45話
グランツは、整然と並び立つ四人の姿を静かに見渡してから、厳かに口を開いた。
「バートン伯爵家の此度の戦役における功績について、改めてこの場で私の評価を伝える」
その一言で、天幕の中の空気が一瞬にして張り詰めた。
「バートン伯爵軍は、総兵力においては今回参戦した諸勢力の中でも小勢であった。しかし、その小勢たる特性を最大限に活かし、敵の後方を縦横無尽に揺さぶり続けたのだ」
グランツは手元の地図に視線を落とすことなく、真っ直ぐにジョルジュたちを見据えて言葉を紡ぐ。
「ドブル郡の陥落においては、バートン軍による見事な後方撹乱によって守備隊の注意が分散し、それがヴィステル軍の猛攻を成功させる前提を作り上げた。大司教軍を壊走に追い込んだ一戦についても同様である。──そして何より」
グランツは、そこで劇的な効果をもたらすかのように一度だけ間を置いた。
「単独で、ブルンテへと続く要衝の守備隊を丸ごと調略してみせた。武力を用いることなく、敵の兵力を我が方へと引き入れたのだ。この一事をもって、今回の戦役の早期終結は決定的となった」
天幕の中に、確かな重みを持った沈黙が降りていく。
「これは、紛れもなく此度の戦役における『第一の武勲』である」
ジョルジュは、わずかに身を正して背筋を伸ばした。
「ゆえに、その多大なる功績への恩賞として、ブルンテの所領をバートン家に安堵する。また、バートン伯爵家の爵位を侯爵へと昇格させることを、ここに正式に布告する」
「……!」
ジョルジュは一瞬、あまりの破格の待遇に言葉を失った。
それから、震える身を律するように深く、深く頭を下げた。
「……恐れながら、このような身に私る破格の御沙汰を賜り、万感胸に迫り言葉もございません。我が家一同、これからも粉骨砕身、グランツ様のお役に立てるよう一層邁進いたす所存にございます」
「うむ」
グランツは満足げに頷くと、さらに言葉を重ねた。
「それと、バートン軍の中で特に目覚ましい働きを見せた個々の者たちについても、この場で触れておこう」
その冷徹な視線が、まずはラムズへと向けられた。
「ラムズ・ドーヴィル。此度の戦役において、ジョルジュに代わり軍の実質的な総指揮を担ったな。小勢の部隊を額面以上の戦力として機能させるには、指揮官の質がすべてを決める。その点において、お前の手腕は申し分なきものであった」
ラムズは、無表情のまま深く頭を下げた。その顔に目立った感情の揺れはなかったが、双眸の奥底には静かに燃える何かが光っていた。
「ドズレ・ドーヴィル」
グランツの視線が、その長男へと移る。
「戦闘スキル『剛力』を有するお前は、此度の数多の局地戦において、単騎で敵兵を圧倒し続けた。武人として、じつに確かな実力を見せてもらったぞ」
ドズレは驚きを隠せない表情のまま、慌てて頭を下げた。
「そして──キリル・ドーヴィル」
グランツは最後に、末子へと視線を据えた。
「要衝守備隊の調略において、核心的な役割を果たしたのはお前だな。他者の感情と思惑を読み解くと言われる『観察眼』のスキル、決して伊達ではなかったというわけだ」
キリルは静かに頭を下げた。その端正な顔立ちには、いまだ何の感情も浮かんではいなかった。
「バートン伯爵家──いや、これからはバートン侯爵家か」
グランツは、再びジョルジュに向き直って微笑んだ。
「良き家臣たちに恵まれたな。お前の家の未来は安泰だ」
「恐れ入ります。すべては、彼らの尽力あってこそのバートン家にございます」
「謙遜するな」
ここでグランツは、ふっと表情を引き締め、少しだけ間を置いた。
「ただ──だからこそ一つ、私には懸念がある」
「懸念、にございますか」
天幕の中の空気が、微かにピリリと張り詰めた。
「侯爵家へと格が上がった以上、家の継承問題は盤石であるべきだ。だが現状のお前の家では、万が一の事態が起きた際、家臣団が一つにまとまらない可能性がある」
