10話 本音
ラズが夕飯の準備が整った事を知らせにやって来た。ヴェラが落ち込んでいる事に気づいてどうしたのか訊いて来たけれど、何でもないわと答えておく。普段は口喧嘩が多いのにこうして気にかけているあたり、ラズもヴェラを大切に想ってくれているのよね。
その日の夕飯はまさかのケイン自らが給仕となって世話をしてくれた。ラズの話にもあったように、辺境伯の体調が悪くなってしまったので、しばらくは顔を出す事もままならないとのことだった。
領内での行動は護衛を付けてくれれば基本的に自由。何でも協力するという辺境伯の言葉通り、家臣達も協力してくれるらしい。なので明日以降は夫人と関わりのあった使用人達に聞き込みをする事となった。
南西の食材を使った美味しいお料理に舌鼓を打ちながらケインと打ち合わせを行った。上品とは言い難いけれど……一人で黙々と食べるのも寂しいしそれなら調査の話をした方が時間の有効活用というものよね。
食後はお風呂に入ってすぐに眠る。これまでの疲れと相まってすぐに意識を手放した。
◇◇◇
『ミスティア。君のしたいようにしなさい。もう誰も君を押さえつける人間はいないんだ。……あと少しだけの辛抱だから、生きたいように生きなさい。自分の為に』
『……さま。わたくし、また一人になるの?』
『すまないね……。私はもう君の隣にはいられない……だが私の代わりに、あの二人を連れて行きなさい。あの子達は、君の事が大好きだから、きっと寂しくないよ』
◇◇◇
懐かしい夢を見た気がする。
寝起きのほわほわした感覚がしばらく抜けなくて、ベッドの上に座ってしばらくぼーっとした時間を過ごす。大体10分くらい経過した頃に扉がノックされた。
「おはようございます、先生」
「おはよう、ヴェラ」
頭も冴えてきたところで、今日も一日頑張りましょうか!
今日は街に行って夫人を目撃したという人物に話を訊きに行く事にした。報告書によると目撃したのは18名。その内馬車に乗ったところを目撃したのは6名、男と歩いていたと証言したのは9名、キスをしていたと証言したのが3名。
今日中に回れたらいいんだけど、難しいのかしら。朝食の後にラズとヴェラとで打ち合わせを行い、今日の方針を決めた。わたくしとヴェラは目撃者達と会ってその時の状況を詳しく訊き、ラズには地元の新聞社と図書館などで当時の新聞記事を調べてもらう事にした。
王都でも調べたけれど夫人の失踪については何も得られなかったから、地元でなら何か得られるかと思っての事だ。
「おはようございます。カールさん、怪我の具合はいかがですか?」
扉を開けると既に待機していたカール達が壁に背を向けて背筋を伸ばして立っていた。カールの頬には薄布が当てられており、あれからちゃんと治療してもらったようで安心した。
街について本格的に調査を開始する。ラズとラズの護衛のブルーノとはここで別れ、わたくし達は目撃者の元へ。
カールが最初に紹介してくれたのは石工職人。現場に向かう途中、仲間たちと共に夫人が男と歩く姿を見たと証言したハンスという男だった。彼はカールを見ると気安そうに笑いかけ、何やら世間話を始めたが、夫人の姿を見た当時の事をもう一度教えて欲しいと頼むとこれまでの態度が一変し、後ろにいたわたくしを睨むようにして渋々承諾した。
「夫人はどんな様子でしたか?」
「男と腕を組んでたな。寄り添う感じで」
「幸せそうでしたか?」
「は? あぁ……まぁそうだな」
「声をかけなかったので?」
「領主様の奥方だろうと貴族相手に声なんざかけられるかよ」
ぶっきらぼうだけどちゃんと答えてくれるのね。ありがたいわ。では、もうちょっと訊いて行きましょう。
「奥様の頭は男性のどの辺りでした?」
「は?」
「頭のてっぺんが、隣を歩く男性のどの辺りでした? 胸? 肩? 顎の下?」
「あ、あー、どうだったかな? そんなジロジロ見てなかったし……」
「ジロジロご覧になっていないのに、どうして”幸せそう”と判断なさったのかしら?」
「……なんだ? お前、俺を疑ってんのか?」
