93話
レイは、ただ誰かに「必要とされたい」と切望していた。
記憶の中で、父王ロイが自分を見てくれたことは一度もなかった。
ロイにはあまりにも多くの子がいた。正妻の腹から生まれた子、側室の子、名もなき女たちから生まれた子──その無数の血族の中で、レイはか細い傍流の一人に過ぎなかった。期待などされず、名すら呼ばれることは稀であった。
腹違いの兄弟たちは、容赦なくレイを蔑んだ。
──能のない落ちこぼれ。
──何の役にも立たぬ出来損ない。
レイはその蔑称を否定できなかった。なぜなら、それが疑いようもない事実であったからだ。
演劇の世界へと足を踏み入れたのは、紛れもなく現実からの逃避であった。
しかし、その眩い虚構の舞台の上で、レイは己の中に眠る恐るべき異能の開花を知る。
スキル──『演者』。
他者を深く観察し、理解し、模倣する。その理解の精度が上がれば上がるほど、より完璧に、寸分の狂いもなくその人物そのものへと成り代わることができた。
「スプレンドール」という芸名を掲げ、レイは瞬く間に演劇界の寵児へと上り詰めた。
惜しみない称賛が注がれ、人々は彼を崇め、慕った。
──しかし。
レイの心が満たされることは、ついぞなかった。
一見すると、望むものすべてを手に入れたかのように見えた。だが、何かが決定的に違っていたのだ。
己の身体に流れる「統治者の血」が、皮肉にも己の足を引っ張っていた。
仮面を被り、脚色された舞台で勝ち得た居場所に、レイは耐え難い息苦しさを感じていた。このまま誰かの人生を模倣し続け、何者でもないまま一生を終えることへの恐怖が、じわじわと心を蝕んでいく。
やがて、「自害」という不吉な言葉が、脳裏の隅に根を張り始めていた。
──そんな絶望の渦中で出会ったのが、グランツであった。
グランツは「天才役者スプレンドール」ではなく、ただの「レイ」という男を真っ直ぐに見つめた。
役者としての華々しい才能ではなく、レイの奥底に眠る「本当の望み」を、恐ろしいほどの的確さで汲み取ってみせたのだ。
差し伸べられたその温かい手を、レイは必死で掴み取った。
生まれて初めて、己のすべてをさらけ出せる真の友に出会えた──そう歓喜した。
しかし、現実はどこまでも残酷であった。
グランツと己との間にある絶望的な力量の差を、誰よりも痛感していたのはレイ自身であった。
グランツの手厚い後押しがなければ、己が公王の地位に就くことなどあり得なかったのだ。
そして何より──グランツが「最も必要とする存在」としての特等席には、常にリデルが鎮座していた。
その厳然たる事実が、レイの心を激しく苛んだ。
だからこそ、グランツから本領東部地域の統治を任された時、レイは命を賭して奮起したのだ。
己の力のみでこの難事業を成し遂げる。
リデルを超えてみせる。
グランツの傍らに立つにふさわしい、対等な人間であることを証明してみせる──。
その執念めいた思いが、レイを突き動かした。
皮肉なことに、その偉業は「リデルを模倣する」という形で結実した。
長きにわたる交友の中で、レイはリデルの冷徹な性格も統治のノウハウも、誰よりも深く知りに抜いていた。『演者』のスキルが、その深甚なる理解を圧倒的な実行力へと変えた。
旧弊を容赦なく排し、税制を抜本的に見直した。能力ある者を身分問わず取り立て、無能な者は冷徹に切り捨てた。
外部から来た異邦人でありながら、見事に本領東部の民心を掌握し、難題とされた占領地統治を完遂してみせた。そして今回の戦役においては、三軍の中で最大の兵力を動員することに成功したのだ。
そして今回、ゴートンの強硬な進言を採用したのも、決してリデルを嫌っていたからではなかった。
ただ、そうであってほしかったのだ。
グランツの危機を、自らの果断な決断と行動によって救い出す。