グランツは、キリルの姿を一度だけ意味深に見つめた。
「そこで、私から一つ提案があるのだが」
「はっ、何なりとお命じください」
「キリルをバートン家の養子とし、次期後継者とするのはどうか。見たところ彼は若いながら秀才肌であり、調略の実績もある。次代の家政を担う人材として、これ以上なく申し分ないと私は見ている」
そしてグランツは、極めて自然な動作で、傍らに立つリデルへと視線を向けた。
「──どう思うかね、ヴェーデルの宰相殿?」
天幕の中にいる全員の視線が、一斉にリデルへと集まった。
リデルは、何一つ表情を変えることなく、ただ静然とそこに立っていた。
この提案の持つ真の意味は、あまりにも明白だった。キリルがバートン家に入れば、ドーヴィル家の人間が、実質的にバートン家を乗っ取る形で継承することになる。すなわち、リデルが将来的にバートン家へと戻る可能性は、これで事実上、完全に消滅することを意味していた。
グランツはその政治的影響をすべて理解した上で、あえてリデルに問いかけているのだ。
「──キリル殿のような有能極まる人材であれば、次期当主としてまさに適任かと存じます」
リデルは、感情の起伏を一切見せずに静かに答えた。
その声音に、一寸の迷いもなかった。
「家名を存続させるためには、実力ある者が跡を継ぐことこそが最善の道。今のバートン家には、それだけの手腕を持った人材が必要不可欠にございます」
グランツはリデルの顔をしばらくの間じっと見つめ、それから、満足したようにジョルジュへと向き直った。
「当主たるお前の意向はどうか」
ジョルジュは、そっとリデルを見た。
そこにあったのは、息子を哀れむような、あるいはその覚悟を察したような、複雑な父親の目であった。我が息子が何を考え、どうしてその言葉を口にしたのかを、彼はすでに理解していた。
ジョルジュはゆっくりと、しかし深く頷いた。
「グランツ様の有り難き御提案、謹んでお受けいたします。キリル殿を我がバートン家の養子として迎え入れることを、現当主としてここに承認いたします」
「よろしい」
グランツは力強く頷いた。
「では、この場を以てその旨を正式な決定事項とする」
天幕の中は、しんと静まり返っていた。
ジョルジュは、もう一度だけリデルへと視線を送った。
リデルもまた、その実父の視線を真っ向から受け止めた。
──そしてリデルは、自らの袖の中で、微かに拳を握りしめている自分自身の動揺に、内心で深く驚いていた。
───
祝勝会が催されている巨大な天幕の中は、賑やかさに包まれていた。
グランツに与して勝利を掴み取った貴族や将校たちが、勝利の美酒に酔いしれて杯を重ね、互いの武勇伝を語り合っては、地響きのような声を上げて笑っていた。底知れぬ熱気と興奮が、夜の冷たい空気を完全に満たしている。
リデルは、そんな狂騒の中心から少し離れた薄暗い壁際に、ぽつんと佇んでいた。
満たされた杯を片手に持ちながら、会場全体の様子を静かに眺める。だがその瞳は、楽しげな宴を見ているようでいて、その実、どこか遥か別の場所を見据えているかのようでもあった。
「──じつに呑気なものですな」
すぐ隣から、低く地を這うような声が聞こえた。
ラムズ・ドーヴィルであった。
いつの間にか、気配もなく音もなくリデルの真横に立ち尽くしていた。
「そうだな」
リデルは、視線を狂騒の正面に向けたまま、淡々と答えた。
「これで我が御国がグランツ陛下の下に一致団結したというのは、国家としては結構なことです。しかし──」
「ああ。それが必ずしも、この国に永続的な安寧をもたらすとは限らない」
リデルが、ラムズの言葉の先を冷徹に引き取った。
