18話 晴光
夜から降り始めた雨は夜中に大雨となったが、翌朝には上がり太陽が顔を出している。
アーネストは依然として予断を許さない状況が続いている。診察に来た医者からは今日を越すのは難しいだろうと宣告されてしまった。
間に合って欲しいけれど、昨夜の大雨では難しいかもしれない。石畳が敷かれていない道はぬかるんでいるだろうし、山間部では土砂崩れの危険もある。そもそもまだこちらに戻って来ているとも限らないのだ。
……覚悟は必要だろう。
わたくしは息を吐いた。そうはわかっていてもやはり生きて欲しいし、助かってほしい。だけど願っても結局わたくしに出来るのは神に祈る事だけ。ならばアーネストの願い通り夫人を見つけ出すべきだわ。
ブルーノの言葉を信じるなら家司は夫人の失踪について調べる人間を事故に見せかけて殺害してきた。それが辺境伯が依頼した私設探偵や情報屋であったとしても。だがそれでは閣下の願いに反する行為だ。閣下はそれをおかしいとは思わなかったのだろうか。
……いいえ、思わなかった訳じゃないでしょう。だけど閣下の周りには閣下が信頼を寄せる人間が集まっている。その中心人物達が揃って隠蔽してきたのなら、弱った閣下を言いくるめる事も可能。
この失踪事件。その裏には長年の家司による隠蔽が捜査を妨害していた。
事件当初から見つけるつもりなどなかったのだ。
その理由は何か。ブルーノ曰く、やはり夫人が隣国ヴァルスト王国出身という事が最大のネックだという。
『奥方様がクレイン家に嫁いで来てくれて閣下は本当に幸せそうでした。奥方様も閣下と同じ気持ちだったと思います。生活にも馴れようと必死で、厳しい目で見られるというのに街にもよく行って寄付をしたり、炊き出しに参加したり。大層努力をされていました。
……だからこそ『ヴァルストの人間でさえなければ』という想いが込み上げてくるのです』
悲痛な表情を浮かべたブルーノ。彼はかつての自分を後悔しているのだ。ヴァルストから来たというだけでアメリア・クレインという一人の人間を見ようとしなかったことを。
ラズを先に休ませて交代で今度はブルーノが仮眠をとる番になった。わたくしはラズの前に仮眠をとったのでこのままアーネストの傍にいる。そして昨日、受け取ったものを取り出す。
黒い手帖。年季の入ったそれは、外装はボロボロで禿げている。紙も黄ばんで本来の色が失われているが中身は問題ない。雨に濡れたのかゴワゴワしているがインクが滲んで読めないという事もない。
わたくしは丁寧に1ページずつ読み進めていく。それはアーネストが調べ上げた夫人の調査記録だった。
「……国に戻った侍女にも会いに行っていたのね」
夫人は嫁ぐ際に母国から侍女を二人、現地採用で一人の侍女を雇っていた。しかし夫人が失踪する直前に一人が行方不明。ヴァルストに戻ったもう一人も消息を絶っているという。現地採用の侍女もその後すぐに解雇され、今は神殿に身を寄せているらしい。
そうだ、嫁ぐ際には実家から数名侍女やメイドが派遣される。その後は嫁ぐ先で採用となるか、実家の方に戻るかは仕える主人によるだろう。
夫人も例にもれず、実家から二人の侍女を連れて来ていた。政治に自身の婚姻を左右され、敵国に嫁ぐ事になった夫人には彼女たちだけが味方であったのは想像に難くない。
アーネストの手記によると、筆頭侍女の名はリディア。隣国の子爵家四女。彼女が帰国した事は確認されているが、その後は消息不明となっている。
もう一人の侍女の名はエリス。ヴァルストでは裕福な商家の娘。夫人の失踪直前に彼女もまた失踪している。
最後にアンナ。彼女が現地採用の侍女で現在は神殿に身を寄せている。と言っても王都からほど近い街の神殿なのでクレイン辺境伯領に残っている訳ではなかった。
アーネストは彼女たちから話を訊くためにヴァルストに渡ったものの、手掛かりを得ることはなく帰国を余儀なくされた。あちらでも同じように夫人については語らないよう統制されている様で、苦労していたようだ。
「”筆頭侍女の実家である子爵家は口を固く閉じ、語る事は無かった。私には語る事を禁止されているように見えた”ね。……あちらも把握していると考えて良さそうね」
それはそう。この婚姻を提案したのはヴァルストで、人質として夫人を差し出したようなものだもの。契約を反故されないように監視を置くのは当然のこと。全く事情を知らない方がおかしいのだ。
―――なら何故ヴァルストに対し、ファルナティアは何もしなかった?
