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下妻駅にて


 翌朝のことである。大地はとりあえず父の進言通り、早朝八幡神社にカブトムシを採りに行った。しかし成果は小さなメスのカブトムシと小クワガタのみである。やはりこれはめきちこに行かねばならぬとの思いを強くする。

 家に帰り、朝食をいつも以上にさっさと食べ終えると、

 「食ったら梨畑行くぞ」いつもなら飛びつく父の言葉にも、大地は静かに首を横に振る。

 「今日は行かね」

 父も母も目を丸くする。

 「あれ、行かねのが? セミ取りしねえの?」母が頓狂な声で言った。

 「今日は忙しいんだ」

 幼稚園児が忙しいわけがない。

 「まあ、いがべ。今ちっとしたらばあちゃんに庭にプールさ作ってもらえ。今日もあっづくなっかんな」父はそう言って立ち上がる。

 「ほだな、大地。今ちっとお日様上ったらプールこさえてやっぺ」ばあちゃんはそう言って大地の頭を撫でつけた。

 父が畑へ向かい、母が朝食の後片付けをする。ばあちゃんも離れに戻って洗濯などに取り掛かった矢先、大地は物々しく昨日もらったばかりの昆虫図鑑を抱き抱え、そして玄関先に置かれた虫かご、虫取り網を手に、凛々しく麦わら帽子を被ると一人家を出た。


 既に外は真夏の様相を呈していた。日差しは強い。セミの声がもううるさいぐらいに頭上を飛び交っていた。

 大地は筑波山も砂沼も見向きもせずに、ただ眼差しも厳しくむしむしと歩いた。

 めきちこ、めきちこ。ヘラクレス、ヘラクレス。頭はそれでいっぱいである。

 しばらく歩くと、おつかい用のエコバッグを持った朱里と出くわした。

 「しゅり!」思わず大地はほころんだ。

 朱里も微笑みながら頷く。

 「おつかい行ぐのが?」

 大地が覗き込むと、エコバッグはまだ空だった。

 朱里は再び頷く。

 そして大地の顔をじっと見つめた。ーー大地はどこへ行くの?

 「俺はな、今からめきちこに行ぐんだ」

 めきちこって何?

 朱里は不思議そうに大地を見つめる。

 「めきちこな、父ちゃんが軽トラ出してくんねがら、電車に乗っで行ぐごどにしたんだ!」

 朱里は目を瞬かせる。

 何しに行くの?

 「カブト採りに行ぐんだ! 角がグイーンって伸びててな、青とか茶色とか、カッケーの!」

 大地は見たことがないくらいに興奮している。

 「しゅりも行ぐか?」

 大地はいつも自分のおつかいに付き合ってくれた。そうして店員さんを呼んだり、道端の虫を除けてくれたりと、さまざまな方法で助けてくれた。めきちこがどこだかはわからないけれど、もしかしたら自分も助けてあげることができるかもしれない。朱里は一瞬の内にそう考え、一つ頷き大地の手を取った。

 「じゃ、一緒に行ぐべ!」

 大地は道中ヘラクレスオオカブトの話をした。八幡神社では見たことのないカブトムシであること。きっとあんな素敵な生き物はめきちこでも大人気で、子供から大人までみんな飼っているに違いない、だから一日でも早く行って捕まえてこなくてはならない。

 そう嬉しそうに話す大地と一緒にいるだけで、朱里もまた嬉しくてならなかった。早くめきちこに行こう。そうしてヘラクレスオオカブトを捕まえよう。


 二人は下妻駅に着いた。

 大地は路線図を見上げる。字はまだ読めない。

 「しゅり、どっかにめきちこって書いてあるか?」

 朱里は丹念に一つ一つ読もうとしたが漢字が多くてわからない。

 首を傾げているところに、壮年の駅員がやってきた。

 「ぼくたち、どうしたの? パパとママは?」

 駅員はしゃがんで二人に向かってにっこりと微笑んだ。そしてふと気づく。このお嬢さんは確か、数日前に祭りで駅前を使うために挨拶にやって来た鈴木議員のお子さんではないか。

