろにいた彼女の息子だった。
「放せセドリック! この平民、切り刻んでやる!!」
「わたくしは閣下から正式に依頼された相談所店主、ミスト。そしてわたくしにはこの仕事を始めるにあたって後ろ盾となって下さったお方がおります。その方を敵に回すというならそれも構いませんが……」
あまり使いたくないけど、身の安全の為なら権力だってなんだって使うのがわたくしよ。
普段は懐にしまっている白金のメダリオンを取り出してよく見えるように夫人に向ける。
「こちらがレオナール第二王子殿下から与えられた特権証です」
「!?」
「ハッ! これが一体なんだというんだ!」
「これは正式に捜査を許可された証であり、わたくしの身分と捜査権を第二王子の名の元、保証するものです。
……邪魔だてするなら、あなたのお嫌いな中央が乗り込む口実にもなりえる代物よ。ヘレナ・ラングレー伯爵夫人。己の首だけでなく生家も嫁ぎ先の首も絞めたいのであればご自由に。貴女を排除したその後で、ゆっくり調べますわ」
「貴様っ!」
ニヤッと意図して嫌な笑みを浮かべて上げたら、実に悔しそうな顔を拝めたわ。うふふ、この顔を見られただけでも良しとしましょう。ご子息は気づいたみたいだけど、夫人は残念な方だとわかったしね。
メダリオンの外殻は白金で作られ、磨き上げられた鏡の様に静かに光を返している。余計な装飾は一切なく、ただそれだけで王家の品格を物語る。そして縁に目を凝らすと、ごく細い二本の線が白金の表面をさぞるように円を描いている。髪の毛よりも細く、光の角度によってようやく浮かび上がる程控えめな二本の線こそが「第二王子の私的な印」として古くから用いられてきた意匠である。
知らぬ者にはただの装飾にしか見えないが、見る者が見れば一瞬で理解できる。王家の第二王子が正式に与えたものだと。
残念ながら、伯爵夫人にはわからなかったようだけど、それでも生家と婚家を持ち出せば漸く止まってくれたのでまぁ良しとしましょうか。わたくしとしては伯爵夫人がどうなろうと心を痛める訳でもないもの。
「行くよ母さん。ミストさん、母がすみません。どうかお許しください」
「セドリックッ」
「ここは母さんの生家かもしれないけど、もうあなたはラングレー伯爵夫人なんだ。クレイン家の事はクレイン家で解決すべき事で、母さんがしゃしゃり出ていいものじゃないよ」
「だがな」
「ヘレナ・ラングレー伯爵夫人」
「「!!」」
母と息子の口論に割って入ったのはいつの間にかやって来た家令、オズワルド・ケインだ。彼は音もなく二人の前まで歩み出て厳しい視線を送ると、それまですごい剣幕だった伯爵夫人がビクリと震えた。
「勝手に入られては困ります。ここはすでにあなたが勝手に振る舞える家ではございません」
「そ、れは……。だが、バルナバスがあの状態だ。代わりとなる人間が必要だろう!」
「だとしても。それを貴女や貴女のご令息が旦那様の許可なく立ち入る理由にはなりません」
「な、なんだと!? じゃあ何か、私は甥の許可なく実家に足を踏み入れる事も出来ないというのか!? ここは私の実家だぞ!?」
ヘレナ・ラングレー伯爵夫人。彼女はバルナバス・クレイン辺境伯の父である先代辺境伯の妹で叔母にあたる人物だ。ラングレー伯爵領はクレイン辺境伯領の北東に位置し、同じく軍事に強い家門だ。辺境伯家に生まれたプライドの高そうなヘレナにとって、同じく軍事に強い家門のラングレー家との婚姻は同盟関係をより強固にする意味合いが強いだろう。
彼女の様子を見るに、中央貴族とはそりが合わないのは言うまでもない。
「嫁いだからには嫁ぎ先を一番にお考えなさい、というのが先々代の奥様がおっしゃったことです。まさか……
―――お忘れではございませぬな?」
「……っ!!」
さらに凄みを聞かせたケインの睨みに、とうとう伯爵夫人は顔を青くして口を閉ざす。息子のセドリックはケインが現れたのを境に母親の影に隠れて黙り込んで空気に徹していた。
「―――ですが、まぁ。もう日も暮れました。本日はお泊りいただいても結構です」
「オズワルド……」
「ただし、我が物顔でうろつく事などございませんようにお願い申し上げます。
……二度と、この家を軽んじる真似はなさらぬよう」