持ちかけた側の人間が逃げた。これは外交上大変問題な行為だ。こちらの面子は丸潰れ。ファルナティアとしてはヴァルストに抗議し賠償金を請求する事も、和平条約も見直しこちらに有利な条件で再度結び直すよう要求していても可笑しくない。
だけどファルナティアは何も要求していない。むしろヴァルストから関税について緩和の要求を受け、それを呑んだはずだ。つまりファルナティアの不都合をヴァルストは知っていて、黙認する代わりに要求を呑ませたのだろう。
ではファルナティアの不都合とは何か。
国同士の契約によって結ばれた結婚だというのに、男と逃げたという噂を放置し続けている理由とは。
『手がかりなし』『男と逃げた』『ファルナティアの沈黙』『関税の緩和』『和平条約の維持』
「……」
どうやらアーネストとわたくしの考えは一致しているようだ。これが事実であるならファルナティアがヴァルストの要求を無条件でのむのも、ヴァルストが夫人を捜索しようとしない理由も付く。
手記を読み進めていくとある1ページに目が留まった。それは簡易的に書かれたクレイン要塞の配置図だった。目が留まったのはそれに何重にも重ねられた丸が描かれていたからだ。この辺りに何かある?
『今では使われておりませんが、かつては領民を城内に避難させて籠城することも珍しくなかったようです。その頃の名残で森には領民の為に作られた避難施設があるんです』
「―――……」
なるほど。アーネストはこれを知ってしまったから命を狙われたのね。
わたくしには加護がある。右目の”識眼”は過去の痕跡・記憶の残滓を視る。
夫人の部屋に通してもらってすぐに使ったのがそれ。そのおかげで使用人たちの隠蔽にはすぐに気が付いたし、その先も知ってしまった。
だけどアーネストは自分の足と頭で考えて答えを導き出した。実に見事な手腕だ。
眠るアーネストの顔を窺う。青白い顔色はさらに白くなっているように見える。本当にもう時間がない。
(間に合わないか―――)
そう諦めかけた時だった。
「先生!! ただいま戻りました!!」
「ヴェラ!」
バーンッ! と効果音を付けて部屋の扉を開けたのは使いに出していたヴェラだ。元気いっぱいで疲れを見せないけれど、使いに行ってもらってまだ5日だというのにもう戻って来たなんて。
「お使い、ちゃんとできました!! 手配もバッチリです!!」
褒めて褒めてと言わんばかりに目をキラキラさせて撫でられ待ちをするヴェラ。ええ、ええ! 勿論褒めるわよ。
「偉いわ、ヴェラ!! よく頑張ったわね! 本当にっ……ありがとう」
「うへへっ! ありがとうございます! 頑張りました!」
「お疲れ様。それで悪いんだけど、彼は……」
「ここ、だ……よぉ」
「!」
ヴェラが開けた扉の外に、わたくしが待っていた人がいた。普段なら身形に気遣って小綺麗にしているというのに、今日はなんだかげっそりしている上にどこかボロッとしている。
「ラファエル様! お待ちしておりました!」
「……やぁ、ミスト。オェッ! うぅっ、きもちわるい……」
何だか腰が抜けている様でプルプルしている。見かねてラズが手を貸してようやく立っていられるみたいだ。どうしてかしら?
