81話
ラムズの陣営を離れてから、二週間が経過していた。
帝国本領の東の境界が近づくにつれ、街道の景色は刻一刻と変化を遂げていった。
整えられていた石畳の道は次第に素朴な土の道へと変わり、立ち並ぶ建物の様式も、行き交う人々の装いや飛び交う言語さえも一変していた。
──東方諸州の領域へと、確実に近づいていた。
帝国本領と東方諸州を分かつ境目、カーブル郡の国境検問所が視界に入ってきた、まさにその時であった。
「……リデル様」
リーフィアが馬を寄せ、低く警戒を孕んだ声をかけた。
リデルの視線は、すでに前方の異変を捉えていた。
検問の手前に、一団の騎兵が待ち構えていたのだ。その数、およそ三十騎。
「大丈夫だ」
リデルは静かにリーフィアへ告げた。
「……向こうに、直ちに攻撃してくるような敵意はない」
近づくにつれ、一団の装備が鮮明に見えてきた。
帝国の騎士団が身に纏うような洗練された甲冑ではなく、東方風の鎖帷子を着用している。地元の技術で丹念に打ち鍛えられたことが窺える、手慣れた装いであった。
しかし何より、その「目」が違っていた。
馬上に座す全員が、リデルたち一行へと視線を向けている。冷たく品定めするような、あるいは獲物を前にした野生動物を思わせる鋭い眼光であった。
それでも、直ちに剣へ手をかけるような者はいなかった。
リデルは臆することなく、堂々と馬を進めた。
「──私の名はリデル・バートンと申します」
通る声で、はっきりと名乗りを上げた。
「グランツ・ローズヴェル公王、ならびに我が主レイ・ヴェーデル公王の命を受け、ティーガル辺境伯に面会すべく参上いたしました」
一団をぐるりと見渡す。
「……貴公らの所属、ならびにその目的をお聞かせ願いたい」
沈黙が落ちた。
三十騎の誰も動かず、静かな圧力をかけてくる。
その時──一騎の馬が、ゆっくりと前に進み出てきた。
大柄な男であった。広い肩幅、太い首、そして顔に刻まれた一筋の傷跡。どこからどう見ても、長年戦場を生き抜いてきた武人であった。その魁偉な外見は、言葉よりも雄弁に過酷な戦歴を物語っていた。
しかし、その男が口を開いた瞬間、リデルはかすかな意外感を覚えた。
「……挨拶が遅れました無礼、お許しください」
その言葉は流暢であり、帝国の標準語として何ら申し分のない、淀みのないものであった。
「我が名は、フレイド・グレイヴ」
男は馬上から恭しく頭を下げた。
「ティーガル辺境伯の忠実なる藩屏にして、『ジャライカ戦士団』の長を務めております」
一拍の間。
「本日は、我が主ギリアス様の命を受け、リデル様のお出迎えに参上いたしました。この先の道中は危険も多くございますゆえ、我らが護衛を務めさせていただきます」
リデルはフレイドの顔を見つめた。
あの猛獣のごとき獰猛な目とは対照的な、礼節ある言葉遣い。
(……なるほど)
領内で勝手な動きをさせないための「監視役」というわけだ。直ちの敵意はないし、何より「護衛」という筋が通っている。こちらとしても、これを断る正当な理由は存在しなかった。
「……ご丁寧に」
リデルもまた、馬上から頭を下げた。
「お迎えいただき、感謝いたします。フレイド殿、よろしくお願いいたします」
「……素直にご応じいただき、ありがとうございます」
フレイドは馬首を返した。
「さあ、こちらへ──」
そう言いかけた瞬間、フレイドの視線がかすかに動いた。
リデルたち一行の最後尾──そこに控える人物へと向けられたのだ。
ほんの一瞬、その目が鋭く細められた。
ごく僅かな変化であったが、リデルは見逃さなかった。
「何か?」
リデルはあえて探るように問いかけた。
「顔見知りでもおられましたか?」
「いいえ」
フレイドは迫力のある凄みを含んだ笑顔を作ってみせた。
「お気になさらないでください。……ただ、羽虫が目に入っただけです」
それだけだった。
リデルもまた、それ以上は深く追及しなかった。
一行は東へ向けて、再び歩みを進め始めた。
フレイドの部隊は、自然な陣形を取りながらリデルたちの周囲を囲んでいた。
名目は「護衛」であったが──その実態が「包囲」であることは明らかであった。前後左右、あらゆる方向を東方の騎士たちが固めている。逃げ出そうとすれば、即座に阻まれる配置であった。
だが、リデルはそれを一切気に留めなかった。
フレイドの馬と並んで進みながら、穏やかに会話を続けていく。
一見すると、互いの友誼を深める旅の道のりのようでもあった。
「驚きましたよ」
リデルが静かに切り出した。
「今回の特使派遣は、我が方から事前通告を出しておりません。それにもかかわらず……我々が通る道も、到着の正確な日時もぴったりと把握し、お迎えに来てくださった」
フレイドを横目で見やる。
「……よほど優秀な『目』と『耳』をお持ちのようで」
「もてなしと戦は……本質的に同じでございます」
フレイドは前方を見つめたまま、淡々と答えた。
「どちらも相手に先んじることが肝要。違う点といえば、前者は相手を喜ばせるためであり、後者は相手の嫌がることを徹底する……それだけの違いに過ぎません」
一拍の間。
「そして……我が主はその両者において、天才的であらせられます」
誇りが、その言葉の端々に滲み出ていた。
リデルはその答えを聞きながら、内心で状況を整理した。
(なるほどな……)
これはギリアスなりの「先制攻撃」だ。
こちらが事前通告なしで動いていたにもかかわらず、すべてを把握して迎えに来てみせた。それをあえて隠さず見せることで、情報力を誇示するための計算された出迎えだったのだ。さらに「護衛」という名目の包囲で、こちらの行動を制限している。
すべて、最初から計算されていたことなのだ。
直接顔を合わせる前から、すでに一手先を取られていた。
(……面白い)
リデルは不敵に前を見据えた。
それから一週間が過ぎた。
どこまでも続く土の道を進み、山を越え、川を渡った。景色が変わるたびに、東方諸州の広大さと、その土地が持つ雄大な空気を感じ取った。
そしてある朝、地平線の向こうに街の輪郭が見えてきた。
「あれが、エルドラでございます」
フレイドが前方を指して言った。
リデルはその街の姿を見つめた。
かつて「東のミッテル」と呼ばれた都市が、そこにあった。
整然とした建物の様式は所々に残されていたが、その間に東方風の建物が混ざり合い、街の雰囲気は帝国本領のどことも異なっていた。
活気に満ち溢れ、遠目からでも伝わってくるほど人々の密度と熱気が渦巻いている。
リデルの視線は、街の中心にある大きな建物へと向けられた。
あそこに、ギリアス・ティーガルがいる。




