6話
バートン邸へ戻ったリデルとリーフィアは、その足で父ジョルジュの寝室へと向かった。
微かに立ち込める薬草の匂い。天蓋付きのベッドには、以前よりもさらに痩せ細ったジョルジュが横たわり、その傍らで母シャルロットが甲斐甲斐しく看病を続けていた。
リデルは直轄領の村で起きた一部始終を、淡々と報告した。
自分の名を騙った不当な徴税、高利の貸付による土地の強奪、実質的な土地の強奪。そして、現行犯で押さえた役人がラムズ家の税吏ホーエンスであったこと。
「な、なんだと……っ!?」
ジョルジュは激しく咳き込み、寝台から身を乗り出した。シャルロットが慌ててその背をさする。ジョルジュの顔は、病の青白さとは異なる、恐怖と困惑の色に染まっていた。
「ラムズ……ラムズが仕組んだことなのか!? あの忠臣が、私を、我が家を裏切っていたというのか!」
狼狽する父を、リデルは冷徹な目で見つめた。
取り乱すのは、この男が「ラムズを信じ切っていたから」ではない。信じることで、考えることを放棄していたツケが回ってきただけだ。
「父上、落ち着いてください」リデルは静かに声をかけた。
「決定的な証拠はありません。現段階でラムズの差し金だと決めつけるのは早計です」
「しかし、現にそのホーエンスという男はラムズの身内なのだろう!?」
「ええ。ですが、彼が『私腹を肥やすために勝手にバートン家の名を騙った』と言い張ればそれまでです。今ラムズを問い詰めても、トカゲの尻尾切りで終わるでしょう」
リデルは一歩近づき、ジョルジュの目を見据えた。
「問題は、ラムズが黒かどうかではありません。このような不正が、過去十年にわたり、組織の構造として見過ごされてきたという事実です。代官の人事、徴税の監査、直轄領の管理体制――そのすべてが機能していません。今すべきは、個人の糾弾ではなく、組織の仕組みそのものを根本から立て直すことです」
十二歳の子供が口にしているとは信じ難い、冷徹な統治の論理。
ジョルジュは息を呑み、実の息子に対して、まるで底の知れない怪物を見るかのような視線を向けた。シャルロットもまた、息子のあまりの変貌ぶりに言葉を失っている。
その張り詰めた静寂を破るように、激しい足音が廊下に響いた。
ノックもそこそこに、部屋の扉が勢いよく開く。
息を切らせて飛び込んできたのは、老家令だった。その顔は恐怖で青ざめ、額からは冷や汗が流れている。
「ジョ、ジョルジュ様! リデル様!」
家令は喉を詰まらせながら、部屋の中央で膝をついた。
「筆頭家老、ラムズ・ドーヴィル様が……! 数十名の武装した私兵を引き連れ、現在、屋敷の前で当主代行リデル様との緊急の面会を求めております!」
寝室の空気が、一瞬で凍りついた。
「数十名の私兵……」
ジョルジュの顔から、さらに血の気が引いた。寝台の縁を、骨ばった手が強く握りしめる。
「面会など……拒否しろ! いや、いっそ城門を閉じて……」
「父上」
リデルは、静かにジョルジュの言葉を制した。
「ここでラムズを拒めば、それこそ向こうの思惑通りです」
「思惑、だと……?」
「『面会を拒まれた』という事実を、ラムズはどのように使うでしょうか。私兵を引き連れて来た以上、向こうにも『話を聞いてもらえなかった』という言い分を作る余地が生まれます。それでは、今よりも過激な手段をとる名分を相手に与えてしまいます」
リデルは、寝台の傍らに歩み寄った。
「招き入れるべきです。ただし――」
わずかに、目を細める。
「私だけが、応対します」
「リデル、それは……」
シャルロットが、思わず声を上げた。母の手が、リデルの腕を掴む。
「だめよ、危険すぎるわ。さっきも、村で……」
「母上。先ほどは身分を隠していたゆえの事態です。ラムズとて、公の場での露骨な荒事は避けるでしょう。それに」
リデルは、母の手に、自分の手をそっと重ねた。
「父上が動揺した姿を、ラムズの前に晒すわけにはいきません。ラムズが主犯という確固たる証拠がない以上、父上には主君として公正な立場をとっていただくことが最良です」
ジョルジュは唇を噛んだ。十二歳の息子が語る理屈は、すべて正しい。だが、正しいということと、感情的に受け入れられることは、必ずしも同じではなかった。
「……分かった」
長い沈黙の後、ジョルジュは小さく頷いた。それしか、言えなかった。
リデルは、部屋の隅で控えていた家令へと視線を向けた。
「家令、ラムズを応接間に通しなさい」
「は、はっ!」
家令は深く頭を下げると、弾かれたように部屋を飛び出していった。リデルもまた衣服を整え、応接間へと向かった。
応接間に通されたラムズ・ドーヴィルは、いつもの彼ではなかった。
