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43話

ローズヴェル公国、王城の一室。

夜は深く垂れ込め、窓の外には灯火一つない漆黒の闇が広がっていた。

フランク・ロングードは、椅子に深く腰掛けた姿勢のまま、正面に立つグランツの背中をじっと見つめていた。その無表情な顔は、相変わらず胸中を読み解くことを拒んでいたが、その双眸の奥底には、珍しく複雑な感情の光が滲み出ていた。

 

「……ご報告いたします」

 

フランクは、静かに、しかし決然と口を開いた。

 

「ヴェーデル公国における一連の暗殺工作──これらはすべて、ヴィステル卿とこの私が、独断で仕掛けた一件にございます」

 

グランツは、漆黒の闇に包まれた窓の外を見つめたまま、振り返ろうとはしなかった。

 

「暗殺組織『赤手組』の手引き、公王レイへの秘密裏の接触、そしてすべての罪を『女神教派』へと擦り付ける一連の画策。私はドンと共謀し、これを実行に執り行いました。──我が主たる陛下には、一切の事前報告も通じずに、です」

 

「……」

 

「いかなる御叱責も、厳罰も、甘んじて受け入れる所存です」

 

グランツは、フランクの告白を聞いてもなお、彫像のように身動き一つしなかった。

長い、張り詰めた沈黙が部屋の空間を支配する。

 

「──よくもまあ、私に一言の相談もなく勝手に動いてくれたものだな」

 

やがて、窓の外へと視線を据えたまま、グランツが低く言葉を紡ぎ出した。

その声は重々しかったが、激昂した怒声の類では決してなかった。

 

「罪を被せられたと知れば、女神教派の連中も黙ってはいまい。奴らは激しく反発し、総力を挙げて牙を剥いてくる。……結果として、このローズヴェルに多くの血が流れることになるぞ」

 

「はっ。その通りにございます」

 

フランクは、迷いなく答えた。

 

「すべては、織り込み済みの事態にございます」

 

「──すべてを承知の上で、あえて盤面を動かしたというわけか」

 

「しかり。すべては我々が引き起こした火種。そのすべての責任は、我々二人が背負う所存にございます」

 

フランクは胸の前で厳固に腕を組んだ。

 

「ですが陛下、今はただ『勝つこと』だけにその執念を注ぎ込んでいただきたい」

 

その声音には、宿命を受け入れた者特有の、強固なまでの意思が宿っていた。

 

「女神教派との全面対決は、今や絶対に回避できぬ段階へと突入いたしました。ならば、いかにして完璧に勝ちきるか──それだけを思考してください。泥臭い後始末の一切は、我々臣下が引き受けます」

 

グランツは、ようやく冷たい窓辺から視線を外した。

そして、静かに首を巡らせ、背後に控えるフランクを真っ直ぐに見つめた。

 

「……すべては、私のための独断、というわけか」

 

「……はっ」

 

「ならば、この私がお前たちを裁く理由など、どこにもないな」

 

フランクはそれ以上、自己弁護の言葉を重ねることはしなかった。

グランツは静まり返った室内を一度だけ見渡すと、小さく、深い息を吐き出した。

 

「しかし──。あの慎重極まるドンとお前が、両名揃ってここまで強引に事を急ぎ、戦端を開くとはな」

 

グランツの瞳に、どこか愉しげな、面白がるような光が灯った。

 

「──よほど恐ろしいのかね。あの、リデル・バートンという少年が」

 

フランクは、ほんの一拍の沈黙を置いた。

 

「……陛下が、その器を直々に認められた怪物ゆえに」

 

短い、しかしそれだけで十分すぎる解答であった。それ以上の説明は不要だった。フランクのその一言に、彼らの抱く危惧のすべてが凝縮されていたからだ。

グランツはフランクの顔を見つめ、それから、静かに笑った。

その笑みは極めて小さく、微かなものであったが、彼は確かに、その口元を緩めていた。

 

「……相変わらず、正直な奴だな」

 

「……陛下こそ」

 

「何だ?」

 

「あのバートン伯爵家の少年に対し──微かな『恐怖』を抱いていらっしゃるように見受けられますが」

 

グランツはその問いかけに対して、肯定も否定も返さなかった。

ただ、再び静かに視線を窓の外の暗闇へと戻しただけだった。まるで、夜の静寂の向こうから迫りくる、目に見えぬ時代の足音を探り当てようとするかのように。

 

「──『大掃除』を始める」

 

