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めきちこへ行こう

翌朝のことである。

 まだ父ちゃんも母ちゃんも起き出さぬ内から、大地は八幡神社へと出かけていく。目指すは前の夜に蜂蜜を塗りに行った、神社中央に鎮座まします杉の木である。その、ちょうど蜂蜜を塗りたくったところに、カブトムシ、クワガタ、そんな甲虫たちがわらわらと集まってきているのである。大地はそいつらをホイホイと摘んでは虫籠に入れていく。

 「こらあ大漁だべ!」大地の虫籠はあっという間に騒がしくなる。

 家に帰ったら母ちゃんに頼んで、梨の切れ端を入れて飼うんだ。カブトムシには相撲をさしてみても面白いし、見ているだけだって面白い。大河にも自慢してやらなきゃいけねえ。あいづはあんまし虫が好きではないけれど、でもこいづらを見たら大地すげえなっつって、たまげっちまうかもしんね……。

 家に帰れば朝飯だ。納豆に味噌汁、鮭の切り身にほうれん草のおひたし。父ちゃんは決まって「味噌汁しっかり飲まねえと熱中症になっちまうかんな、しっかり食え」と大地と大河にそれぞれ言い聞かせる。もしかすると自分にも言い聞かせているのかもしれない。夏場に田畑に出るためには味噌汁は必須なのだ。そして朝飯を食い終わったら、父ちゃんと一緒に梨畑に行かなくてはならない。

 今度は、セミ取りが待っているのである。

 一応虫取り網は持っていくものの、我が平野家の梨畑の素晴らしいところは、そんなものは使わなくても次々にセミを取れるということである。方法は一つ。梨畑の端から端まで全力で走れば、胸やら腹に次々とセミがくっついているという始末である。こんなに面白いことはない。大地はとりあえず何度も端から端へ、

 「セミー! 俺が来たぞー! 大地だどー!」と、しなくても良い自己紹介をしながら走りまくるのである。それだけでセミはTシャツ前面にひっついて、そいつを摘んでいけば虫籠はあっという間にいっぱいになる。

 「おめ、ほっだにぎゅうぎゅう詰めにすっことあんめよ! かわいそうだっぺ!」

 父ちゃんに叱られたって、構うことはない。大地は昼飯の握り飯を頬張りながら無心に虫籠を食い入るように見つめる。

 ミーンミンミンミン!

 ジイジイジイ!

 ツクツクホーシ!ツクツクホーシ!

 見事なまでの大合唱である。

 どいつが鳴いているのか、どいつが黙っているのか、見た目にはよくわからない。でも全部、自分のセミだ。

 でもこいつらは帰りには放してやらなければならない。それだけはどうしても守らなくてはならない父ちゃんとの約束なのだ。

 「セミはな、地面の中に何年も入ってでそんでようやく出でこられてもな、ものの一月も生きられねえんだ。だから帰してやれ。セミにだって父ちゃんや母ちゃんがある。心配してっかもしんね」

 そう言われれば大地は数時間の逢瀬を楽しんだ後、セミを再び梨畑に返してやるしかないのである。

 

 夕方に父ちゃんと帰途につくと、早速風呂に入って夕飯である。

 ある日、帰ると親戚の叔父さん叔母さん夫婦が遊びに来ていた。いつも子供らに菓子だのおもちゃだのをお土産に持ってきてくれる心安い夫婦である。

 その日は大地の昨今の虫好きを父伝手に聞いて、昆虫図鑑を土産に持って来てくれた。

 「こらすげえべ!」大地はページを繰りながら興奮する。大地の知らないカブトムシがたくさんそこには並んでいた。

 「こっだにツノ長ぇやづがいんのが!」大地は畳に広げた図鑑に頭をぶつけんばかりに凝視し出す。

 「茶色いのも青いのもいるー!」ページを開くたびにいちいち父ちゃんに報告に来るので、久方ぶりの兄夫婦との話も途切れ途切れである。父はうるさくて敵わない。

 「おめ、あっぢで大河と読んでろ」

 邪険にされても大地は図鑑で初めて出会うカブトムシの姿に感銘し切りである。大河は本物の虫は苦手であるが本は好きなので、大地の読書と、それに過剰なくらい付随している感嘆に付き合ってやる。

 「なあ、こっだの八幡神社では見たことねえど。どこにいんだっぺ」

 大河は大地の一歳歳下であるが、既に字を読むことはできる。

 「この、……ヘラクレスオオカブトっちゅうやづは、メキシコって国とブラジルって国にいんだちけ」大河は説明書きを読んでやる。

 「めきちこかー! めきちこ……めきちこ……」

 大地はうっとりと思いを馳せる。そこには木々が茂り、色とりどりの、それでいて角の立派なカブトムシがわんさかといるのである。それらは宝石の如くキラキラと輝いて森を支配している。大地はほとんど夢現の状態で図鑑を抱きしめて父親の元へと駆け寄った。

 「父ちゃんっ!」

 「おめはまだ来たのがー、あっちで大河と遊んでろって言ったべ?」

 「父ちゃん父ちゃん父ちゃん! めきちこに連れてってくれよ!」

 「はあ? 何でえ?」

 「だーかーらー、めきちこ!」

 「めき、ちこ?」

 「ほだよ! めきちこはめきちこだべ!」

 「はあ? おめ、メキシコに連れてけっつってんのがあ?」

 父は思わず茶を吹き出しそうになる。

 「な? 明日軽トラ出してくろよ!」

 今度は本当に吹き出した。

 「おめ、軽トラでいけるわけあんめよ!」

 今度は親戚も吹き出した。

 「大ちゃん、何しにメキシコ行くんで?」

 「これだべ!」大地は颯爽と昆虫図鑑を開く。「ここ! めきちこにヘラクレスオオカブト採りに行ぐの! かっけえべ!」

 「そらすげえなあ!」親戚の叔父さんは腕組みをしながら盛んに頷いた。「ほっだの採って来れたら大したもんだべ」

 「ごじゃっぺ言うでねえ! 八幡神社で我慢しどけ! どうせ明日の朝も行くんだべ? なあにがメキシコだ! ほっだの槍降ったって無理だべ!」

 父に無理矢理部屋を追い出され、大地は肩を落とす。

 しかしこればかりは八幡神社では採れない種類のカブトムシであることを大地はわかっていた。何せこの夏毎日通ってもお目にかかったことはないのである。

 めきちこに父が連れて行ってくれないとなれば、あとは自力で向かうのみである。どうしようか……。

 大地は廊下に寝そべりながら考えた。そして、思いついた。

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