大きな体を深く折るようにして室内に入ってきた瞬間から、その表情には拭い難い悲愴さが滲んでいた。後ろには、二人の従者がそれぞれ大きな木箱を抱えて続いている。さらにもう一人――両手で小さな桶のようなものを抱えた従者がいた。
屋敷の前に展開していた数十名の私兵は、ラムズの指示によって、誰一人として中には入っていなかった。庭先に整列したまま、一切動く気配はない。
リデルは上座に座り、その光景を静かに見つめていた。父ジョルジュは現在、母シャルロットと同席のもと主治医の診断を受けており、遅れてやってくる――そういう設定にしていた。
ラムズはリデルの前まで進むと、ゆっくりと、その巨体を床に投げ出すように両膝をついた。
「リデル様」
その声には、明らかな震えがあった。
「先ほど、村にて行われた所業について、私の元にも知らせが届きました。勝手な不正に加え、リデル様を害しようとするなど……。すべては私の監督不行届にございます。家臣の中に、このような輩を抱えていたこと、心よりお詫び申し上げます」
ラムズは、深く頭を下げた。
リデルは何も言わず、その様子を観察していた。
(早いな)
村を出てから屋敷に戻るまで、それほど時間は経っていない。にもかかわらず、ラムズはすでに事の全容を把握し、こうして謝罪の準備を整えて、自ら出向いてきている。それも、私兵を引き連れたままで。
やはりこの男、油断ならない。
「ラムズ」
リデルは、努めて平静な声で言った。
「顔を上げてください。詳しいお話を」
ラムズが顔を上げると、傍らに置かれた小さな桶を、両手で持ち上げた。
「申し訳ありません、目を覆うようなものをお見せしますが、これは私のけじめにございます」
ラムズは、その桶をリデルの足元近くに置いた。
室内に控えていた老家令が、リデルに目で許可を求める。リデルが小さく頷くと、家令は震える手で桶の蓋を開けた。
次の瞬間、家令の顔が紙のように白くなった。
「ひっ……!」
息を呑む音と共に、家令が一歩、後ずさる。
桶の中には――ホーエンスの首が収められていた。
目を見開いたまま、表情を歪めて固まったその顔は、ついさっきまで馬上から村人たちを見下ろしていた男のものだった。
応接間に、重苦しい沈黙が落ちた。
ラムズが、静かに口を開いた。
「ホーエンスは私の名と、バートン家の名を二重に騙り、私腹を肥やしておりました。この十年、私の領地の管理を任せていたこともあり、信頼しすぎていた私の責任にございます。すでに私の指示で、あの者の処断は終わらせました」
ラムズは、後ろに控える従者に目で合図した。二人の従者がそれぞれの木箱をリデルの前まで運び、蓋を開けた。
一つ目の箱には、銀貨が隙間なく詰め込まれていた。
「これは、ホーエンスがこれまでバートン本領から不正に徴収していた額――銀貨二百枚にございます。すべて、お返しいたします」
二つ目の箱が開けられる。
中には、金貨が山のように詰まっていた。
「そしてこちらは、金貨百枚。今回の一件で、リデル様、ならびにバートン家、そして何より村の方々に大変なご迷惑をおかけしたことへの、迷惑料としてお納めいただきたく存じます」
ラムズは深く頭を垂れた。
「どうか――私の誠意の証として、お受け取りいただけませんでしょうか」
応接間に、再び静寂が落ちた。
リデルは、その二つの箱を見つめた。
銀貨二百枚。十年分の不正な徴税額としては、妥当な金額だろう。
しかし金貨百枚――これは、明らかに「過剰」な額だった。
(迷惑料という名目で、過剰な金を渡す)
その意味するところは明白だった。受け取ってしまえば――この一件は「金で清算された」という形になる。バートン家側が一度でもこれを受け取ってしまえば、後になって「もっと大きな構造的不正があった」と言い出すことははるかに難しくなる。「すでに解決済みの問題を、また蒸し返すのか」と批判されるからだ。
そこへ遅れて、ジョルジュとシャルロットが応接間に姿を見せた。父は、二つの箱に詰まった金貨と銀貨の量に、思わず目を見開いた。
「これは……」
ジョルジュの声には、安堵の色がわずかに混ざっていた。
「ラムズ、お前が、そこまで……」
その表情を見て、リデルは即座に理解した。
父は、受け入れようとしている。
ラムズの謝罪と、この莫大な金額に「これで一応の解決」という落としどころを見出そうとしているのだ。病に伏す身としては、これ以上の対立を望む余裕などないのだろう。
ジョルジュが、箱に手を伸ばしかけた。
「父上」
リデルの声が、静かに、しかし鋭く響いた。
その一言で、部屋の動きがすべて止まった。
リデルはラムズに向き直った。
「ラムズ、あなたの言い分は分かった。銀貨は受け取らせていただく。ただし――金貨を受け取ることはできない」




