表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/63

58話

三人の枢機卿の一人がポツリと口を開いた。

 

「これで念願の帝国本領への進出が、ようやく叶うっちゅうわけですな……」

 

呟くような言葉であったが、その声音には抑えきれない高揚感が滲み出ていた。

 

「ああ、その通りや」

 

別の枢機卿が、静かに熱を込めて後を継ぐ。

 

「これまであの頭の硬い本領貴族どもは、ワシらの中央情勢への介入を一貫して拒み続けてきおった。『宗教屋どもに帝都の政治まで口を挟ませるわけにはいかん』とな。どれほど莫大な資金を積み上げようが、どれほど信仰の名を借りようが、奴らは最後までワシらを警戒し、弾いてきたんや」

 

「しかし……!」

 

「そうや。その本領貴族の総元締めを帝室に代わり事実上担ってきたリガニア大公家が、外部勢力であるグランツに圧迫され、ついに自らワシらに助けを求めて頭を下げてきた。これで話の前提が丸ごと変わったんや」

 

三人の枢機卿は、示し合わせたように互いの顔を見合わせた。

 

「まさにその通りやで」

 

ゲオルクスが、低く地に響くような声で言った。

 

「あの誇り高きリガニアがワシらに救援を乞うたとなれば、他の本領貴族ども黙っちゃおらん。グランツの底知れぬ野心は、いまや全員が肌で感じて怯えとる。次は自分たちの領地が呑み込まれるかもしれん──そう悟った連中が、こぞってワシらに救済と支援を求めて駆け込んでくるはずや」

 

教皇は手にした葉巻を、灰皿の縁でゆっくりと押し揉み消した。

 

「ワシらは今や、正義の救世主として堂々と帝国本領へ攻め込めるんや!」

 

ゲオルクスは激しく立ち上がると、自らの膝を力任せに叩いた。

 

「こうしちゃいられん! すぐ動くで!」

 

一瞬にして部屋の空気が跳ね上がり、緊迫した熱気が充満する。

 

「ファテイム!」

 

ゲオルクスは一人目の枢機卿を鋭い眼光で見据えた。

 

「はっ!」

 

「都市国家連合の有力商家と銀行に片っ端から圧力をかけて、カネを限界までかき集めてこい! 上限なんか設けるな、動かせる資金は全部引っ張ってこい!」

 

「承知いたしました」

 

「ジラーモ!」

 

続いて二人目の枢機卿へ視線を飛ばす。

 

「はい、猊下」

 

「傭兵ギルドへ即座に要請を出して、雇える兵隊を片っ端からかき集めるんや。質より数やで! 数の圧迫感こそが、敵を恐怖させる最大の武器になる!」

 

「直ちに手配いたします」

 

「それと──」

 

ゲオルクスは、わずかに声を潜めて言葉を足した。

 

「イスタッドの連中とも交渉してこい。『ゾルベ旅団』の貸し出しについて、話をまとめるんや」

 

「報酬の条件や、価格の上限はいかがいたしましょか?」

 

「向こうの提示する言い値で即決せえ。一銭たりとも値切るなよ。ああいう血生臭い連中と金銭の額で揉めると、後で碌なことにならん。ここで気前よく金を出しておいた方が、後々の信頼と貸しにつながるんや」

 

「承知いたしました」

 

「レオール!」

 

最後に三人目の枢機卿へ指を突きつける。

 

「はっ!」

 

「お前は帝国本領に散らばる全教会支部へ指令を送れ。金と武器を配って回らせ、蜂起の準備を整えさせるんや」

 

「かしこまりました」

 

三人の枢機卿が力強く頷き、脱兎のごとく部屋を飛び出していく。

残されたゲオルクスはその場に仁王立ちし、両腕を天井へ向かって力強く広げた。

 

「さぁ──戦争や!!」

 

咆哮のような声が、豪華な大聖堂の室内に激しく響き渡る。

 

「待ちに待った、天下盗りの刻が来たで!!」

 

ゲオルクスの瞳には、業火のような情念が激しく燃え盛っていた。穏やかな好々爺の面影など、もはや微塵もない。その肉体の奥底に眠っていた醜悪で巨大な野望が、ついに完全に剥き出しとなっていた。

 

「悪逆なる悪魔の子、グランツ・ローズヴェル! そしてその腹心たる狡猾なる毒蛇、リデル・バートン! この二人の不敬者を討ち滅ぼすため、女神教聖母派は主なる女神アレクシエルの御名のもと、ここに聖戦を開始する!!」


