54話
ジークト・リガニアは、猛烈な突撃の最中に己のこれまでの歩みを振り返っていた。
長い軍歴であった。
最初の戦場は、二十二歳の時。領地の農民が起こした暴動だった。武器といえば鍬や棍棒といった粗末なものばかりで、彼はそれを容易く鎮圧した。次に対峙したのは、隣領の下級貴族による反乱だった。敵は弓矢を放ってきたが、ジークトの身体にかすることすらおこがましかった。
これまで、いつもそうだった。
放たれた矢が飛び交い、無数の槍が突き出され、時には強弩の太矢が襲いかかる。しかし、ジークトの持つ固有の戦闘スキルは、それら全ての脅威を些細なものへと変えた。彼の肉体は常人の何倍もの密度で駆動し、反射速度は極限まで跳ね上がる。痛みへの耐性も常軌を逸しており、多少の傷を負ったところでその剛力が衰えることは決してなかった。
だからこそ、彼は常に先頭に立った。最前線で部下たちを鼓舞し、敵陣を粉砕し続けた。
その生き方が、三十年近くも続いてきたのだ。
今回もまた、それまでと何ら変わらない戦いになるはずだった。
最初の斉射が浴びせられた時、ジークトはやはり最前頭を走っていた。
だが、その瞬間に響いた音が、これまでのものとは決定的に違っていた。
かつて聞いたどの強弩の風切り音よりも、遥かに重く、凄まじい爆音。
一瞬の違和感が脳裏をよぎったが、それが突撃の足を止める理由にはならなかった。
次の瞬間、右の太腿に凄まじい衝撃が走った。
戦闘スキルが瞬時に反応し、肉体への完全な貫通こそ防いだ。
しかし、その衝撃の質が違っていた。
これまでのいかなる攻撃でも経験したことのない、圧倒的な重さ。骨が、肉の内側から粉々に砕け散ったという生々しい感触が、明確に伝わってきた。
(こ、これは……何だ!?)
ジークトはその刹那に悟った。
この兵器は、これまでの飛び道具とは完全に異質な、未知の怪物であると。
ジークトが知る由もないことだが、その弾丸が持つ運動エネルギーは、これまで大陸最強の遠距離兵器とされてきた強弩の十倍以上に達していた。太腿の内側で骨が形を保てなくなるほどの衝撃を受けるのも、当然の理であった。
だが、その異変に気づいた時には、すでに全てが遅すぎた。
前方の防衛線から、容赦のない弾幕が押し寄せていた。
一発や二発ではない。途切れることなく、次々と死の礫が飛来する。
ジークトの前を駆けていた部下が崩れ落ち、隣の騎士が落馬し、その向こうの戦友もまた撃ち抜かれた。軍馬が激しく転倒し、投げ出された騎手たちは地面に叩きつけられ、二度と動かなくなる。
無敵を誇った五百騎の精鋭たちが、敵の柵に指一本触れることもできないまま、またたく間に壊滅していった。
ジークトは全身に無数の被弾を繰り返しながらも、なお執念だけで前へ進もうとした。
しかし、全身にくまなく当たった弾丸が三十発目を数えたその時、彼の戦闘スキルはついに限界を迎えた。
体中の力が抜け、激しく前のめりに倒れ込む。顔面を打った地面の冷たさが、頬を通じて伝わってきた。
──こんなところで、終わるのか。私には愚兄を排除し、リガニアを導く使命が───。
そう思い耽るのと同時に、彼の意識は深い闇の底へと遠ざかっていった。
───
丘の上から、グランツはその惨劇を静かに見下ろしていた。
その口元には、滅多に見せることのない歪な形が刻まれていた。
それは笑みであった。しかし、いつもの静かで穏やかなそれではなく、どこか冷酷で、何か別の得体の知れない感情が混ざり合っているようだった。
「……凄まじいものですね」
傍らに控える側近が、あまりの光景に絶句しながら声を絞り出した。
「あれほどの名声を轟かせていたリガニア騎士団を、正面からこうも呆気なく……。フリンテの威力というのは、本当に、恐ろしいものです」
「威力もさることながら」
グランツは、蹂躙されていく戦場から頑なに視線を外さなかった。
「あの兵器の真価は、そこではないな」
「と、申しますと……?」
グランツはそれ以上言葉を返さなかった。
ただ、内心で自らの思考を紡ぎ続けていた。