まぁまぁ。そんなに睨まないで下さいな。
「男性の体格は? 髪色は? 瞳の色と肌の色はどうだったのかしら? 身形はどう? 平民? それとも貴族? あなたの印象で結構よ。どんな服装だったのかしら? 靴は? 装飾品は身に付けていたのかしら? 怪しい男性でしたか? それとも貴族? お付きの人間はいなかったのかしら。そうそう、男性は一人? 夫人は侍女を連れていなかった?」
「な、なな何なんだよ!? アンタ!?」
あら、どうしたのかしら? 狼狽えているけれど、しっかり答えてくださいな。ジッと目を見つめて答えを催促すると後退り壁に背をつける。若干顔が赤くなって右手で口元を覆った。
あ、ちょっと近づきすぎたわね。ヴェラが斜め後ろからわたくしの前に出てハンスとの間に立つと小さく唸った。
「ヴェラ、ごめんなさい。夢中になり過ぎたわ」
「先生、下がってください。あまり男性に近づき過ぎないようお願いします」
ギロリと目の前のハンスを睨み、周囲を警戒するヴェラ。騒ぎを聞き付けて職人だけでなく、通りすがりの通行人までもが足を止めて野次馬化する。
「さっさと先生の質問に答えろ。さもなくばその目を潰す。反論しても潰す。逃げ出しても潰す。何をやっても潰す」
「何をやっても潰しちゃだめでしょう。ハンスさん、ごめんなさい。この子の事は気になさらないで、ゆっくりで結構ですのでお答えいただけますか?」
「ぉ、おぅ……」
眼球を潰さんばかりのヴェラを止めてハンスさんに謝罪をしたけれど、やっぱり怖がらせてしまったようだ。ヴェラと目が合っただけでビクッと大きく体を揺らし、ガタガタ震えている。可哀そうに。
カールさんたちに助けを求めるハンスさんだけど、苦笑いしているだけで動かなかった。その様子に肩を落とし、諦めたのか答えてくれた。
「あー、奥様の頭の先が男の顎くらい……だったか。髪の色は明るい茶色だったかな」
「男性の身長はどれくらいでしたか?」
「たしか……そこの騎士様よりちょっと高いかなくらいだ。で、身なりは良かった。俺らみたいな貧乏人じゃなくて金持ちの平民か、貴族かって感じだった。目の色は……わからねぇ。後ろ姿だったから……。あとは、二人だった。他に連れていた人間はいなかったと思う……」
カールよりも少し高めの明かるい茶髪の男性ね。でも、ちょっと待って?
「後ろ姿? 正面から顔を見なかったの?」
「……」
「答えないつもりか……?」
「!? あっ、いや! 答えるっ! 答えるよ!! だから、目ぇ狙おうとすんな!!」
ゆらぁとハンスの前に立ち、右手の人差し指と中指だけを突き出し狙いを定めるヴェラ。無の表情から本気を悟ったハンスは焦りだす。
「後ろからだった!! 俺は奥様と男の後ろから見てたんだ!! 顔は見ちゃいねぇ!!」
「顔は見ていないのに、奥様を見たと証言されたのですか?」
「―――そうだよ! 顔は見てねぇけど、間違いなくあの姿は辺境伯様の奥方様だった」
「何を根拠に?」
「そりゃあ、あんな上等な服を着ている人間なんざ、奥方様しか考えられねぇだろ。遠目で見た事あるけどよ、髪の色だって同じだったんだ。間違いねぇよ」
あらあら、まぁまぁまぁ? これはこれは……ふぅん?
「証言の信憑性に欠けるわね」
ぽそっと口にしたところ、カールとダリルの耳に届いたようで顔色が少し悪くなった。しかし意見をする訳でなく何も言わないのでこのまま続行する事にした。ハンスだけでなく、その時一緒にみたという職人仲間にも同様に話を訊く。口裏を合わせないよう、別々に。
結果。ハンスが証言したように彼らも顔を見た訳ではなく、後ろ姿と服装で判断したということだった。当時の調査官の不手際を今更どうこう言っても仕方ないけれど、男性と歩いていたという証言をした9名の内、4名が顔を見ていないという事実は誤認捜査というほかない。残りの5名はほんの少しチラリと見たらしいけれど、顔を判断できるようなものではなかったそうだ。
もしこの目撃証言の女性が夫人でなかったら? 本当の夫人はどこにいたのかしら?