「支部とはいえ聖母派を武力で壊滅させた以上、本山にいるゲオルクス教皇がこのまま黙っているはずがない。教皇が本腰を入れて動けば、南部都市国家連合の情勢も大きく揺れ動くことになる。そして何よりグランツ様は、国内の基盤を引き締めた後、いまだ混乱の最中にある他の公国に対して必ず次なる打撃を打って出る御覚悟とみる」
「その通り。戦乱の火種が国内で燃え続けるか、あるいは国外へと向けられるか。……本質的な違いは、ただそれだけのことだ」
リデルは手にしていた杯を静かに口へと運んだ。
「まあ、激動の時代が続くというのは、お前にとっても決して悪い話ではあるまい?」
リデルは首だけを動かし、横目でラムズの横顔を睨み据えた。
「活躍の場が増えれば、それだけ立身出世の機会も増えるということだ。……今回、君の息子であるキリルを、我が実家のバートン家に見事養子としてねじ込むことができたようにな」
「そんな単純に手放しで喜べるような話ではありませんよ、宰相閣下」
ラムズは少し間を置いてから、自嘲気味に言葉を漏らした。
「キリルは、私が我がドーヴィル家の中でも最も将来を有望視していた子供の一人だ。謀略と情報戦の手練れとして、これから私の手で直々に、丁寧に育て上げるつもりでいたのだからな」
「それを?」
「身内であるはずの我が主君によって、実にあっさりとバートン家に強奪されてしまった」
ラムズは、一切の感情を削ぎ落とした冷淡な声でそう告げた。
「末恐ろしいお方だよ、我が陛下は。柔と剛、飴と鞭を巧みに織り交ぜながら、周囲の誰も気づかぬうちに、すべてを自分にとって最も都合の良い盤面へと作り替えていく」
「──全面的に同意するよ」
リデルは、手元の杯の中身を一口だけ喉へと流し込んだ。
「いつの時代も、名君というのは民にとっては有難いものだが、間近で仕える家臣にとっては、片時も心が休まらない厄介な存在だからな」
「まったくもって、その通りで」
ラムズはそう同意の言葉を口にすると、すっと自らの背後へと振り返った。
「せっかくの良き夜だ。閣下には、ここで改めて彼を紹介させていだきたい」
一人の若い男が、ラムズの影から音もなく前へと進み出てきた。
「我が最愛の息子にして──この度、閣下の『年上の義弟』となられました男だ。ご紹介しましょう、キリル・バートンです」
キリルはリデルの正面に立つと、迷いなく右手を真っ直ぐに差し出してきた。
一切の飾り気も、私計な躊躇もない、極めて洗練された動作であった。
リデルは、その差し出された手を静かに握り返した。
「──よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。義兄殿」
二人の握手は、驚くほど短く、そして冷ややかであった。
「君のような極めて有望な人材に、今後のバートン家を継いでもらえるのであれば、元・後継者としても安心して家の未来を委ねることができます」
リデルは、外交的な世辞を一つ投げかけた。
キリルはその世辞を正面から受け止めると、ふっと口元に不敵な笑みを浮かべた。
「身に余る光栄です」
一拍の静寂。
「──もっとも、私とて元々望んで手に入れた地位というわけではありませんでしたがね」
「そうか」
「ですが、一度任された以上は、完璧にやり遂げるつもりです」
キリルの据わった両眸が、至近距離からリデルの瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「これからは私の辣腕のもと、貴方がかつて率いておられた時期よりも、バートン家を遥かに大きく、強大にしてみせますよ」
それだけでは、自らの勝利宣言としてまだ足りないとでも言うかのように。
キリルは最後に、毒を孕んだ決定的な一言をリデルの耳元へと付け加えた。
「──『背天者』のリデル様?」
会場の喧騒と、勝鬨を上げる将兵たちの爆発的な笑い声が、二人の間で遠く響いていた。
リデルは、その侮蔑の言葉をその身に受けてなお、その鉄の仮面の如き表情を、微塵も動かすことはなかった。




