95話
クロードは馬上で小柄な身体をひねり、禍々しい斬馬刀を大きく振りかぶった。
馬の突進速度とクロードの並外れた膂力が融合した一撃──常人には視認すら困難な豪速の刃が襲いかかる。
しかし──ジャックはその必殺の刃を、手にした片手剣の腹で滑らかにいなした。
正面から受け止めたのではない。衝撃を体全体で受け流し、独楽のように身を回転させながら威力を完膚なきまでに分散させたのだ。そして、その回転の勢いをそのまま殺さず、クロードの乗馬の前脚を一閃のもとに斬り落とした。
「なっ……!?」
バランスを崩した巨馬が激しく転倒し、クロードごと豪雨のぬかるみへ叩きつけられた。
鈍い激突音が雨音を突いて響き渡る。
しかし、クロードは即座に立ち上がった。
地響きのような蛮声を張り上げ、人刃一体の痛烈な一撃をジャックの頭上へと振り下ろす。
ジャックは交差させた二本の剣で、間一髪それを受け止めた。
両腕にズシリと重い衝撃が突き抜ける。
「──俺はこの日を待っていたんだよ、ジャック!!」
クロードの顔面には、どろどろとした殺意と歪んだ歓喜が入り混じっていた。
「お前が敵となり……親父の顔色を伺わずにブチ殺せる、この日をなァッ!」
「へぇ」
ジャックは刃を激しく押し返しながら、軽薄な笑みを浮かべた。
「まだ親っさんが怖いのかい? いい加減、反抗期を迎えなよ。男の子ならさ」
「うるせぇぇッ!! 減らず口はそこまでだ!」
クロードが一歩引き、斬馬刀を引き戻して再び構え直す。
「今日こそ……散っていった仲間たちの、そしてリシウスの兄貴の仇を取らせてもらうぞ!」
「……へっ」
ジャックの表情から軽薄さが消え、鋭い構えへと移行する。
「俺だってな……あの人の意志を継いでるし、いま守らなきゃならん連中がいるんだよ」
声に、秘めた覚悟の重みが宿る。
「お前程度に、この命はやれんよ……クロード坊」
───
そこには、不可解な光景が広がっていた。
ジャライカ戦士団の大半は、周囲で勃発する激しい乱戦に参加しようとせず、対峙するミナとフレイドを取り囲むように整然と陣を組んでいた。まるで、聖域で行われる決闘を見守る観客のように。
「……どういうつもりだ?」
ミナは剣を深く構えたまま、冷徹に問うた。
「彼らは皆、生粋の戦士たちですので」
フレイドは大戦斧を脇に下げたまま、丁寧な口調で応じた。
「命を奪うことにも躊躇いませんし、己が奪われることにも執着しない。ただ……強者と戦うか、あるいは強者同士の闘いを見届けることにのみ心惹かれる者たちばかりなのですよ」
「……ふん」
ミナは吐き捨てるように鼻を鳴らした。
「要するに、ただの異常者どもということだな」
「否定はしません」
フレイドは薄く口元を歪めた。
「もっとも……貴女もまた、同類とお見受けしますがね」
「……ほざけッ!」
ミナが一歩を踏み出す。
それはまさに神速──肉眼を置き去りにする剣閃が、一瞬でフレイドの喉元を穿った。
──だが。
フレイドは大戦斧を凄まじい速度で滑らせた。
その巨躯と大斧の重さを微塵も感じさせない、洗練された早業。
ミナの確信に満ちた斬撃が、完璧に弾かれた。
「な……!?」
ミナは目を見開いた。
己の渾身の一撃を容易く防がれた事実に、激しい驚愕が走る。
フレイドもまた「剣聖」の威力を肌で感じて内心で戦慄していたが、表面上はどこか余裕の笑みを崩さなかった。
「……素晴らしい太刀筋だ」
そう称賛すると同時に、ミナの剣を強烈にいなし、間髪入れずに大斧の反撃を繰り出した。
ミナは即座に受けて立った。しかし、斧から伝わる圧倒的な質量の前に抑えきれず、身体ごと大きく後方へと弾き飛ばされた。
着地こそ美しく決めたものの──それは、ミナが生まれて初めて、剣戟の純粋な力勝負で競り負けたことを意味していた。
「……ですが」
フレイドが冷たく告げる。
「『北の剣聖』ほどの力量には、ほど遠い」
ミナはその言葉を正面から受け止めた。
その表情が、わずかに変貌する。
怒りではない。己の矜持を、確かに踏みにじられた者の顔であった。