───

 

大陸歴789年8月──。

グランツらがリガニア大公征伐を開始してから、すでに二ヶ月の歳月が経過していた。

猛将ジークト率いるリガニア騎士団の突撃を破って以降、ローズヴェル軍の進軍は驚くほど順調であった。本領貴族たちの抵抗はどこまでも散発的であり、組織立った陣形すら組まれることなく、グランツらの軍勢はほぼ無傷のままリガニア大公の本拠地の手前まで怒涛の勢いで肉薄していた。

一週間の十全な休養と補給の期間を経て、この日、全軍の主だった将校たちが巨大な本陣天幕へと集められた。

豪華な天幕の中には、名だたる将たちが整然と列をなしている。

司会を務める参謀部の一員が、掲げられた詳細な立体地図の前に立った。

 

「リデル様のご提案による一週間の全軍休養、および弾薬・物資の再補充は、各部隊において完璧に完了いたしました。フリンテの弾薬補充率は実に九割を超え、兵たちの疲労度も万全と言える水準まで回復しております」

 

参謀は、自信に満ち溢れた力強い声で言葉を続けた。

 

「グランツ様のご命令一つあれば、直ちにリガニア大公の本拠地を攻め落とし、攻略することが可能でございます。長きにわたるこの戦役の幕引きも、もはや目前に迫っております!」

 

天幕の中には、どこか緩やかで安堵に満ちた空気が漂っていた。

居並ぶ諸将の顔には、隠しきれない楽観の色が浮かんでいる。二ヶ月間におよぶ怒涛の快進撃、敵の不甲斐ない抵抗、そして目の前に迫った完全勝利。先の展開は、誰の目から見てもすでに決しているように思われた。

──その時であった。

天幕の外から、静寂を破る荒々しい足音が急速に近づいてきた。

肩で激しく息を切らせた伝令兵が、なりふり構わず陣幕の中へ飛び込んでくる。

 

「──急報! 緊急の報告にございます!」

 

一瞬にして、天幕内の楽観的な雰囲気が凍りついた。

 

「帝都ミッテルの北東方向より、本領貴族の重鎮たるラングレー公爵の大軍勢が、帝都を目指して急速に接近中との報告が入りました!」

 

誰からともなく、動揺の声が上がった。

 

「何だと……ラングレー公が動いたというか!?」

 

「それだけではございません!」

 

伝令兵は、乱れた息を整える間もなく言葉を叫び重ねた。

 

「敵は我が本国ローズヴェルと帝都を結ぶ西の主要補給線を完全に遮断せんとする動きを見せております! 同調して挙兵した本領貴族の連合軍が各所で殺到しており、すでに後方各地では激しい戦闘が勃発しております! 押し寄せる敵の総数、合わせておよそ八万を超えると推計されます!」

 

天幕の内部が、一瞬にして蜂の巣をつついたような怒号と騒然たる空気に包まれた。

 

「八万だと……!?」 

「帝都との補給路が断たれたというのか!?」 

「くそっ、このタイミングで挟撃してくる気か!」

 

そこへ間髪を容れず、汗に塗れた二人目の伝令兵がなだれ込んできた。

 

「前線の哨戒部隊より緊急報告! リガニア大公軍が本拠地の城門を開き、全軍をもって打って出る構えを見せております!」

 

「敵の規模は!?」

 

「当初の予測では二万程度と踏んでおりましたが、実際の動員数はその倍以上──四万の規模に達している模様です!」

 

一瞬、冷たい絶望の静寂が天幕内に落ちた。

そして次の瞬間、将たちの混乱は決定的なものとなって爆発した。

 

「前後に四万と八万……このままでは、夾撃される形になる……!」 

「補給線を絶たれれば、我々だけでなく本国ローズヴェルも危ないぞ!」 

「たった三万の我が軍で、計十二万の敵軍を如何にして防ぐというのだ!」 

「帝都を守る守備隊は何をしていたんだ!?」

 

将たちがそれぞれの焦燥と混乱を露わにし、天幕内が混沌に陥る中──。

リデル・バートンだけは、ただ一人静かに自らの席に座し続けていた。

次々と飛び込んでくる絶望的な報告の数々を、一つひとつ冷静に、まるで人ごとのように耳に傾けている。

その端正な表情には、何の動揺の影もなかった。

驚きも、焦燥も、死への恐怖すらそこには見当たらない。ただその双眸の奥底にだけは、すべてを最初から織り込み済みであったかのような、冷たく深い覚悟の光が昏く宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