2話 依頼
『消えた辺境伯夫人』
特記:第肆号
依頼人:バルナバス・クレイン
紹介人:レオナール・ヴァル=エルディアス
◇◇◇
バルナバス・クレイン辺境伯。
国境守護を任されている武闘派貴族。自領だけでなく、近隣の領地からでも要請があれば騎士団を率いて戦場に立つ『戦鬼』として有名な辺境伯。そんな辺境伯の奥方様が失踪したという。
「……今から13年前です。我が主は隣国との争いで先代様を失くし、爵位を継いだばかりの頃でした」
ヘザーは僅かに下を向いて語りだす。始まったのは奥方様が失踪するまでの出来事だった。
◆◆◆
奥方様は隣国ヴァルスト王国の侯爵家出身でした。生家は外務卿を務める宮廷貴族です。
主とは和平条約を結ぶ為の政略結婚でした。お若い方はあまり知らないかもしれませんが、クレイン辺境伯領ではこの婚姻の前まではよく争いが起きていました。毎年のようにやってくるヴァルスト軍に我々は立ち向かい、領地を、国を護ってきたのです。
13年前、先代様がその争いの中で討死にし、バルナバス様が跡をお継ぎになりました。それを機に隣国は交渉を持ちかけたのです。争うよりも手を取り合おうと。
そうしてとりなされたのが主と奥方様との婚姻です。お二人は当初ぎこちない関係ではありましたが、徐々に仲を深めていきました。戦地から戦地へと飛び回る主を奥方様は見送り、家を守っておりました。
しかし10年前。奥方様は突如として失踪したのです。主は戦場におり不在でございました。お知らせしようにも、もしそこで取り乱すようなことがあれば士気に関わります。我々だけで探し、主には戦場からお戻りになった後で報告しようと、そう城内の家臣団で落ち着きました。
きっとすぐに見つかる。そう思っていたのですが……。いくら捜索しようと見つかる事は無く、それどころか領地を男と出て行くところを見たという証言が上がりました。
信じられませんでした。主と奥方様はとても仲が良かったのです。きっと、何かの間違いだと言い聞かせ更に聞いて回りましたが『男と歩いていた』『馬車に乗ってどこかに出かけて行った』……そういった報告ばかりが上がるのです。これを主に知られては大変だ、そう思いました。ですが行方を知る者はとうとう現れず、主は帰って来ました。
『アメリア、帰ったぞ!』
数か月ぶりの再会を心待ちにしていた、主の弾んだ声が今も耳に残っています。そこで初めて奥方様が2か月前から失踪していると報告を致しました。……当初は信じられないと困惑したご様子でしたが、奥方様のお部屋や夫婦のお部屋、城内すべてを探し始めました。ですがどこにもいらっしゃいません。
主は我々に激怒しました。何故もっと早く報告しなかったのかと。ですが主は戦場に於いて戦鬼とも呼ばれる方です。そんな方が今の様に取り乱してしまえば騎士団全体の士気に影響が出るというもの。心苦しいですが、その判断は間違っていなかったと思っております。
それからは主も加わり捜索の手を広げました。隣国には内密にです。この婚姻は国同士の思惑あってのものですから、失踪したなど知られれば隣国から調査の手が入る可能性を拭いきれません。これを機に隣国が侵攻してくる口実を与えることになってしまいます。
叱責を承知で国王陛下にも奥方様の失踪を報告しました。国からは『調査官を派遣するのでそのまま調査を続行し内密に連れ戻せ』というものでした。隣国に気取られるなと。
◆◆◆
「そうして調査を続けてきました。しかしながら何の手掛かりもないまま3年が経過し、遺体が見つからないまま国は正式に死亡と認めました。ですが主は認めることなく、失踪から10年経った今でも捜索を続けているのです……」
ジャレッド・ヘザーは苦しそうな面持ちで事情を話した。時折ギュッと拳を握り締める仕草をするが、決して感情に流されないよう己を律し、出来るだけ単調に事実を伝えようとしている。
「国からの調査官も加わりましたが結果は同じです。何処に行ったのか、どこの男と出て行ったのか。どうして出て行ったのか。……まるでわからないのです」
グッとさらに握り込まれた拳。手袋をしていてもかなりの力を込めているのが分かる。私にはそれがどういった感情なのかは断言できないけれど、表情は平静を装うよう努めているのはわかった。……目の奥が、冷たい炎で揺らめいているようなのだ。
「何の手掛かりもありません。ですが、風の噂でこちらの存在を知りました。悩みを解決に導いてくれる相談所。さる尊いお方が後ろ盾となり、支援をされているというこちらのお店の存在を」
そうしてただ静かにヘザーは頭を下げるとこう言った。
「我が主は病に侵され、余命幾ばくか。最後に心残りを晴らしてから逝きたいと願っております。それが結果として主の心を傷つけることであったとしても、知らぬよりはましだと……。何も知らず、奥方様をわかってやれなかったと後悔ばかりの10年に、最後は区切りを付けたいのだと……」
「……」
ヘザーは自分の感情を乗せることなく、ただ主の願いだけを口にした。
10年前に失踪。男と逃げたという証言以外、手掛かりは皆無。隣国が本当に何も知らないのか……それも疑わしい。我が国の思惑も絡むでしょうし、面倒な気配しかしない。
……紹介人の名前からして、それはもう確定しているようなものだけど。
「ヘザー様。お話は分かりました。つまり事実がどうあれ”奥方様の現在を知りたい”という事でよろしいですね?」
