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8話

あの一件から、三ヶ月が過ぎた。

季節は移り、バートン領は麦の収穫期を迎えていた。

執務室の窓から見える光景は、三ヶ月前とは比べものにならないほど活気を帯びていた。荷馬車が列をなし、計量所には村々から運ばれた麦俵が積み上げられている。リデルはその光景を横目に、絶え間なく届く帳簿と報告書に目を通していた。

 

「リデル様、こちらが東部三郡の徴税記録です」

 

「ご苦労、そこに置いてくれ」

 

すでに、誰もリデルを若殿扱いせず、正当な上司として接していた。あの事件は、表向き「ラムズ家臣の不正発覚」という名目で処理されたが、市井には「バートン家のリデル様が悪徳役人を成敗した」という噂だけが広まっていた。

その後、ジョルジュは正式にリデルを臨時の当主代行に任命した。当初は「当主としての保身」と「息子の才覚への信頼」が半々という複雑な決定だったが、結果としてそれは正しい判断となった。リデルは当主代行の権限に加え、徴税業務全般の統括権を得た結果、あらゆる収賄や脱税を許さず、過去最高の税収を上げることに成功していた。

その裏では少なからず血も流れたが、元が不正な搾取であったため、健全な納税者たちはこれを賛美しこそすれ、反発する者は誰一人としていなかった。

十二歳の少年に領地全体の税務を任せる――異例の決定だったが、誰も表立って異を唱えなかった。三ヶ月前の「事件」の重みが、何よりの理由だった。

 

「リデル様」

 

部屋に入ってきたのは、新たに任命された秘書官のコールだった。元はリデル自身が膨大な帳簿の中から見出した若手の文官である。能力はあったが、これまで一切の派閥に属さなかったため、その分、出世の機会に恵まれてこなかった男だった。

 

「ホーエンス事件以降に解任した、旧担当官十二名の調査結果がすべて出ました」

 

「読み上げてくれ」

 

「はい。まず、十二名のうち十一名について、過去十年間における徴税記録の不正が確認されました。帳簿の改竄、未報告の徴税、二重帳簿の作成――手口はホーエンスとほぼ同様のものです」

 

予想通りだった。十二名のうち十一名。残りの一名についても、おそらく証拠が見つかっていないだけだろう。

 

「処分は」

 

「不正額の返還、ならびに財産の一部没収。これにより、不足分の財源は概ね回収できる見込みです。本人らは追放、もしくは強制労働への従事という形に……」

 

「分かった」

 

リデルは報告書を一通り目で追った。

数字としては十分な成果だった。十年間流出していた財源の大半が、これで取り戻せる。直轄領の灌漑、道路整備、農具の支給。そして外患(・・)への対策費用。すでに動き出している計画の原資は、これで確保できた。

だが、リデルが本当に欲しかった情報は、この報告書には記されていなかった。

 

「で――ラムズへの繋がりは」

 

コールは、わずかに目を伏せた。

 

「……何も出ませんでした」

 

「何も、か」

 

「十一名のうち八名は、過去にラムズ様の推薦を受けて任命された者たちです。しかし、その任命の経緯を調べても、正式な推薦状や口頭での記録以外には何も見つかりません。不正の指示について、ラムズ様の名前が出てくることは一度もありませんでした」

 

「自供は」

 

「全員、口を閉ざしています。減刑を餌に取引を持ちかけても、です」

 

リデルは報告書を、静かに机に置いた。

十一人の罪人。十年間、構造的に積み重ねられた不正。それだけの規模の不正が、誰の指示も受けずに「自然発生」したと考えるのは不可能だ。だが、十一人の誰一人として、その「上」の存在を口にしようとはしない。

 

(口を割れば、家族がどうなるか――それを知っているということか)

 

すでに処分が決まった後でも口を閉ざす理由。それは、目先の罰よりも重い「何か」が、彼らの背後に存在していることを示していた。


だが、リデルはとりあえずそれでも良かった。目下、最大の政敵(ラムズ)を排除する絶好の機会ではあるが、厄介や事にバートン伯爵家の支柱も兼ねている。安易に取り払ってしまうと、伯爵家の土台ごと崩れ去ってしまうからだ。

今は負い目を感じて、大人しくしてくれれば十分。その間に、新しい足場固めを進め、いざ(・・)という時に備える。リデルの頭ではそのような算段が組み立てられていた。

 

「リデル様、もう一件、ご報告が」

 

コールが別の書類を取り出した。

 

「市内のゴールリー商会から、先日リデル様がご依頼になっていた品――『フリンテ』の仕入れが完了したとの連絡が届いております。番頭が、直接お見せしたいとのことです」

 

リデルはわずかに視線を上げた。

 

「フリンテ、か」

 

リデルの声は静かだったが、その目は明らかに輝いていた。

ここ三ヶ月、頭の中はずっと内側の問題――徴税担当官の罷免、新体制の構築、そしてラムズの影。そればかりに割かれていた。だが、領主としての仕事はそれだけではない。外の世界も、止まってはくれないのだ。

 

(内憂ばかりに気を取られていては、外患に足元を掬われる)

 

優先順位を切り替える時だった。

 

「分かった」

 

リデルは報告書を脇に置き、立ち上がった。

 

「コール、東部三郡の徴税記録は後で目を通す。先に商会へ向かう」

 

「はい。馬車の手配を……」

 

「いや、近場だ。歩いて行く。リーフィア」

 

部屋の隅で控えていたリーフィアが、すぐに姿勢を正した。

 

「準備します」

 

コールは少し戸惑った様子で、リデルを見上げた。

 

「リデル様……あの、『フリンテ』とは、一体……。商会の番頭も何やら緊張した様子で、内密に、と言っておりましたが」

 

「いずれ分かる」

 

リデルは外套を手に取りながら、短く答えた。

十二歳の少年の顔に、これまでの執務中とは違う、ある種の昂りが微かに浮かんでいた。それは、領地経営の駒を一つ動かすたびに見せる、冷徹な計算の表情ではなかった。

むしろ――もっと個人的な、何かへの期待のようなものだった。

 

「行こうか、リーフィア」

 

「はい」

 

二人は執務室を出た。

コールはその背中を見送りながら、机に残された書類――東部三郡の徴税記録の山と、ラムズ家臣団の調査資料をちらりと見た。

これほどの問題を抱えながら、あの恐ろしい才覚と仕事の情熱を持つ少年をあれほど夢中にさせる「フリンテ」とは、一体何なのだろうか。

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