「う、わ、わかった。わかったから、そう睨むな……。セドリックが怖がるだろう」
「か、母さん!」
少し恥ずかしそうに抗議の声を上げたセドリックだが、ケインを怖がっているのは嘘ではなさそうだ。確かに彼に睨まれたら二の句が継げないのはわかる。眼光が怖いのよね。
「店主殿。我が家の客人が申し訳なかった。お詫び申し上げる」
「いいえ。どうぞ、お気になさらずに」
そう言って腰を折るケインに謝罪は不要だと告げる。別にちょっと怒鳴られた程度、何ともないもの。でも納得いかないのか、ケインの顔は険しいままだ。
「ご夕飯は少し豪華な物をお願いしますわ。何分、長旅でしたので。勿論わたくしの部下の分もお願いいたしますわね」
「承知いたしました。……ご配慮、ありがとうございます」
そうしてケインは伯爵夫人とご子息を連れて本邸の方へと向かって行った。嵐が去ったあとは嫌に静寂が耳に響く。
「あ、カールさん。傷の手当を致しましょう」
ふぅっと小さく息を吐いたあと、部屋に戻ろうと振り返ったらカールの姿があった。軽く忘れていたけどぱっくり切れているのよ。
「あ、いいえ! これくらい平気ですので」
「でも、もう止まっているようですけどすぐに手当てしましょう。ヴェラ、お願い」
「はい! カール様、こちらに」
「いえいえ、本当に! 本当に大丈夫ですので!」
両手を振って断ってくるカールだけど、気の毒だもの。あんないきなり手を挙げるなんてねぇ。
「護衛である限り怪我はつきものです。それに、さっきのは避けたら避けたらで後々面倒なことになりかねませんから。ミスト様がお気にするようなことではございません」
そう言ったのはブルーノだ。真面目が服を着ているような彼はカールの怪我は職業上仕方ない事だと言ったが、持っていたハンカチで傷口を抑えていた辺り仲間想いなのだろう。もう一人のダリルもコクコクと頷いている。どうやらこれ以上引き留めるのは無理なようだ。
「わかりました。では、わたくし達は夕飯まで部屋で待機しておりますのでカールさんは医務室に行って手当をしてもらってきてください。部屋からは出ませんが、ブルーノさんとダリルさん。扉の前で待機をお願いしますね」
「はい。承知いたしました」
「承知いたしました」
そしてカールは一人医務室へと向かった。顔の怪我だし、残らないと良いんだけど。
少しばかりカールの怪我の心配をしたけれど、私じゃ治す事は出来ないから思い悩んだところでしょうがない。それならカールの事は一旦忘れて休憩にしましょう!
何て言ったって、久々のベッドよ! 馬車の座席でも、地面の上に布を引いて横になるのとは天と地の差がある、ベッド!!
「きゃあっ! フカフカよ。布団も干してくれていたのね、お日様の匂いがするわ」
思い切ってダイブすると反発して跳ね返ってくる! これぞベッドよね!
「うふふ、気持ちいいわぁ」
「先生、飛び込んじゃダメですよ」
「ほら、ヴェラ。あなたも来て。フカフカよ」
「はい!」
とうっ! と遠慮なく飛び込んでくるヴェラに笑いが込み上げてくる。始めは出来る侍女が主人を注意していたのに、誘えばすぐに飛び込んでくるなんて。ラズは使用人用の部屋に案内されてそのまま荷ほどきもすると言うので、任せる事にしたからうるさく言う人がいないのも大きいわね。
「ふふっ。ヴェラったら、本当に可愛いわね」
「先生! フカフカです! すごい!」
平民用の客間であるけれど、野宿も多かったので余計に感動してしまう。
……だからか、ヴェラは口走ってしまった。
「すごいです。ルヴェール家のベッドにも勝るとも劣らな……っ」
「……」
ハッとした顔をして固まってしまったヴェラ。どうしようと困惑している顔も可愛いわね。
「うふふ。そうね。勝るとも劣らないわね」
「あぅ……ごめんなさい……」
「謝る必要なんかないわ。だって……私の大切な思い出ですもの」
ヴェラもラズもあの時のことがなければ出会う事は無かった。そうしたら私がこうして仕事をしていたとも思えない。全ては巡り合わせよ。必要だったから、出会った。ただそれだけ。
ギュッとヴェラを抱きしめて目を瞑る。体温が高めなヴェラの温もりが心地よい。
そのまま眠りに誘われてラズが夕飯の準備が出来たと告げに来るまで、私は眠りについた。