───
リデルは雨の混戦の中を疾走していた。リーフィアがその背中にぴたりと従う。
周囲は混沌とした乱戦であり、誰が敵で誰が味方かも判別がつかない。リデルの手にする剣はすでに三人の敵を切り伏せ、その鮮血が全身を濡らしていた。
戦況は急速に悪化していた。
ヴェーデル騎士団の奇襲によって一時的に主導権を奪取したものの、ジャライカ戦士団が本格参入してからはじわじわと押し込まれ始めていた。ミナとジャックがそれぞれ一騎討ちに足止めされたことで、崩壊の度合いは増すばかりである。
戦場全体を見渡せば、あちこちで小規模に包囲された味方がすり潰されていた。
奇襲効果と兵の練度差は、いかんともし難かった。
(……撤退するしかない)
リデルは奔走しながら冷徹に決断した。
豪雨によってオーリス川は激流と化しており、無謀な渡河は多数の溺死者を出すだろう。しかし、この陸地に留まれば嬲り殺されるのを待つのみだ。
撤退を進言すべく、リデルはレイの姿を探し求めた。
「見つけました!!」
リーフィアが叫ぶ。
指し示す先に、泥に塗れた人影があった。
レイであった。
わずかな供回りだけを伴い、乗馬を失って泥と血の中に力なくうずくまっていた。
リデルはすぐさま駆け寄り、まるで見下すように言葉を紡ぐ。
「……陛下」
戦場の真っただ中とは思えない、静かだが凛とした声であった。
「まことに残念ながら、我が軍に勝機はございません。たとえ多くの犠牲を出そうとも、直ちに川を渡り撤退すべきです」
レイがゆっくりと顔を上げた。
その表情は、まるで命を失った幽鬼のようであった。
「……ああ、そうだな」
感情の抜け落ちた声であった。
「我が泳げぬゆえ……お前たちだけで行くが良い」
「そのようなわけにはまいりません」
「なぜだ……? お前さえいれば、どうにでもなるではないか」
レイの声に、どろりとした自嘲が混ざる。
「……我なんぞがいなくとも」
「陛下には、ここで散っていった将兵たちの無念を晴らすためにも、生きていただかねばならないのです」
「……生きねば、か」
レイは「くくく……」と口元を歪めて笑った。
「お前も知っての通り……我が友グランツは『敗北者』を許さぬ。我はその冷酷さを恐れ、慎重に立ち回り、失敗せぬよう、グランツの歓心を損なわぬよう……ここまで必死に生きてきたのだ」
降りしきる雨が、二人の体を打ち叩く。
「上手くいっていたのだ……!」
レイは泥に汚れた自らの両手を見つめながら、声を荒げた。
「グランツの期待通り、東部本領を順調に治め、本領貴族たちの信頼を勝ち取り、従えてきた……! だが、この惨敗で全てがご破算だ……!」
「だからこそ、生きて挽回を──」
リデルが言葉を重ねようとした、その瞬間であった。
レイの手が激しく伸び、リデルの胸ぐらを力任せに掴み寄せた。
「──お前に何が分かるッ!?」
声が、激しい怒りと絶望で震えていた。
「お前のような『怪物』に……私の何が分かるというのだッ!!」
瞳は赤く充血し、その美しい容貌は生の感情によって醜く歪んでいた。
「貴様のように……何度も絶望から立ち上がれると思うな! 貴様のように誰からも尊敬され、畏怖されると思うな!! 貴様のように……グランツの寵愛を──ッ!!」
「──あそこだぁぁッ!!」
その言葉を切り裂くように、凶暴な叫びが割り込んだ。
リデルが瞬時に視線を向ける。
そこには、十数名の東方兵が迫っていた。
装備に施された意匠──ジャライカ戦士団の「スキル保持者」たちだ。
激戦の隙を突き、ここまで単独で浸透突破してきた猛者たちであった。
二つの「大将首」を捉えた彼らの瞳が、獲物を狙う肉食獣の狂気に染まる。
猛然とこちらへ向かって突き進んでくる。
対するはこちらにリデル、リーフィア、そしてレイの護衛が三名のみ。
リデルの頭脳はこの状況をしのぐ算段を立てようとするが、思考が完了するよりも早く、敵との距離がゼロになった。
彼らがリデルとレイの眼前に到達した──その瞬間。
盛大な鮮血が、豪雨の空へ舞い散った。




