↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/110

85話

十年前──。

東方諸州の片隅に、二人の男がいた。

兄、ギリアス。弟、リシウス。

血を分けた兄弟であったが、二人が作り上げた勢力は、単なる血縁の絆を遥かに超えた強固な結束を誇っていた。

独自の部隊を率いて敵対的な氏族を次々と容赦なく打ち滅ぼし、その苛烈さと武名は東方全域へと轟いていく。

──『ジャライカ戦士団』。

二人の姓から冠されたその戦士団の名を知らぬ者は、東方諸州には一人として存在しなかった。

若き日のジャックがその軍門に下ったのは、二人の圧倒的な強さとカリスマに惹かれたからであった。

一兵卒としての泥臭い出発であったが、凄惨な戦場を重ねる中で、彼の中に眠っていた才覚が一気に開花する。

並外れた戦闘の資質、過酷な局面での速やかな判断力、そして何より死線を前にしても決して動じぬ強靭な精神力。

ギリアスとリシウスはジャックを一人前の戦士として一目置き、ジャックもまた二人を深く敬愛した。

ギリアスを「親父」、リシウスを「兄貴」と呼び、実の家族のように慕っていた。

ある日、ジャックはギリアスの天幕へと呼び出された。

 

「……なんですか親っさん。改まって大事な話って?」

 

いつもの軽薄な調子であったが、ギリアスの様子は異なっていた。

細巻きの煙草をふかしたまま、珍しく重々しい表情を浮かべていた。

 

「……まあ座れ」

 

「どうしたんですか、柄にもなく真面目な顔をして。また女絡みの揉め事ですか?」

 

「ふっ、そうならお前なんぞ呼ぶものか」

 

ギリアスは自嘲気味に笑った。

 

「実はな……近く婚約することになった」

 

「ほら、やっぱり女絡みじゃないですか!」

 

ジャックは身を乗り出した。

 

「で、お相手は誰なんです? リシカの姉さんか、それともジェルンの姐さんですか?」

 

「違う」

 

ギリアスは静かに首を振った。

 

「……サルディアお嬢様だ」

 

「誰です、そりゃ?」

 

「現ティーガル辺境伯様の御令嬢さ」

 

ジャックは一瞬絶句し、思わず立ち上がりかけた。

 

「じ、冗談はよしてくださいよ親っさん! 俺たちみたいな野盗同然の連中の頭に、そんな上等な話が舞い込むわけがないでしょうが!」

 

「それが、本当なんだよ」

 

ギリアスは細巻きの灰を落とした。

 

「実のところ俺たち兄弟は、一応ティーガル家の末端の陪臣格にあたる。氏族との抗争も、主家の意向に添う形で進めてきたんだ。組織が大きくなりすぎたんで、ここらで身内に取り込んで、完全に抱え込みたいんだろうよ」

 

それを聞いたジャックの瞳が、歓喜で輝いた。

 

「すげぇ……! じゃあ親っさんは将来、辺境伯になれるかもしれないってことですか!」

 

「ティーガル家に入ると言っても、所詮は末端の末端だ」

 

「いいや、なれますね!」

 

ジャックは力強く断言した。

 

「親っさんほどの傑物が、温室育ちの貴族どもに後れを取るはずがねぇ! いずれはティーガル家を……いや、それを足がかりに帝位だって夢じゃねぇ!」

 

「……ありがとな」

 

ギリアスは低く呟いた。

 

「そこまで清々しく買いかぶってもらえると、俺も嬉しいぜ」

 

一拍の間。

 

「だがな……全員がお前のように素直に喜んでくれるわけじゃない」

 

「……え?」

 

「その反発の筆頭が……リシウスだ」

 

「こんな千載一遇の好機なのに、一体どうして……!?」

 

「気に食わないのさ」

 

ギリアスは横のグラスを手にとった。

 

「これまでどれほど多くの仲間の血を流し、戦士団をここまでの規模に叩き上げたと思っているんだ。今更になって辺境伯の犬になりにいくのか、とな」

 