そうして初めて、グランツと「対等な友」として肩を並べることができるのだと──。
そのために、レイは動いた。
それはあまりにも純粋な願望であり、同時に、あまりにも歪んだ執着でもあった。
そして今──その純粋で歪んだレイの願望が、ギリアスという熟練した戦の天才の策謀によって、最悪の報いを受けようとしていた。
叩きつける豪雨の中、東方兵の漆黒の大軍が動く。
レイはその破滅の光景を前に、馬上で茫然と座していた。己の愚かさをすべて悟り、死を静かに待つ罪人のように──。
───
大地が、地鳴りのような重低音とともに激しく揺れ動いた。
耳を裂くような不気味な蛮声。
まるで地獄の底から這い上がってきた亡者の群れのごとく、東方兵の大軍がレイの軍勢目掛けて猛然と押し寄せてくる。
猛烈な豪雨を切り裂き、黒い波浪が刻一刻と迫る。
レイが茫然自失となる中、傍らのゴートンが即座に動いた。
「──銃兵隊、前へ出よッ!!」
鼓膜を打つ鋭い号令。
ハッと正気に戻った諸将がすぐさま命令を下達し、兵たちが慌ただしく横列の陣形を形成し始める。
東部本領の兵における火器の装備率は決して高くはなかったが、それでも集められた銃は五千丁を超えていた。押し寄せる敵の突進を喰い止めるには、決して少なくない火力である。
しかし──東方兵の先頭を走る百戦錬磨の指揮官たちは、その動向を瞬時に察知していた。
陣内で素早く合図が送られ、鋭いラッパの音が響き渡る。
一見すると無造作に突き進んでいるかに見えた東方兵の群れが、一瞬にしてその形を変貌させた。
密集して整然と隊列を組み直し、複数の縦列陣形が瞬く間に形成されていく。
縦列の先頭をひた走る弓兵たちが、矢を矢継ぎ早に乱射し始めた。
それは単なる弓兵の射撃ではなかった。
全員が何らかの弓術系戦闘スキルを保持する熟練の戦士たちであり、その強弓が描く射程、精度、そして連射速度は、一般的な銃兵が発揮する性能を遥かに凌駕していた。
「打てッ! 撃ち倒せッ!!」
レイ軍の銃兵隊も、敵が射程内に侵入した瞬間に一斉射撃を開始した。
かつて最強と謳われたリガニア騎士団すらなぎ倒した過酷な一撃──直撃すれば、いかに重装甲や戦闘スキルを持つ者とて重傷は免れない。
──しかし、その効果は極めて薄かった。
純粋な銃の数では、確かにレイ軍が勝っていた。だが、叩きつける大雨によって不発が相次ぎ、兵の練度不足も相まって火力が大幅に削がれてしまう。
そして何より、最大火力を発揮するために薄く広く展開した「横列」では、細く固まって突進してくる「縦列」に対して、与える火力密度があまりにも低すぎたのだ。
こと正面からの撃ち合いにおいて、威力を一点に集中させる縦列の方が圧倒的に有利であった。
さらに、兵らの練度と突進の勢いにおいても、辺境伯軍が遥かに勝っていた。
巨大な鉄槌が薄紙を突き破るがごとき凄まじさで、レイ軍の銃兵横列は各地で容易く突破されていった。
戦線は一瞬で崩壊した。
辺境伯軍の破竹の縦列は、その奥深くに控えるレイの本隊目掛けて猛然と肉薄してくる。
「一番首は、この俺様が貰うぜぇッ!!」
軍勢の最先頭を突き進む男が、尖った犬歯を剥き出しにしながら歓喜の咆哮をあげた。
ギリアスの側近にして実子──クロードであった。
迫りくる脅威に死を覚悟したゴートンは、主君レイを逃がすための決死の反撃を命じようとした。
まさに、その瞬間であった。
「──総員!! 突っ込めぇぇッ!!」
豪雨と雷鳴を力強く貫く声が響き渡った。
リデルであった。
手勢を率い、隊列の側面から弾かれたように飛び出していた。
その隣には剣を握りしめたミナがおり、不敵な面持ちのジャックがいた。そしてその後方から、精強なるヴェーデル騎士団が怒涛の勢いで続いていく。
突進する敵縦列の無防備な側面を目掛け、リデルたちは一直線に突撃を敢行した。




