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74話

「この余に、戦を収めてほしいだと……?」

 

ローデンスが不審そうに言葉を繰り返した。

そのギラついた視線が、眼下のリデルを品定めるように射抜く。

 

「それならばまず、そちらが先に道義を通すのが筋というものであろう」

 

「……霊峰インテグロモンテへの襲撃について、でございますか?」


「いかにも」

 

ローデンスは尊大に両腕を組んだ。

 

「貴公らは女神教の神聖なる聖地を焼き払ったのだぞ。そのような大逆の神敵と、大義もなく和議を結べるなどと思っているのか!」

 

「……『大義』という意味でありましたら、我らにもございます」

 

リデルは膝をついたまま、静かに、しかし力強く答えた。

 

「なに?」

 

「我らの今回の霊峰制圧は、純粋な軍事上の目的に加え……私どもなりの、聖母派内部に蔓延る腐敗を正すために断行したものでございます」

 

「腐敗を正す……だと?」

 

ローデンスの眉がぴくりと動いた。

 

「時に、殿下」

 

リデルは言葉を切らずに続けた。

 

「この霊峰の陰で、実に外道な『裏取引』が繰り広げられていた事実を、殿下はご存じでしたでしょうか?」

 

「何だと……? それは一体どういうことだ」

 

「悪質な高利貸しに人身売買、さらには禁薬の密売──」

 

リデルは一言一言の重みを確かめるように、丁寧に言葉を置いていく。

 

「利益の出そうな裏稼業ならば、手当たり次第に手を染めていたようです。それこそが、神聖を装っていた霊峰の真の実態にございました」

 

「不敬な! 世迷言を!」

 

ローデンスが語気を強めて一閃した。

 

「清廉潔白なる女神教の司祭らが、そのような非道に手を染めるはずがなかろう! 根拠のない出鱈目な誹謗中傷だ!」

 

「ですが、今回霊峰を制圧したことで、その動かぬ証拠が山のように見つかりました」

 

リデルは一切動じなかった。

 

「それに何より……今回の作戦は、それら悪行の犠牲となった者たちの切なる懇願と協力によって実行されたものにございます」

 

ローデンスが固く口を閉ざした。

反論しようと口を開かけながらも、返す言葉が出てこないようだった。

リデルはその沈黙を見逃さなかった。

──ここだ。

 

「我々はこの聖母派内部で行われていた凄惨な悪行と、その決定的な証拠を間もなく全土へ公表いたします」

 

リデルの声に、揺るぎない確信を滲ませた。

 

「世の民草も、どちらに真の大義があったかを正しく理解してくれるものと信じております」

 

と言い切ってみせた。

 

(……反吐が出るな)

 

心の中で、リデルは毒づいていた。

安っぽい正義論だ。演技をしながら、自分自身でそれを痛烈に自覚していた。

聖母派の悪行を公表すること自体は、確かに当初から計画していた。しかしそれは味方への説明のためであり、今回の霊峰焼き討ちを正当化するための布石に過ぎない。聖母派の連中を改心させようなどとは、一片たりとも思ってはいなかった。

人は見たいものしか信じない。そういう者たちを懇切丁寧に言葉で教育したところで意味などないのだ。屈服させるには、圧倒的な力と勝利によって容赦ない現実を突きつけるほかない。それこそが後腐れがなく、結果としてより良い未来に繋がる──前世における凄惨な経験が、そう教えていた。

しかし、今目の前にいるのはそのような無知を恥じず、異端に不寛容な愚か者ではない。

ローデンス・ベルドルナ。

曲がりなりにも帝国最高の教育を受けた、皇族の男だ。

良く言えば柔軟、悪く言えば日和見の風見鶏。

己の名誉と体面を何より重んじながらも、状況の推移に応じて素早く軸足を動かす賢しさを知っている。事前の情報から、リデルはそう弾き出していた。

そして今、その瞳が微かに動揺に揺れていた。

微かに、だが確実に揺れている。

「大義」の話を持ち出した時から揺れ始め、「悪行の証拠」と言い放った時、その揺らぎはさらに大きくなった。

リデルの老獪な観察眼が、その確実な変化を完璧に捉えていた。

見逃すはずがなかった。

 

「聖母派における腐敗の象徴を打ち砕いた今、我々としてもこれ以上の無益な戦火の拡大など望んではおりません」

 

リデルは畳みかけるように言葉を重ねた。

 

「そもそも、我らと聖母派が争う理由などどこにもないのです。むしろ帝国内の騒乱を終わらせるためにも、手を取り合うべきです」

 

