20話 逆鱗
「ヘザー様が、どうして……」
メイドは信じられないという目をヘザーに向けて茫然としているが、ケインはヘザーが毒の入った小瓶を取り出した事に対しては驚いていないように見える。ケインが驚いていたのはラファエルが閣下に毒を盛っていたのを言い当てた事だろう。
「こちらは私が預かりましょう。国への報告義務がありますので、領内から出ないようにお願いします」
「……ご心配なく。逃げるつもりなど、毛頭ございません」
ヘザーは落ち着いている。まるで今日の天気の話をするかのようにラファエルと向き合い、小瓶を差し出した。この場で信じられないという顔を見せるのはメイドの彼女と護衛のカールとブルーノだ。まさか専属執事のヘザーが閣下に毒を盛るなど想像もしていなかったのだろう。確かに普通ならそうだ。
「元より私には行く当てなどございません。……この地で生まれ、この地で生き、この地で死んでいく。この地で死ぬ事は許されそうにありませんが」
「そんなっ……何故ですかっ!?」
メイドが責めるようにヘザーに問いかける。その目には涙が溜まっており、ヘザーに対する信頼が窺える。カール、ブルーノもそうだ。家司と武官とで職場は違っても同じ辺境伯に仕える同士。それもヘザーは誰よりも近い所で閣下を見てきたのだ。そんな彼が毒を盛るだなんて到底信じられないだろう。
そしてヘザー自身は何故かと問われてもそれに答えようとはしなかった。というより。
「客人の前です。控えなさい」
「っで、でもっ!」
「下がりなさい」
「……っ」
威厳の篭った声色で、態度で、視線でメイドに下がるように命じる。言葉を失ったメイドは息を飲み、一度食い下がろうとしたがやはり命令には逆らえないのか、一礼した後部屋を出た。
「メイドの躾が行き届いておりませんで、見苦しい所をお見せしました。お許しください」
「いいえ、お気遣いなく。……ああ、クレイン辺境伯。お目覚めになりましたか」
恭しく頭を下げるヘザーにラファエルは何でもないというような態度で手を振ると、ラファエルが閣下の目覚めに気づいた。すぐにケインが駆け寄り、声をかける。
「旦那様。お加減の方は如何ですか」
「……ケイン。不思議とこれまでにない程、体が軽い。一体、何があった?」
「失礼いたします、クレイン辺境伯閣下」
「……? 貴殿は? 神官か?」
「はい。お初にお目にかかります、閣下。私は聖域都市オルデナの神官長ラファエルと申します。以後、お見知りおきください」
ラファエルの外面の良さに感嘆する。昨日のアレを見た後でこれでは同一人物なのか疑ってしまいそうなくらい、しっかりした大人の対応だ。
辺境伯はラファエルの名を訊いて数拍置いてから驚いた声を上げた。
「! エルディナート家の”保持者”か!? 何故、そのような方がこんな田舎に……?」
「……」
笑顔ではあるけれど”エルディナート家”という単語にラファエルはピクリと反応を示した。それはとても小さいもので見逃しても仕方ない程、僅かな反応だった。
ラファエルはエルディナートの名を捨て神の道に入った。なのにその後すぐに加護の力が発現し、縁を切れたと思っていた家から何度も還俗の話が出ている。現在の彼を取り巻く状況は彼が最も望まない状況だ。縁を切りたいほど、血の繋がりを拒否したいほど嫌っている実家の名前を出される事は、ラファエルにとって許せる境界線を越える行為に等しい。
「……友に呼ばれまして。こちらのミスト殿とは友誼を結ぶ仲でしてね。あなたの体調が悪い事を危惧して私を呼んだのです」
「そうだったのか。まさか、店主殿と友誼を結んでいらしたとは……! 貴殿に治療してもらえるとは思わなかった。礼を言う。治療代も言い値で支払おう」
閣下はベッドから上半身を起き上がらせラファエルに向かい頭を下げた。その時ふらついたのでケインが閣下を支えた。毒の浄化が済んだことで体の不調は消えたが、筋力が戻った訳じゃない事が良くわかる。今の閣下はお自分の身体を支える筋力さえ乏しいのだ。