(フリンテの本当の価値は、破壊力の大きさなどではない)
弓矢を引くには強靭な体格が必要とされる。弩にしても、弦を引き絞るための相応の筋力が求められる。槍や剣を扱うとなれば、当然ながら長年の鍛錬に裏打ちされた体力と技術が不可欠だ。だからこそ、一人の強力な兵士を育てるには膨大な時間がかかる。恵まれた体躯を持つ者を選別し、何年もの歳月を費やして鍛え上げねばならなかった。
だが、フリンテは決定的に異なる。
構えて、狙いを定め、引き金を引く。必要な動作はそれだけだ。成人男性である必要もなければ、優れた体格である必要もない。数週間ほどの訓練さえ施せば、誰であっても基礎的な運用方法を身につけることができる。
これが意味する本質は何か。
これまで「戦力」として数えることすらできなかった人間が、一瞬にして兵士になれるということだ。小柄な者、力の弱い者、女子供や老人まで──そういった人々であっても、フリンテをその手に握れば、戦場で一級の戦力として戦うことができる。
そして、何よりも決定的なのは。
特別な能力、スキルを持たない「平凡な人間」が、選ばれた「スキル持ちの強者」を討ち倒せるという事実だ。
これまで、連合帝国の力の根幹は間違いなくスキルであった。スキルを授かった者こそが戦場の中心に立ち、権力の中枢を担ってきた。リガニア騎士団はその最たる典型である。彼らは確かに最強であった。しかし今日、その輝かしい強さは一時間と保たずに瓦解した。
スキル保持者を絶対的な存在として君臨させてきた世界の前提が、今日、この瞬間を以て完全に崩壊したのだ。
(なるほど、リデルの奴がこの兵器に執着するわけだ)
グランツは、静かに胸中で確信していた。
「グランツ様」
「何だ」
「戦後処理の指示は、どのようにいたしましょう」
「生存者を見つけ次第、降伏を促せ。受け入れた者には傷の手当てをしてやるんだ」
「はっ」
「それから」
グランツは、ようやく凄惨な戦場から視線を外した。
「ここはお前らに任せる。あちらへは【増援】を向かわせておいたが、やはり心配だからな」
───
同じ頃、リデルは輜重段列の脇に馬を止め、じっと佇んでいた。
その内心の波立ちは、外見の静けさとは大きくかけ離れていた。
表面上は極めて落ち着き払っているように見え、周囲の兵たちの目には、いつも通りに書類を確認しながら段列の指揮管理を行っているように映っているはずであった。
だが、その内側は違っていた。
実際に前線に近い戦場へ立つのは、本当に久々のことであったからだ。リヴィル領での戦い以来、ヴェーデル事変、ローズヴェル内紛と軍事行動自体は絶え間なく続いていたものの、リデル自身が直接的な戦闘の渦中に巻き込まれる局面はほとんどなかった。大半の時間を、安全な後方から全体を指揮する立場として過ごしてきたのだ。
しかし今日は、明確に異なる予感を抱いていた。
──リヒトという男は、必ずこの輜重を狙ってくる。
それは、確信に近い読みであった。
ジークトの正面突撃が単なる陽動であり、本命が別にあることは明白だ。連合軍の防衛線の弱点を的確に分析できる人間であれば、この輜重段列を狙うという選択肢は必然的に浮かび上がる。そして、マルシアの軍を相手に長期間にわたる過酷なゲリラ戦を戦い抜いたあの男であれば、それを実行に移すだけの能力も十分に持ち合わせている。
だからこそ、リデルは小部隊による相互索敵網を事前に構築させていたのだ。
各部隊に『念信』のスキル保持者を配置し、敵を発見した瞬間にその情報をリアルタイムで全体へ共有する。網を広く張り巡らせ、確実に獲物を引っかける。
そして見つけたその時には、自分自身が部隊を直接率いて叩き潰す算段であった。
(久しぶりに、槍働きでもするか)
そんな風に考えていた。正直に言えば、少しばかり胸の高鳴りさえ覚えていたのだ。高潔で有能な「騎士の中の騎士」と謳われた強敵と、直接刃を交えることができるかもしれない機会を。
その時、激しい馬の蹄音が近づいてきた。
同時に、誰かの叫び声が響く。