ハンスとダリルは無言だけれどその顔は険しい。捜査の不手際に憤っているのか、別の理由なのか理由は不明だけれど重く押し黙るだけのハンスに対し、ダリルは眉間に皺を寄せ唇を噛んでいる。そしてその視線の先にあるのは……わたくし。
「では次の目撃者に訊きに行きましょう」
敢えて気づかないフリをしてヴェラに合図を送る。『待機』の指示を受けたヴェラは小さく頷いてわたくしの後ろについた。カールを先頭にわたくし、ヴェラ、ダリルの順で次の証言者の元まで歩く。ダリルの視線は相変わらずで、出発前にカールが一瞬だけ睨んだようだけど効果は持続しなかった。背中に突き刺さるような視線を受けながら前を行くカールの後を追う。どうか早く着きますように……と、心の中で何度も願った。
そして長いようで短い時間を耐えて辿り着いたのは市場だった。ここでは更に視線が突き刺さるようにジロジロと見られているのを感じた。次の証言者はこの市場で店を開いている野菜売りの女性。男性と歩いている夫人を見たと証言しているのだ。
「見たよ。男に寄り添って腕組んでさ。元から気に入らなかったが……辺境伯様という人がいながら、なんて女だって思ったからよく覚えてるよ」
「そうなのね。その男性に見覚えはありました?」
「男の方は……どうだったかね。覚えてないよ」
「あら。夫人の事は覚えていらっしゃるのに、そのお相手の方の事は覚えていらっしゃらない? あなたはさっき”よく覚えている”と言ったばかりですよ?」
「……なんだい? あたしが嘘つきだっていうのかい!」
野菜売りの女性は50代位で恰幅がいい。背はそう高くもないが背筋が良く胸も張って堂々としているからか、わたくしよりも背は低いのに大きく見える。その女性は腰に手をやり、わたくしを下から睨み上げるようにして声を荒げた。
「馬鹿言ってんじゃないよ。こっちは憎いヴァルストの女を迎えてやったってんだ! なのに男作って出て行って……。辺境伯様が不憫でならないよ!」
「そうですね。それで男性の事は覚えていないということでよろしいの?」
「……アンタ、馬鹿にすんのもいい加減にしな」
「馬鹿に? しておりません。質問にお答えいただけなかったので、覚えていないのかと聞き返しただけですが?」
「だからっ……」
「そんな下らない質問に意味があるのか」
「! ダリル、やめろ」
割って入った声が後ろから聞こえた。その声の主は予想通りのダリルで、不機嫌さと怒りと憎しみなどの感情が混ざった表情でこちらを睨んでいる。カールが慌てて制止しようとするが、ダリルは止まらなかった。
「男が何処の誰であれ、逃げたのは事実だ。閣下という人がいながら、何不自由ない生活を与えられておきながら、あの女は逃げた。閣下を裏切って男と逃げたんだ! 国から死亡認定されてるっていうのに今更蒸し返して何になる!? 消えてくれて清々したっていうのに何だって「ダリル!!」……っすみません」
ダリルの本音。それは恐らく領民の本音だろうと漠然と思った。
まだ年若いのと性格の問題もあって本音を隠せなかったのね。女性はダリルを叱るカールの剣幕に顔を青褪めさせている。
彼女は平民でありながら、貴族女性でありこの地の領主夫人を貶す物言いをした。それをカールという領主の部下が訊いている。罰が下されるようなことはないだろうけど、危険な発言であったことは事実。今更その発言の重さに気づいたのかもしれない。
「今更であっても聞かねばわかりません。……だってあなた達、隠し事をしているんだもの。
ねぇ? カールさん」
「……」
加護の力で知った事。あの日の戸惑う夫人の顔が頭をよぎる。その場にはカールもいた。
何も知らない顔をして、彼らはこれまで夫人を捜索していた人達を欺いていたのだ。
カールの目は暗く沈んでいた。




