65話
兵士たちの捨て身の突撃が、戦場の流れを劇的に塗り替えた。
絶大な優位を誇っていたはずのリガニア騎士団の進撃が、ピタリと止まったのだ。
正確には──止まらざるを得なかったというべきであろう。
本来なら絶対的な「弱者」であるはずの兵士たちが、死の恐怖を克服し、逃げるどころか牙を剥いて向かってきたのだから。
それは騎士団にとって、全く想定外の異態であった。訓練された精鋭騎士は、弱者が恐怖に慄いて逃げ散ることを前提として動く。逃げ出す者の背を切り伏せ、乱れた陣形を容赦なく踏み潰す──それこそが騎士団の定石であった。
しかし、眼前に立つ者たちは誰一人として背を見せなかった。
激しい怒号を上げながら、傷を負い、血を撒き散らしながら、仲間が倒れようともただ一心に突き進んでくる。
その前代未聞の狂気と執念に、精鋭たる騎士団は激しく動揺し、混乱に陥った。
そして、その動揺という名の傷口を押し広げたのが、リーフィアであった。
狂乱の混戦の中で、彼女だけが別次元の速度と冷徹さで動いていた。
馬の扱いに手こずり足取りの乱れた者、乱戦の中で孤立した者──そうした未熟な騎士の隙を瞬時に見抜き、すれ違いざまに首元へと鋭刃を撃ち込んで頸動脈を絶ち切っていく。
一人、また一人と騎兵が馬から崩れ落ちていく。それだけで、騎士団の動揺は決定的なものへと深まっていった。
リーフィアはリデルの身辺を離れていた。
だが、それは護衛を投げ出したわけではない。これこそがリデルの期待する己の役割だと正しく捉え、主君のために動いた結果であった。
他の兵士たちもまた、それぞれが生き残るための集団戦術を見出し始めていた。
一人対一では絶対に勝てない騎士に対し、三人、四人の集団で群がる。一人が正面から捨身で剣を受け止め、その隙に別の者が側面から執拗に牽制する。さらにそこへ、もう一人が至近距離からフリンテを叩き込む──。
強力なスキルが騎士の身体を死守する。しかし、零距離から放たれる鉛の弾丸はスキルの防御被膜を着実に削り取っていった。同時に複数人から仕掛けられる飽和攻撃は、スキルの処理能力の限界を容易く超えさせる。
どさりと、一人の騎士が落馬した。
続いて、また一人の騎士が血の海へと倒れ伏す。
まるで亡者の群れが人間に群がるかのような、凄絶極まる泥沼の死闘であった。誇り高き騎士たちの精神は、内側からじわじわと磨り潰されていった。
リデル自身もまた、その狂乱の只中にいた。
自らが巻き起こした激しい混戦の中を、生き生きと動き回っていた。
全身の血が煮えるような高揚感。前世より彼を引きつけて止まない、戦場の殺戮の感覚がそこにあった。
しかし、その漆黒の眼光は驚くほど静かに澄み渡っていた。
荒れ狂う混戦の中に身を置きながらも、脳内では冷徹に戦況を処理し続けている。敵騎士の位置、味方の動向、今にも崩壊しそうな戦線の綻び──。
その時、リデルの背中にどんと強い衝撃が走った。
人だ。
素早く振り返る。そこにいたのは──キリルであった。
背中を預け合った二人は、瞬時に互いを認識した。
「貴様は、心底狂っているぞ!!」
キリルが怒号を上げた。リデルを激しく罵倒する声だ。しかし、その声の裏には、畏怖と高揚が入り混じっていた。
「昔から、よく言われたよ」
リデルは短く吐き捨て、己の狂気を否定しなかった。
直後、横の暗がりから別の騎士が馬を躍らせて迫った。
凶悪な剣風が二人を襲う。
リデルはそれを間一髪でいなすと、体勢を崩した騎士の身体がキリルの正面へ流れるよう、くるりと巧みに位置を入れ替えた。
キリルは瞬時にその意図を汲み取った。
素早く懐から短銃を引き抜くと、躊躇なく引き金を引く。
破裂音と共に至近距離から放たれた銃丸が、騎士の甲冑の薄い側面を打ち抜いた。騎士は絶叫を残して崩れ落ちる。
「いい腕だ。キリル」