リデルは即座に手綱を引き絞り、身構えた。
しかし、それは敵襲を報せる悲鳴ではなかった。
「ヴェーデル騎士団です! 味方にございます!」
その声を聞き、リデルは張り詰めた手綱を緩めた。
やってきたのはミナであった。
ヴェーデル騎士団が、整然と隊列を組んで接近してくる。馬上からミナが、軽く手を挙げた。
「リデル殿、ご無事でしたか」
リデルは自らの馬をそちらへ寄せながら、不審そうに眉を上げた。
「ミナ、お前たちはグランツ様の護衛任務についていたはずではなかったか? 前方で激しい戦闘が始まっていたのではないのか」
「ありましたよ」
ミナは、至って淡々と応じた。
「リガニア騎士団が突撃を仕掛けてきました。五百騎総員で、正面から真っ直ぐに」
「それで、どうなった」
「我が方のフリンテによる射撃戦で応戦いたしました。騎士団は、防衛線の柵に辿り着くことすらできませんでした」
「そうか」
リデルは、それが当たり前の結果であるかのように、特に驚きもしなかった。
「グランツ様はどうされた」
「グランツ様から直々に指示が下ったのです。『こちらはもうすぐ片付く。リデルの元へ向かって、手伝ってやれ』と」
リデルは、少しの間、言葉を失って沈黙した。
「……正直に申し上げれば」
ミナの凛とした表情が、わずかに陰りを見せた。
「あれは戦闘というより、ほぼ一方的な虐殺でした。彼らは敵ながら実に見事な、勇敢なる騎士たちでした。ですが、あまりにも相手が悪すぎた。フリンテの猛火を前に、高潔な騎士団がただ蹂躙されていく光景は、同じ騎士団を率いる者として、決して気分の良いものではありませんでした」
「そうか」
リデルは、彼女の言葉を静かに受け止めた。
「安心しろ。俺はお前たちを、そのような使い方をするつもりはない」
「と、仰いますと?」
「騎士団の本当に果たすべき役割は、別のところにある。今日のような、ただの標的にするような戦い方をさせるつもりはないという意味だ」
ミナは得心がいったように、小さく頷いた。
(まったく、グランツのお節介も度が過ぎるな……)
リデルは内心で不満を呟いた。
グランツの意図自体は十分に理解できた。万が一、リデルの身に危険が及んだ際の確実な保険として、最強の武力であるミナを寄越したのだ。だが、この場にヴェーデル騎士団が到着したということは、後方に巨大な増援が存在するという情報がリヒト側に露見してしまうリスクを孕んでいる。せっかく緻密に張り巡らせた索敵網に、余計な変動要素が加わってしまった。
(せっかく、俺の手で片付けようと思っていたのに)
その時、リデルのいる主力に『念信』で繋がっていた索敵部隊から、緊急の連絡が滑り込んできた。
「リデル様!」
前方から声が上がった。
索敵部隊の一名が、猛烈に馬を飛ばしてこちらへ近づいてくる。
「敵の位置は判明したか」
「それが……」
報告に走ってきた兵の表情には、緊張ではなく、どこか奇妙な「困惑」の色が浮かんでいた。
「敵の部隊が……白旗を掲げております」
「……何だと?」
「こちらに向かって、白旗を持ったまま、ただ静かに歩いてきております。完全に降伏の意志を示しているようでして……」
リデルはしばらくの間、微動だにせず固まっていた。
「……白旗、だと」
「はい」
「リヒト本人が、か」
「はい。先頭で白旗を手に掲げている男は、確かにそう名乗っているとのことにございます」
リデルは、ただ唖然とするほかなかった。
久々に戦場へ立つことで、自身の内側で心地よく昂ぶっていた熱い感情が、静かに、そして急速に霧散していくのを感じていた。
「……そうか」
それ以上の言葉が、どうしても紡げなかった。
かたわらにいたミナが、リデルの様子を見て、その口元に微かな笑みを漏らした。
「何だか、随分と拍子抜けな結末になってしまいましたね」
「そうだな……」
リデルは馬上で、深く、大きな溜息を吐き出した。
「まあいい。血が流れないに越したことはない。降伏した兵たちは丁重に扱い、拘束しろ。──それと、リヒト本人は、即座に私の前へ召し出せ」