 「あれ、朱里ちゃんでねえの。お出かけか?」

 「あのなあ、父ちゃん軽トラ出してくんねがら、電車乗りに来たんだ」大地が代わって答える。

 「そうなのかあ。どこへ行きたいの?」

 「めきちこ!」大地は元気いっぱいに答える。

 「めきちこ?」

 「うん!」大地は昆虫図鑑を地べたに広げて見せた。

 「……あのなあ、このヘラクレスオオカブトってあるべ? こいづ採りに行ぐの」

 駅員は目を丸くする。確かにヘラクレスオオカブト、原産地としてメキシコ、ブラジルと書いてある。「……それで、メキシコに行くの?」

 「うん!」

 駅員は一瞬たじろいだが、「そっかあ、おじさん、カブトムシのお話もうちょっと聞きたいなあ」と言って駅員室へと二人を招き入れた。

 「そうだ、二人ともアイスは好きかい?」

 大地も朱里も笑顔で頷く。

 駅員は駅構内にあるキオスクでいちご味のかき氷を二つ買うと、大地と朱里にそれぞれ手渡した。

 「はい、どうぞ」

 「ありがと!」そう答える大地の隣で朱里も頭を下げる。

 大地は早速蓋を開けて、硬い表面をスプーンでガリガリと擦る。

 駅員はすぐさま電話をかけた。

 ーー恐れ入ります。私下妻駅の駅員の車谷と申しますが、こちらにお嬢さんがお見えです。ええ、黄色のワンピースに白のサンダル、ええ、男の子と一緒に。


 大地は物珍し気に駅長室を見回し、そして電話を終えた駅員のかぶっている帽子を改めてまじまじと見つめた。星がついていて、なんだかとてもかっこいい。

 「おじちゃん、そのシャッポかっけえな!」

 「おお、かっけえか?」駅員も笑顔で答える。

 「父ちゃんもな、いづも農協のシャッポかぶってんだ。緑色の。でもおじちゃんの、父ちゃんのよりかっけえかもしんね。星キラキラしてるもの!」

 「そうか、ありがとう。かぶってみるか?」

 「いいの?」

 大地の頭に大きすぎる帽子が載せられる。駅員は壁に掛けられた鏡の前に大地を連れていった。

 「こら、かっけえべ! どこで買って来たんで? ジャスコか?」

 「違うど。これはな、駅にお勤めすると貰えんだ」

 「駅にお勤め……、おじちゃん駅にお勤めしてんのが」

 駅員は噴き出す。「そうだよ、おじちゃんここで何をしていると思ったんで?」

 「電車で遊んでんのかと思った」悪びれた様子もなく大地は答える。「父ちゃんはまいんち梨畑さ行って遊んでんだ。そんでな、おれはセミ採りすんの。おれ、下妻一のセミ採り名人だかんな!」

 「ほら大したもんだ!」

 その時、朱里の母親が駅長室へと駈込んできた。

 「朱里! 大地くん!」

 「あ、朱里の母ちゃん」

 子供ふたりは何でもない顔をして、かき氷カップをがりがりとスプーンで削っている。

 「駅長さん、大変ご迷惑をおかけしまして……」慌てて頭を下げる。

 「いえいえ、お迎えありがとうございます。こっちの僕の方の連絡先がわかりませんで、奥様ご存じでしょうか?」

 「ええ、ええ。もちろん。今連絡します」朱里の母親は携帯電話をバッグから取り出して、電話をかけた。

 「やっぱ夏はかき氷だべな」大地が言って朱里が大きく頷いた。「今度の花火大会でばあちゃんに買ってもらうべ」

 朱里も頷く。

 ーーええ。今下妻駅で。駅員さんと一緒に。今すぐ大丈夫ですか? はい、はい。私もここにおりますからーー

 朱里の母親は電話を終えると、脱力したように二人の前にしゃがみ込み、

 「まあともかぐ無事でよかったべ。電車に乗られちまったらどこ探し回ることになってだが……。駅員さんによぐよぐお礼言いなさい」

 「いえいえ、まあよかったですよ。ちゃんとおうちに帰れることになって」

 「ありがと」大地はかき氷を掲げて言った。かき氷を買ってくれたお礼だと思っている。「これ、うんまいべ。な」そう言って大地は朱里を笑顔で見つめる。

 朱里も笑顔で頷いて見せた。

 「良かったですよ。ちょうど二日、三日前ですかね。鈴木先生がわざわざこの駅の前を千人踊りが通るからって、ご挨拶に見えて。その時ちょうど朱里ちゃんも一緒だったものですから、あら、この子は鈴木先生のお子さんだってピンと来まして」

