8話 痕跡
『一目でいい……無事な姿を見たい』
クレイン辺境伯の本当の気持ちは知れた。ここからは、わたくしの出番。
◇◇◇
「こちらが奥方様のお部屋です」
案内してもらったのは夫人が使っていた部屋。10年経過しているが、閣下の指示により定期的に清掃はしているが当時のままの状態を維持しているというので真っ先に見せてもらうことにしたのだ。ここで何かわかればいいと希望を持って部屋に入る。
案内してくれたのは閣下の後ろにいた老齢の男性だった。彼の名前はオズワルド・ケイン。睨んでいた通りクレイン家の家令で、病床にいる閣下に代わり、家内の全てと代官としての実務を任されているかなり優秀な男だ。つまりは家司のトップであり、閣下に次ぐ責任者である。
そんな多忙であろう彼が、わざわざ案内してくるなんてどういう事かしら。
閣下は心の内を吐露した後、大きく咳き込み立っていられなくなった。ヘザーが肩を貸して崩れ落ちる事は無かったが、これ以上は体に障ると判断され部屋に戻った。付き添いはヘザーが行い、態度の悪いメイドとオズワルドがその場に残った。わたくしはメイドに夫人の部屋に案内してもらおうと思っていたけど、オズワルドがメイドを下がらせ自らが先頭に立った。部屋を出ると護衛として三人の騎士が待機しており、わたくし達にそれぞれ一人が付くという。
護衛というより監視ね。
そう感じたけど間違いではないだろう。穏やかな表情を浮かべて敵意はないようには見えるが、目が笑っていないもの。
だけどそれも想定内。これくらいで文句をいう訳もない。
自己紹介と挨拶を交し、夫人の部屋に向かう。護衛の名前はカール、ブルーノ、ダリルと名乗り、カールはわたくしに。ブルーノはラズに付きダリルはヴェラに付くという。ラズもヴェラも護衛は必要ないだろうけど、何も言わず受け入れた。
夫人の部屋は閣下の隣部屋に位置し、奥の扉で寝室が繋がっている。流石は女主人の部屋だけあって十分すぎる程の広さと豪華さだ。これまでは質実剛健といった辺境伯家らしく、豪勢な装飾はなくても素材は一流といった家具が主流だった。
しかし夫人の部屋はというと、いかにも貴族女性が好みそうな華やかさのもので埋められている。しかもこの家具はこのファルナティア王国のものではなく夫人の祖国、ヴァルスト王国のものだろう。
「こちらは当時のままとお聞きしましたが、模様替えも行っていないのですね?」
部屋に入り中を見ると装いは冬のものだった。今は5の月に入ったばかりでグラン山脈から齎される風が冷たいと言っても暖炉に薪をくべる程じゃない。だけど暖炉にはくべたばかりの薪がそのまま残っていた。
「はい。旦那様の指示の元、清掃だけは定期的にしておりますが当時の姿を残しております」
「そうですか……」
わたくしは夫人が使っていたであろう、ヴァルスト王国製のレディースデスクに手を添える。王国特有の華やかさ溢れるデザインだ。猫足で細部に至るまでに見事な彫刻が施されていている上に、ヴァルスト王国のみで伐採、加工が許されたルーメル樹で作られている。外からの光に照らされ、まるでデスク自体が輝いているように見える木肌は柔らかい光を帯び、そこだけは夫人の温もりを感じることが出来た。
「……」
スーッと指先で撫で、手をつき意識を集中させる。
「……保持者でしたか」
オズワルドの目は大きく見開かれ、ポツリと呟いた。その言葉に三人の護衛も驚き、身じろぎする。
だがそんなことはお構いなしにわたくしは視る。ほぅっとうっとりするような溜息が、ヴェラの口から洩れた。
「……」
数分の間沈黙が続いた。わたくしは手を放しオズワルドと目を合わせる。
「夫人についてお聞かせください」
「お答え出来る事であれば、何なりと」
わたくし達は話を聞くために先ほどの客間に戻る事にした。出る前にもう一度だけデスクを振り返る。輝きを放つレディースデスクは今も主を待っていた。
◇◇◇
応接室に戻り、まずはオズワルドから訊くため椅子に掛けて対面する。メイドがお茶を淹れてカップを置き、壁際に立った事を確認してから口を開いた。
「では、夫人についてお聞きします。夫人は失踪する当日、何か変わった様子はありましたか?」
「いいえ。ただいつものようにお過ごしになられていた、そう記憶しています」
「いつものように、とは具体的には?」
「朝、起きて身支度を済ませたあと朝食。朝食後は庭に出て散歩。花を少し摘んだあとは自室に戻り刺繍を。刺繍をしている時は待機している侍女は下げさせるのが日常でしたので、その日もそのようにしていたのですが……昼食の準備が出来た事を告げに侍女が部屋を訪れた時にはもう、奥方様のお姿はどこにも見当たりませんでした」
極めて冷静に答えるオズワルド。恐らく年齢は60代後半。髪はすっかり白くなり、長い髪を後ろで一本に束ねている。口髭と顎鬚を生やしているが、どちらも白い。年齢相応といえばそうかもしれないが、真っ直ぐ伸びた姿勢と鋭い眼光は全く衰えを知らないようだ。
「誰も奥方様が出て行ったところは見ていないのですか?」
「はい。気づいた時にはいなくなっていました」
「そうだとしても、城の外に出るには門を通らなくてはなりませんでしょう。城の玄関から門までの間、誰とも会わずに外に出られたと?」
「残念ながら、誰も見ておりません」
滞る事無く滑らかに答えが返ってくる。もう何度も同じ質問をされたのだろう。だとしてもオズワルドは面倒くさがらずにしっかりした答えを返してくれた。
「門を通らずに外に出る方法はありますか?」
「使用人用の通用口がございます。しかし、そちらは裏方なので奥様が通ったとは思えません。何よりそちらを通った場合は洗濯婦や掃除メイドが目撃している筈です」