「……だが」

 

ローデンスは眉をひそめ、渋い顔を作った。

 

「すでに聖母派の内部では、貴公らを『神敵』と見なし討滅すべしとの声が激しく渦巻いている。来春に向け、大規模な兵の動員が進んでいるとも……」

 

と言いかけて、ローデンスは言葉を濁した。

確かな手応えであった。

難色を示しながらも、完全には否定しなかった。それが全てを物語っていた。

 

「……それについては重々承知しております」

 

リデルは声に悲痛な感情を込めた。

 

「ですが、それも一部の狂信的な強硬派のものに過ぎません。確かに聖母派は強大ですが、我らの武力とて決して引けを取りません。この両軍が真正面から激突すれば、戦況は際限のない泥沼へと陥るでしょう」

 

一拍の静寂を置いた。

 

「……そして、その犠牲となって最も塗炭の苦しみを味わうのは、この大地に生きる無力な民草なのです」

 

ローデンスは黙り込んだ。

その瞳が、暗い葛藤に揺れ続けている。

 

「……では」

 

やがて、ローデンスがぽつりと呟いた。

 

「余は……一体どうすればよいというのだ?」

 

(──乗った)

 

リデルは心の中で冷ややかにほくそ笑んだ。だが、表面上は一筋の表情も崩さない。


「互いの不信と誤解を解くには対話が必要であり、その対話を進めるには相応の『時間』が必要となります」

 

リデルは静かに、しかしきっぱりと告げた。

 

「まずは一年の間、我々と聖母派との間で暫定的な『停戦協定』を結ぶのです。具体的には、両軍が互いに接するここインテグロモンテ、ならびにリガニア大公領での一切の軍事行動を禁じるのです」

 

「一年間の……停戦だと?」

 

「さようです。その間、殿下には聖母派内の穏健派勢力を糾合していただき、私めはグランツ様の陣営にて同様の協力体制を構築いたします。両軍が完全な共闘関係を結べるよう、揺るぎない土台を作るための準備期間とするのです」

 

リデルは最後の一言を、極めて丁寧に置いた。

 

「それが果たされ、我らの共闘体制が完成した暁には……ローデンス殿下もまた、その絶大な功績と栄誉に見合った、真に相応しき地位を得られることになるでしょう」

 

天幕の中に、張り詰めた静寂が落ちた。

 

(さあ……どう出る?)

 

リデルは内心で問いかけた。

ローデンスのような男が好む言葉を、これでもかと並べ立てた。「大義」「功績」「栄誉」「地位」──彼の肥大化した虚栄心をくすぐる要素を、全て盛り込んで見せたのだ。

これが成れば、一兵も損なわずに敵の攻勢を一年間完封できる大金星だ。

しかし失敗すれば、今この瞬間に捕縛され、最悪は即座に首を刎ねられる。

 

(我ながら、後先を考えずに無茶な博打を打ったものだ)

 

自嘲の念が、一瞬だけ脳裏をよぎった。

だが同時に、失敗する気など微塵もしなかった。それは根拠のない過信などではない。ローデンスの見せる細かな反応を一つ一つ観察し、緻密に積み上げてきた確信でもあった。

ローデンスは、しばらくの間微動だにしなかった。

やがて──その手がゆっくりと腰の宝剣へと伸びた。

傍らに控える護衛たちが、息を呑んでわずかに身構える。

リデルは微動だにしなかった。

ジャキン、と硬質で鋭い金属音が響き、剣が抜かれた。

ローデンスは抜いた刃を、膝をつくリデルの首元へと静かに突きつけた。

まるで、古の騎士に叙勲を授けるかのような異様な光景であった。

 

「……その言葉に、一片の嘘偽りもないな?」

 

低く、抑えつけられた声であった。

 

「はっ」

 

リデルは深々と頭を垂れた。

 

「……女神アレクシエルに誓って」

 

(──自分の吐き散らす偽善と欺瞞に反吐が出るな)

 

誓いの言葉を口にしながら、内心で冷ややかに吐き捨てた。もちろん、そんな感情は声にすら出さない。

重苦しい沈黙が引き延ばされる。

ひんやりとした刃の冷気が、首筋の皮膚に直接伝わっていた。

天幕の布地を、冬の冷たい風が不気味に揺らす。

 

「……よかろう」

 

カシャリと音を立て、ローデンスが剣を鞘へと収めた。そして自らも片膝を地につけると、リデルの肩を力強く叩いた。

 

「我ら二人手を取り合い……この荒廃した帝国に平和を取り戻そうではないか!」

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