「上から目線で褒めるな!」
キリルが苦々しく噛み着いた。
──その瞬間であった。
狂乱の戦場を切り裂くように、一騎の馬が猛然と突っ込んできた。
周囲の混乱など気にも留めず、全体の流れを完璧に読み切り、最短の経路を選んで一直線に突進してくる。
その鋭い眼光は、まっすぐにリデルをとらえていた。
ライル・リガニアであった。
彼は高みの見物を決め込んでいたが、この異常事態を前に自ら最前線へと打って出てきたのだ。
その表情に、もはや一切の迷いや気楽さはなかった。この異常な狂気の源流たる男を、己の手で直接絶ち切る──その強固な決意だけが渦巻いていた。
混戦をかき分けるように接近すると、馬上からライルは叫んだ。
「──お前だな!」
言葉とともに、巨大なハルバードが豪快に振りかざされる。
「お前が。リデル・バートンだな!!」
ライルは非戦闘スキルの所持者であり、純粋な膂力だけを見ればリデルと大差はないはずであった。
しかし、大空を切って振り下ろされたハルバードの猛威を受け止めた瞬間、リデルはそのあまりの重さに目を見張った。
先ほど拳で殴り殺した少年騎士の一撃よりも、遥かに重く、鋭い。そう感じさせるほどの一撃。
スキルの力による単純な底上げではない。血の滲むような鍛錬の積み重ねと、家柄を背負う覚悟の密度が、その一撃に恐ろしい重量を与えていたのだ。
リデルは折れた剣身で必死に受け止めたものの、凄まじい衝撃波が両腕の骨を激しく痺れさせた。
ライルはそのまま馬の勢いを殺さず、駆け抜けていく。
「──総員、我が声のもとに再集結せよ!!」
怒号をあげながら、ライルは混戦の中を突っ走った。
その威厳に満ちた声は、喧噪の渦巻く戦場全体に朗々と響き渡った。
混乱の極みにあった騎士たちが、指揮官の声に即座に反応した。すぐさま敵との距離を取り始め、散らばっていた騎兵たちがライルを頂点として瞬く間に集結していく。
これこそが、ライルがリスクを冒して乱戦に自ら飛び込んできた最大の理由であった。
最高指揮官が先陣に立たぬ限り、一度崩れた騎士の陣形は二度と元には戻らない。体勢を立て直し、十分な間合いを取り、再び加速をつけて激突する──それこそが、騎士団本来の真価を最大限発揮する戦い方だからだ。
急速に陣形の再構築が進んでいく。
リデルはその光景を、冷や汗を流しながら見つめていた。
(逃がすものか……!)
今こそが、最初にして最後の勝機であった。
熱狂と狂気に身を焦がしている現在の自軍兵士たちだからこそ、この一瞬に限って戦闘スキル持ちの騎士団と対等以上に渡り合えているのだ。しかし、時が経てばこの過熱した狂気は冷めてしまう。正気に戻った頃に二度目の再突撃を受ければ、全滅は免れない。
今、この瞬間に追撃し、さらに敵の戦力を削ぎ落とさねばならなかった。
リデルは数を減らした兵たちを素早くかき集めた。
「──突撃ぃっ!!」
再び、刃を前に向けて走り出す。
ライルはその光景を見て、もう驚きはしない。。
「狂人どもめが」
短く息を吐き出すと、集結した騎士たちに向かってハルバードを掲げた。
「ここで完全に引導を渡してやる……! 我に続けぇ!!」
騎兵の再突撃が始まろうとしていた。
双方の集団が、猛烈な速度で互いを目指して押し寄せる。
衝突まで──あと十数秒。
──その時であった。
交差点を覆う暗がりの中、草むらが怪しく揺らめいた。
街道を囲む草むらの至る場所から、同時に発砲音と鮮烈な火花が散ったのだ。
重なり合う銃声。
暗闇からの、完璧な『十字射撃』であった。
突撃の加速をつけていた騎士団の左右両翼から、容赦ないフリンテの鉛弾が降り注いだ。
騎士が激しく弾け飛ぶ。
馬が脚を折られて絶叫とともに転倒する。
完成しかけていた勇壮な突撃陣形が、横合いからの予想外の集中砲火によって、再び凄惨に打ち砕かれた。