 朱里の母親は平身低頭しきりである。

 そこに大地の母親が駆け込んできた。

 「この度はうぢの馬鹿息子がご迷惑をおかけしまして……!」慌てて頭を下げるや否や、大地の頭を引っ叩く。

 「いでっ! 何すんで」

 「何すんででねえ! 駅長さんさ迷惑さかげで、おめ、一体どこさ行ぐ算段しでんで!」

 大地は心得顔に図鑑を広げ、

 「めきちこにカブト採りに行ぐんだ」と胸を張った。

 「はあ? カブトムシは毎朝八幡神社さ採りに行ってっぺな!」

 母ちゃんは何もわかっていねえ、とでもいうような気取った顔つきで大地は、

 「ヘラクレスは八幡神社には、いね。めきちこにいんだ」

 「はあ?」

 「め・き・ち・こ、だべ!」

 大地は再び引っ叩かれる。

 「何考えてんだべ! メキシコっちゃ外国だべ! おめ、電車でメキシコなんで行けるわけあんめ! こーんのごじゃっぺが!」

 一方的にまくしたてられ、大地は遂にうわああと泣いた。

 朱里が心配そうに大地の手を握ってやる。

 「本当にこの度はうぢの馬鹿息子がとんだご迷惑をおかけしまして。後で父ちゃん連れてお詫びに参りますんで……」

 「いえいえ、それには及びませんよ。二人とも無事におうちに帰れればそれで充分……」駅長はそう言って二人の頭を撫でつけた。

 「朱里ちゃんまで巻き添えにしてしまいまして、本当にお詫びのしようも……」大地の母は二方向に向けて次々に頭を下げまくる。

 「いえいえ、大地君ばかしじゃありません。うぢの朱里だって一緒んなってご迷惑おかけしてんですから、ほっだに頭下げねで……」

 「いえいえ、うぢの馬鹿が朱里ちゃんごど連れ回しで、危険な目に遭わして……」

 大地の母は大地を睨みつけると、ひょいと片手に担ぎ上げた。

 「大地! 帰ったら父ちゃんにきづーく、怒ってもらうかんな!」

 「父ちゃんが軽トラ出してくんねがら悪いんだど!」涙を拭い拭い大地は言う。

 「この! 軽トラでメキシコ行けるか、ごじゃっぺ!」

 「おうぢ帰りたぐねえ! めきちこ行ぐんだ! 駅のおじちゃん! 連れてってくろよ!」両足をばたつかせて抗議するものの、

 「電車で海越えられるわけあんめ!」

 怒鳴りつけられ、再び涙を零す。

 「大地君、子どもだけじゃあ電車には乗せられねえけど、おじちゃん駅にいっからいづでも遊びにおいで。また、アイス食わせてやっから」

 「とんでもねえことです! 本当にお仕事の邪魔して申し訳ございませんでした。ほれ、おめも頭さ下げろ!」

 大地の母は無理やり大地の頭を下げさせ、そのまま抱き抱えると、頭を何度も下げながらそそくさと去った。

 その後朱里の母親も深々と頭を下げて駅長室を辞した。


 その夜、大地は父から切々と本日の愚行についての説教が行われた。

 駅員さんがたまたま見つけてくれたからよかったものの、もし発見されず電車に乗ってしまったら帰ってこられなかったのかもしれない、それに朱里も巻き添えにするところだったのだ、と。

 「朱里ちゃんが帰ってこれねぐなったら、朱里ちゃんのお父さんもお母さんも、じいちゃんもばあちゃんも、みんなみんな悲しむんだど? おめ、わがってんのが?」

 大地はしゃくりあげる。

 「おめがいねぐねっても、父ちゃん母ちゃんじいちゃんばあちゃん、みんな総出で探しに行かなきゃなんね。朱里ちゃんちだっておんなしだ。おめは元気で、誰とでも喋られけっど、喋られねえ朱里ちゃんどっか行っちまったら、朱里ちゃんちはうぢよりもっともっと心配すっぺ。おめはそういうごどわがってんのが?」

 大地の双眸から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 「明日、明日……朱里んぢにごめんなさいしに行ぐぅ」

 「ほだ。父ちゃんも一緒に行ぐ。ちゃんとごめんなさいできんな?」

 「できる!」大地は平伏して泣きじゃくった。

そうして翌日駅員さんと朱里の家に改めて謝罪に行くということになり、それはすみやかに実行されたのであった。


 しかし大地はなぜだかそれから駅員さんを気に入ってしまった。

 よって、朱里のおつかいの際には、なぜだか駅を経由することになった。

 「駅のおじちゃん!」

 駅員は気づくとすぐに笑顔で手を振ってくれる。しかしこれといった用事はない。

 「これから朱里とおつかい行ってくる!」

 「気を付けて行くんだど」

 「うん!」

 やりとりはそれだけであるが、大地は嬉しくてならない。

 そしてあくる日は、

 「駅のおじちゃん! 見てくれ!」大地がかぶっている幼稚園の帽子に、折り紙で作られた星が貼り付けられている。「おじちゃんとお揃い!」

 「本当だ! かっこいいでねえか!」

 「うん!」

 そしてまたあくる日は、

 「駅のおじちゃん! おれ、今度千人踊りで下妻シッチョメ踊るんだ。おじちゃん踊れっか? 教えてやっぺ」

 手はこう、脚はこうして。大地は真剣にレクシャーする。駅員が駅前で踊らされているのを、利用者はクスクスと笑いながら通りすぎる。

 そんな交流がしばらく続いた。

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