「治療代に関しては友からの依頼ですので必要ございません。ですが、どうしてもという事でしたら神殿への寄付をお願いいたします。……私に世話になったと一言添えていただければ、神殿内での評価も上がりますので」
「あぁ、承知した。そのように手配しよう」
「感謝します」
すぐさまケインに寄付についての指示を出す。ラファエル個人への心づけに関しては、ケインの方で調整してくれるだろう。ラファエル自身が言ったように神殿内での彼の評価が上がるし、個人の懐も潤う。無理やり連れて来られて気力と体力を消費する事になったけれど、結果を見れば独り勝ちだ。
「閣下。アメリア・クレイン辺境伯夫人に会いに行きましょう」
ケインに水が飲みたいと訴え、二杯、三杯飲み干し、一息ついたところでこの言葉を発した。
閣下は一瞬理解が追いつかなかったみたいだけど、意味が分かると前のめりになって取り乱し始めた。
「あ、アメリアが見つかったのか!? どこに、彼女はどこに……いや、無事だったのか!?」
「……お会いになればわかる事です。ヘザー様、ご一緒していただけますね?」
「……勿論にございます」
ヘザーは慌てず動じない。毒を盛っていた張本人だというのに、閣下に仕える姿には忠誠心を感じ取る事が出来た。
そしてケイン。彼もヘザーが毒を盛っていた事を知っておきながら、ヘザーを止めることなく閣下に仕えていた。この二つの事実は彼ら二人が持つ歪な忠誠心を表す事となる。
「場所を変えましょう」
◇◇◇
「バルナバス、お前! いつまでこの下賤な人間を置いておくつもりだ!」
目的の場所に移動する途中、廊下の向こう側からもう訊きなれてしまった怒声が届く。その声に正直うんざりしてしまったが、見つかってしまったのなら仕方ない。
「叔母上。彼女は私が頼んで来てもらったんだ。そのような言い方は止めていただきたい」
「何をいうか。その女は中央の犬だ。このクレイン領を乗っ取る為にやって来た美人局だろう。すぐに追い出して二度とこの地に足を踏み入れさせるな!」
美人局だなんてそんな。わたくしにそのような事、務まる訳ないでしょうに。
「オレならコロッとやられちゃうけどな~」
小声でラファエルがそんな事を言って来たけど、わたくしには無理よ。それにラズとヴェラがさせないわ。
辺境伯とラングレー伯爵夫人は言い合いを始めてしまった。石造りの城は声が良く響くため、彼らの言い合う声は遠く離れた場所からでも聞こえたことだろう。
「私が領主だ、この領地の事は私が決める。あなたはラングレーに帰れ」
「なっ!? お、お前っ……! 誰に向かって、何て口の利き方だっ」
「確かにここは叔母上の実家だ。しかし、だからと言って女主人の様に振る舞う事など許していない。この家の女主人はアメリアだ!」
叫ぶようにしてラングレー夫人に誰が女主人であるのかを訴えるクレイン辺境伯。車椅子に座り下から睨みつける辺境伯の勢いに夫人は気圧され、1歩2歩を後退る。
だが夫人も負けずにグッと顎を引き辺境伯を睨む。
「フンッ! 何が女主人だ。男と逃げた女に務まるか!」
「アメリアが女主人だ。叔母上ではない。これ以上我が家の事に干渉してこないでくれ!!」
「黙れ!! いない人間にいつまで縋るつもりだ!?」
「やめてよ、二人共! 客人の前だよ!?」
ここにきて現れたラングレー家三男、セドリックが母親と従兄弟の争いを止めに入った。母の肩を掴んで辺境伯から引き離すが、夫人は暴れて嫌がる。矛先がセドリックの方に向いた。
「セドリック、お前はどうしてそう闘争心がないのだ! 兄達二人に比べてお前ときたら……!」
そして説教が始まる。セドリックは面倒くさそうにしながらも口を挟まず、ジッと耐えている。きっと口答えをしようものなら、更に面倒になると経験上わかってのことだろう。