「神よ……疾風の如く駆け抜ける悪魔から我が身をお守り下さり感謝いたします……。ウェッ」
「えっ! まだまだ早く走れますよ!」
「やめてお願い死んじゃうからっ!」
この少し萎れてしまっている男性の名前はラファエル。神官で第二都市の大神殿では神官長を務めている方。まだ29歳という若さでありながら高位の神官で、生まれも由緒正しい貴族の血を引いている。
そんな彼は肩書だけ見れば立派で将来も約束された神官なのだが、信仰心が強い神官や信者からはあまり好かれていない。その理由は。
「ミストー、もうオレめっちゃ辛かったんだからね? 休憩なしに走りっぱなしで体が痛いし、腹は減るし、酒は飲めねぇし」
「でもヴェラはあなたが好きな可愛い女の子でしょう?」
「イノシシ女だということはわかった。癒されたい。よしよしされたい。『頑張ったわね、偉いわ』って言いながらチューしてほしい。大人のお姉さんに膝枕してもらって子守歌を謳って欲しい!」
「私はイノシシじゃありませんよ!」
「ラファエル様、依頼の追加をお願いいたします。そうしたら膝枕位でしたらお貸しいたしますわ」
「え、マジで? 受ける受ける。今すぐやる。ミストの太ももの柔らかさを堪能したい、いでっ!?」
あら、ラズが怒っちゃったわ。支えていた手を離すどころか突き飛ばしたから、油断していたラファエルは床と勢いよく衝突。額を打ち付けたようで赤くなっていた。
「ラズ、時間がないのよ。許して?」
「……だめ」
「そうです! 先生の柔らくて、でも張りのあるほどよく引き締まった足を堪能するのは私です!」
「それも違うわよヴェラ」
敬虔な信者と神官に嫌われるのはこれ。ラファエルは女性とお酒と、あとお金が大好きなの。神官としてあるまじき姿だと批判されるのも無理はない言動だけど、多くの人間は彼を慕い求められている。
その求められる理由が今回わたくしが彼を呼んだ理由でもある。
「ラファエル様がお求めの『大人のお姉様』ではないけど、この対価でいいならお支払いいたしますわ」
ラファエル様よりも5歳下だから条件から外れるけれど、何とか受けてくれそうだ。
「いい、いい。全然いい! 確かに年下だけど『大人のお姉さん』だわ、間違いない。むしろこんな大人のお姉さんを求めていた。黒髪泣きボクロの未亡人でオッドアイとか設定盛り過ぎじゃん。おっぱいも大きいし、理想のお姉さんだ。自信持てって」
……言葉には気を付けて下さいね。ラズは兎も角ヴェラの表情が消えたから本気でまずいわよ。
「こちらの方です。どうか治療をお願いします」
騒ぎを訊きつけて医者も飛んで来た。「し、神官様!?」と驚いているけれど誰も気にも留めない。
「おー、栄養状態が随分悪いな。出血も多いみたいだし、何より体力がない。どういう理由で助けたいのか知らんが、膝枕以外にも色を付けて貰わないとな」
ラファエル様がアーネストの眠るベッドに向かい、掌を彼に向ける。すると淡い黄色のような光が彼に柔らかく降り注いだ。
「助けてもらえますか?」
「対価による」
「何をお求めで?」
「そうだな。……アンタの時間が欲しい」
3日でいい。そう言ってラファエルはこちらを見た。その目には先ほどの軽薄さは微塵も見えない。どこまでも真剣な目は、本来の彼が持つ本質だ。
「分かりました。差し上げます」
「おっしゃ! んじゃ、早速治すぜ」
そう言うや否や光は光度を増しアーネストの全身を覆い尽くす。ほんの数秒。たった数秒の事でアーネストの傷は塞がり健康体へと変貌した。
わたくしの胸の中にあった重りが軽くなり自然と息を吐きだしていた。安心した所為か、今になって身体が震え始めた。張りつめていた糸がプツンッと切れたような感覚がした後、わたくしは膝から崩れるようにして座り込んでしまった。