グラスの酒を一気に煽る。

 

「それも一理ある。俺たちは看板など借りず、己の腕っぷしひとつで居場所を勝ち取り、守ってきた。誇りが生まれるのも当然だ。だがな……俺がティーガル家の幹部に収まれば、これ以上無駄な血を流さずとも、居場所を守ることができるし、大きくすることもできる。リシウスは戦士団を割るつもりだが、俺はこの話を受ける気だ」

 

ジャックはギリアスの眼光を見つめた。

そこに迷いは一切なかった。自分の果たすべき役割を、ジャックは瞬時に悟った。

 

「……分かりましたよ、親父」

 

声のトーンが変わる。

 

「俺がやります。半殺しにされる覚悟で、命がけでリシウスの兄貴を説得し──」

 

「──殺せ」

 

ギリアスがその言葉を遮った。

静かだが、一切の揺らぎのない声であった。

 

「……え?」

 

「言葉や情なんかで信念を曲げる男ではないことくらい、お前も分かっているはずだ」

 

ギリアスはジャックの目を直視した。

 

「だから……殺すしかないんだよ」

 

一拍の間。

 

「奴が唯一心を許している……俺とお前の手でな」


───

 

「──とまあ、そんなわけでジャックの奴に実の弟を仕留めさせたわけですよ」

 

ギリアスは杯を傾け、どこまでも淡々と言い放った。

 

「当然、それ相応の報酬とポストを用意してやった。だが奴はそれをすべて固辞し、戦士団を去っていった」

 

ギリアスはリデルを凝視した。

 

「奴が口を割っていない以上、この不都合な真実を知るのはジャックと──」

 

一拍の間。

 

「──リデルさん、貴方だけだ」

 

周囲の喧騒が嘘のように遠のき、二人の間だけに冷徹な静寂が横たわる。

リデルは一切の動揺を見せなかった。

 

「……なぜ、そのような事実を私にお話しに?」

 

「嘘を取り繕ったところで、貴方には容易に見抜かれるでしょうからね」

 

ギリアスはあっけらかんと言い切った。

 

「それに……筋が通り、理にかなっているならば、それくらいの悪行は平然と許容されるタイプでしょう? 貴方は」

 

リデルはその言葉を聞き、内心で静かな戦慄を覚えた。

話の凄惨さに対してではない。

会ってわずか数時間足らずの初対面であるにもかかわらず、この男が驚くほど正確に自分の本質を洞察しているという事実に、だ。

 

(……この男、やはり只者ではない)

 

リデルは表情ひとつ変えずに返した。

 

「……手段の良し悪しは別として、当時の状況については理解いたしました。しかし……それほどまでに有能であった弟君を切り捨てたこと、後々に後悔されたのでは?」

 

「まったく。その通りだ」

 

ギリアスはどこか遠くを見つめる目をした。

 

「後を継いだ義兄相手に下手を打って一時監禁されるわ、帝都から落ち延びてきた第二皇子を擁立したのはいいが、マルシア相手に三年間も不毛な消耗戦を強いられるわでね」

 

ため息をひとつ吐く。

 

「もし……俺の隣にリシウスがいてくれたなら、そんな無様なヘマはしなかった。この十年間で帝都を……いや、帝国全土を掌握できていたかもしれん」

 

在りし日の幻影を慈しむような目であったが、その瞳にすぐさま強い光が戻った。

 

「だが……その回り道も決して無駄ではなかったと、今日ようやく分かったよ」

 

「……と、おっしゃいますと?」

 

「今日、貴方という男に出会えたからだ……リデルさん」

 

ギリアスは杯を置くと、直視してきた。

先ほどまでの遠い目ではなく、現実を鋭く見据える覇者の眼光。

 

「……なあ、どうだろう?」

 

ギリアスの口元に、無邪気なまでの笑みが浮かんだ。

 

「──俺のところへ、来てみる気はないかい?」

 

その笑みは少年のように無垢に見えたが、その奥底には、決して拒絶を許さぬ本気の欲望が渦巻いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。