その様子に辺境伯も呆れ果て、そっと移動するが夫人は見逃さなかった。
「どこへ行くつもりだ。まだ話は終わっていないぞ、バルナバス!」
「話は終わりです。これ以上は付き合っていられない。貴女がなんと言おうと、私が彼女を追い出すことはないし、女主人はアメリアだ」
そう言って目的地に向かうため二人に背を向けた。セドリックは夫人を宥め辺境伯から引き離そうとした。その時、彼はポロリと溢してしまった。
「行くよ母さん」
「セドリック! まだ話はっ!」
「はいはい。また今度ね。それにバルナバス兄さんはあぁ言ってるけど、アメリアさんはもう戻れないんだから……」
ピクリと反応した辺境伯は車椅子を止めさせ、ゆっくりと振り返る。
「……セドリック?」
「え?」
セドリックも振り返る。きっと彼は何も気づいていない。
「”もう戻れない”とは? どういう意味だ?」
「え? あっ、いや……」
「何故言い切れる? まさか……遺体が見つかったのか? それともアメリアに会って直接そう聞いたのか? それなら何故、それを俺に言わなかった?」
「……」
『アメリアさんはもう戻れないんだから』
この言葉。まるで決定しているようではないか。
まぁ10年も行方が分からず一切の連絡がない上、国からも死亡認定が下されている。そう考えるのも仕方ないが。
「ご、誤解だよ兄さん。僕はアメリアさんがどこにいるのか知らないし、会ってもいないよ」
「なら何故戻れないと言い切れる? 何か知っているのか?」
「……いや、何も知らないよ。た、ただもう10年経過してるだろ? 国からも認定されたじゃないか。だったら、もう戻ってこないだろうって意味で……」
そう言ってセドリックは視線を彷徨わせた後、誰とも目を合わせないように俯いてしまった。
「嘘だ」
「う、嘘なんかじゃないよ」
セドリックは見るからに焦り始めた。彼の額には大粒の汗が浮んでいる。
「お前、子供の頃から変わっていないな」
「えっ!?」
「お前は嘘を吐くと、目を合わせようとしないだろ。あと、若干だが左頬が引き攣る」
「……ッ」
慌てて左頬を隠し、どうにか言い訳を考えているようだが何も浮かばないようで結局沈黙する。
それすら辺境伯は許さなかったが。
「答えろ、セドリック・ラングレー。何を隠している」
「……ぁ」
「答えろと言っている!」
「―――ッ」
衰えたとはいえ、かつては戦場を駆け抜けてきた武人の迫力にセドリックは委縮して言葉が出ない。震えてしまって今にも逃げ出そうとしている。
「で、でもさ! 10年見つからないのは事実じゃないか! だったらもう、アメリアさんは亡くなってるって考えるのが自然だろ!?」
「そうだぞ、バルナバス。お前、いい加減現実を見ろ。嫁はもう戻らん」
「……!」
「夢を見過ぎだ。ヴァルストの女を信じる方がどうかしている。あんな人間、とっくに死んでっ……!」
「母さん!!」
「! あ、あぁ。兎に角「今、なんと言おうとした?」 は?」
重低音の声が発せられたと同時に、何か鋭く重くのしかかるような感覚に襲われた。ラズとヴェラは素早くわたくしの前に立ち、辺境伯との間に割り込んだ。おかげで少し楽になった気がする。
「何を言おうとした? 死んで? その続きを言ってみろ。場合によっては叔母と言おうと粛清する。
「な、なにを、言って……?」
「女主人ぶるならこの家の人間だという事だろう。なら当主の俺が粛清したところで何ら問題はない。そうだろう」
「お、お前! 本当にイカれたか!?」
「言ってろ。お前は俺の大切な者を侮辱した。今更謝罪したからと言って許すものか……!」
「ヒッ」
車椅子に座っていた辺境伯だったが、怒りで我を忘れたのか立ち上がり夫人に向かってゆっくりと歩き出した。わたくしは先程の重い何かが殺気だという事が今やっとわかった。辺境伯は夫人に向けて殺気を放っているのだ。