そう問うとヘザーは下げていた視線を上げ、しっかりと頷く。
「それでかまいません。主は嘘偽りない奥方様の現状をお知りになりたいのです。
そして……もし困っているようであるなら助けになりたいと」
「それは依頼達成後の話ですね。どうあれ、見つけなければ何もできませんから」
「店主殿……。正直なところ……私は奥方様はもうすでにと、諦めております。ですが主は今も奥方様の生存を信じている。信じているのはもう、主だけなのです。
ですので、この話をしても断られるのもやむなしと考えていましたが、それでは」
辺境伯は病に侵され余命幾ばくか。機密事項だろうにそれを今日会ったばかりの私に話すなんて、断れない状態に持っていったのはどちらなのか。そんなことしなくても紹介人があの方である以上、下手に断るなんて出来る筈がないというのに。
「はい。その依頼、引き受けましょう。ただ、出来れば代理人ではなくご本人様と直接契約を結びたいのですが、辺境伯閣下は今?」
「領地におります。馬車で王都までの距離を移動する体力は、もう残されておりませんので……」
「……そうですか」
憔悴しながらも戦場を駆けていたらしい辺境伯は今では健康だった頃の半分くらいに小さくなってしまったらしい。今では歩くとすぐに息切れし、ベッドで横になる時間が長くなったという。だけど会話はまだできるらしい。
それなら問題ない。どうせここにいても解らない事ばかりなのだから。
「辺境伯閣下のお声で、言葉で聞きましょう。正式に契約するのはそれからという事で」
「……ありがとうございます。どうか、主をお願いします……」
立ち上がり礼をするヘザー。最後まで淡々として感情を見せない人だ。だからこそ、あの時の目がとても印象深い。
それから打ち合わせを行い、ヘザーは明日王都を出て辺境伯領に戻る事となった。主の事が心配なので、というヘザーの表情は少し寂しそうだった。ただ過去を語った時以外、真っ直ぐ目を合わせてきた人なのに帰り際には目が合う事はなかった。
「先生はただ微笑んで座っていらっしゃるだけで、心の奥底まで暴かれてしまう気になるんです。嘘を言えば最後、心の奥底まで見透かされ丸裸にされてしまう。そんな風に思わせる何かがあるんです」
ヘザーを丁重にお見送りし、何気なくヴェラに目が合わなかったと言うとそう返って来た。……それって無意識に圧が強いということかしら?
「後ろ暗いことがなきゃ、何の問題もねぇことだ。先生が気にする必要ねぇよ」
「ラズにしてはいい事を言う。その通りです先生。先生のお時間を消費するんですから、嘘や隠し事をした時点で受ける価値無しです」
「まぁまぁ、二人共。そんなに気にしてないから大丈夫よ? それに……」
ラズは口は悪いけど、根は本当に優しい子。スープの入ったお鍋をかき混ぜながらぶっきらぼうにだけど、慰めてくれる。ヴェラはちょっと私に対して盲目なところがあるけど、とってもいい子。でも厨房のものには触ってはだめよ、絶対に。厨房はラズの領分なんだから。
「それに、ちゃんと隠し事はあるみたいだしね」
「「!」」
うふふ。隠し事なく全てを話した訳ではなさそうなのよね。それが辺境伯にとって不利な事か、隣国にとってか、はたまた国か、私自身か……。
「どちらにしても、行ってみないと何とも言えないわ。閣下の容体も日増しに悪くなるでしょうし、残りの時間はそう長くないと考えましょう」
「クレイン辺境伯領と言えば、王都からかなり離れていますね。馬車を乗り継いで片道20日以上かかります」
「ええ、なかなか骨が折れそうだわ」
二人とも頷き夕食後には出発の準備を始める手筈となった。こういった急な外出も多いけど、地方に行くのは思いの外楽しいのよね。
「さぁ! まずはしっかり食べて英気を養いましょう。二十日も馬車じゃ、気が滅入ってしまいそうだもの」
丁度夕飯が出来たので三人で食堂に運ぶ。おいしそうな香りにお腹がぐぅっと音を立てた。
ラズの作ったスープは大きく切った野菜とお肉がゴロゴロ入っていて、これだけでお腹いっぱいになりそう。お味も丁度良い塩梅で頬っぺたが落ちてしまいそうよ。スープが具沢山で食べ応えがある分、主菜は比較的軽いわね。チーズが中に入ったとろとろのオムレツにベーコンが添えてあるわ。付け合わせの人参とアスパラが彩を加えてくれている。
「んふふ、美味しいわ。ラズったら、また腕を上げたわね」
「美味しい! すっごく美味しい!!」
「……ふん」
態度はよろしいとは言えないけど、耳が赤くなっているのを見逃さない私ではないわ。でも言わないであげる。私は男心だってバッチリ把握しているのよ。
「ラズ、耳が赤いですよ。風邪ですか? 先生と私に移さないで下さいね」
「―――っ! うるっせぇ! 犬っころ!!」
「!? な、何なんですか、急に!! これだから猫野郎はダメですね!!」
「はいはい、折角の美味しい食事を差し置いてする事じゃないわ。ラズ、本当に美味しいわよ。ヴェラ、ラズは照れただけよ。風邪ではないから心配しなくていいわ」
「……照れてねぇし」
「風邪でないならいいです。照れる意味が解りませんが」
「美味しいってニコニコしながら食べていたでしょう? 自分が作った物をそんなに美味しそうに食べてくれたら嬉しいし、ちょっぴり照れ臭いものなのよ」
「そうですか……。ラズ、お前の作ったご飯は美味しい。感謝を込めて、今度は私が作ろう」
「「それは止めて」」
「え?」