城の東側に作られた通用口近くには洗濯場が設けられており、誰かしらそこにいたので夫人が通ればわかるという。失踪した日は久しぶりの晴天であったこともあり、いつもより多くの時間と人がその洗濯場に出入りしていたというのだ。
「でしたら当初、夫人はどのようにして出て行ったとお考えになられたのでしょう?」
「金でも握らせ便宜を図ったのだと」
「手引きした者がいると?」
「はい」
「見つけましたか?」
「勿論。ですが事の重大さに気づいたのか、尋問の隙をついて自害してしまったのです」
手引きしたのは調理場で働くメイドだったとオズワルドは語る。食材の搬入で訪れていた農夫の荷馬車に身を潜め、外に出したというのだ。
「その農夫はどうなりました?」
「手引きを認めましたので、牢に入れておりましたが元からの持病が悪化し3か月後に死亡しました」
なるほど。わかったことがる。
「訊かれたこと以外は答えないのですね」
「余計な事を言うと混乱しかねませんので」
つまりは訊かれない以上、何も答えないということね。それが重要な事だとしても。
「では、何を隠しているのか答えて下さい」
「……」
ここで初めてオズワルドが黙った。鋭い眼光のままわたくしを見つめ続けるので、わたくしもそれを返す。誰も口を開かず、沈黙の時間がただ過ぎて行く。
家令とわたくしとの無言の殴り合い。
どちらも一歩も引かない。ただ見つめ合うだけだけど、当人同士にしかわからない殺伐とした殴り合いが続いて行く。先に視線を外した方が負け。勿論負けるつもりなんてないわ。
長くなるのを覚悟したけれど、先に耐えられなくなったのはわたくしでもオズワルドでもなかった。
「……っあの女が悪いのです!」
「……下がりなさい」
「ですがオズワルド様っ、このままではオズワルド様が!」
「黙りなさい」
「……っ」
声を荒げず相手を威圧し黙らせる。年と経験もあるでしょうが何より視線だけで人が殺せそう。文官で老齢でありながら彼の肉体はただ机に向かっているだけの人間のものじゃない。日常的に鍛えてある身体だ。胸も腕も足も、実用的な筋肉がしっかりついた騎士のよう。
そんな人間に睨まれたら年若いメイドは震えあがってしまうのも当然。
「あの方とは夫人の事かしら?」
「!」
「お答えいただける?」
「……」
黙れと命じられ、それから弁解もせず俯き口を閉ざすメイド。先程待機していた時から感じられた不躾な視線から察するに、夫人を快く思っていない。
「あなた、今いくつかしら? 夫人と面識がおありで?」
「……」
「見たところ10代後半というところかしら。20代ではなさそうよね。夫人が失踪して10年だからあなたは当時10歳にも満たなかったはずだけど?」
「店主殿」
オズワルドが口を挟むが今は無視。
「もうその頃には夫人と面識があったのかしら? それとも既に奉公で城に? どちらにせよ、貴方が夫人を知っていても夫人が貴方を知っていたとは思えないわ。なのに”あの女”呼ばわりですか……。
閣下も苦労なさるわね。病むほど必死に探しているのに。
……本気で捜索しているのは閣下お一人だけなんて、不憫でしょうがないわ」
「……っ」
「店主殿」
言葉に詰まったのかメイドは息をのむ。可哀そうに、体が震えているわ。
オズワルド・ケイン、貴方も同罪よね。あなたはクレイン家の家司トップであり、留守の間夫人と家を任されている立場の人間なのだから。
「ケイン様、夫人の目撃証言をした方とお会いしたいわ。街に行けば会えるのかしら?」
「……はい。カールが居場所を把握しております」
「そうですか。では、これまでの捜査報告書を見せていただけますか?」
「ええ、勿論です」
その後は滞在期間中に寝泊まりする客間に向かう事にした。もう日は傾いていたこともあり、本格的な捜索は明日から始める事に決めた。
応接間を出る時、メイドは俯いたままだった。わたくしとケインの間に割って入った事に叱責されると思い震えているのか、判断によっては自分の将来に関わると恐れているのか。理由はわからないけれど、もうどうでもいい。処罰されるならそれはクレイン家の判断でわたくしの気にするところではないのだから。
10年分の捜査報告書は全て余すことなく、客間に持ってこさせた。
流石にそれなりの量にはなると覚悟していたけれど、何も手がかりが掴めなかったというだけあって報告書は少ない。定期的な報告書は用意されているけれど、年を追うごとにその内容は薄くなり、現在では一月の報告書が羊皮紙1枚分に修まる程度には何も進展が見られないようだ。
「これで全部ですか?」
持ち運ぶことに協力してくれたカール達三人に礼を言ったあとに確認すると、頷かれてしまった。
「はい。これが全てだと訊いております」
「そうですか……。外部に依頼した分はどうでしょう?」
「それはこちらに」
ブルーノが抱えていた木箱ひと箱。それが外部に調査依頼を出した際に提出された報告書だという。
「……思っていた以上に少ないのね」
「はい……。手がかりが何もなくて……」
「……まぁ、何もないよりは何か掴めるかもしれないわね。カールさんたちもありがとうございます。明日からよろしくお願いしますね」
「はい。念のため部屋の前で待機しておりますので、何かありましたら遠慮なくお声がけください」
「ありがとう、そうさせていただ……あら?」
何かバタバタと音がすると思って部屋の外に出ると、いきなり怒鳴られた。
「貴様! 我がクレイン家に今更何の用だ! 中央の犬め!!」
わたくし、猫派よ?
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