「御意」

 

「流す血は、必要最小限の量に抑え込む。……全身全霊を以て、最短で決着を付けさせるぞ」

 

「はっ、御心のままに」

 

フランクは立ち上がり、我が主に深く一礼を捧げた。

いくつかの思考を巡らせながら部屋の扉へと足を運び、退室する直前で、一度だけ振り返って声をかけた。

 

「陛下」

 

「何だ?」

 

「──勝ちましょう。我々すべての、未来のために」

 

グランツは、その言葉にも答えを与えなかった。

眼前の敵が、国内の『女神教派』に留まるのか、あるいは──その遥か先にある『背天者』を指しているのか、彼自身の中でも未だ、明確な判断が下せていなかったからである。


───

 

ローズヴェル公国、第二都市ブルンテ。

公都から街道を東へと進むことおよそ三日、堅牢で古い石造りの城壁に囲まれた、歴史ある要衝都市である。この地にはかつて、ローズヴェル公国の前世代が建立した連合帝国最大の宗派──女神教【聖母派】の巨大な支部が置かれていた。そして同時に、先代ローズヴェル公王の長子であり、現体制への反旗を翻さんとするマクス・ローズヴェルの絶対的な支配地域でもあった。

そのブルンテの城内にある大広間には、異様な熱気と共に多くの人々が集結していた。

聖母派の司祭たちが、荘厳な装飾の施された法衣を身に纏って整然と列をなし、マクスを支持する重臣たちが、鈍い光を放つ重厚な甲冑を帯びて左右に並び立っている。さらに、彼らの資金源たる有力商人の代表や、現王政府に反感を持つ地方領主の使いたちが、それぞれの思惑を胸に広間の奥までびっしりと詰めかけていた。

壇上の最高位の座に、マクス・ローズヴェルが厳然たる足取りで姿を現した。

年齢は四十前後。先代の公王の面影を強く残す、どっしりとした頑強な体格の男であった。その顔には長年の政治闘争を生き抜いてきた年季が深く刻み込まれており、その双眸には、自らの正義に対する強い確信の色が宿っている。

 

「──一同、静粛に。皆に告げる儀がある」

 

マクスが重々しく声を放つと、騒がしかった大広間が一瞬にして水を打ったように静まり返った。

 

「此度、隣国ヴェーデル公国において発生した新宰相暗殺未遂事件。……あの地において、我が『女神教派』に向けられているすべての嫌疑は、全くもって卑劣なる濡れ衣である!」

 

息を呑むような緊迫した気配が、一瞬にして広間の全域へと伝播していく。

 

「これらはすべて、偽りの王グランツが、我が公国の全権を完全に掌握せんがために仕組んだ、極悪非道なる自作自演の謀略に他ならない! 暗殺組織『赤手組』を裏で動かしたのは奴ら王政府の人間だ! そして、その大罪のすべてを、目障りな我々へと強引に擦り付けたのだ!」

 

広間のあちこちから、激しい怒号とグランツ政権への罵声が沸き起こる。

 

「──そもそも!」

 

マクスは、さらに声を張り上げて賛同者の感情を煽り立てた。

 

「あのグランツとは、一体何者だ!? その不浄なる血筋の真実を、ここにいる皆はとうに知っているはずだ! 奴は歴史において『女神殺しの一族』と忌み嫌われてきた、卑しき呪われた血を引き継ぐ不届き者である! 栄光あるローズヴェル公王家の正当なる当主として、あのような呪われた存在が相応しいなどと、一体誰が心から信じることができようか!」

 

広間のボルテージは、最高潮へと達しようとしていた。

 

「この未曾有の戦乱の世を、国家が一心同体となって生き抜くため、我々はこれまで奴の専横を黙って見過ごしてきた! 塗炭の苦しみに耐え忍んできたのだ! だが──今回の我ら清廉な教徒を貶める暴挙ばかりは、断じて見過ごすわけにはいかない! ゆえに、我らは今こそ一致団結し、正義の鉄槌を下すべく立ち上がらねばならないのだ!」

 

法衣を纏った司祭たちが、互いに強く頷き合い、狂信的な光を瞳に宿す。

 

「──恐れることはない!」

 

マクスは、広間全体を震わせるほどの怒号を響かせた。

 

「大義名分は、完全に我らの側にある! 信仰がもたらす天上の力は、いかなる鋼の剣よりも強く、我らが擁する兵力においても、奴ら偽王の軍勢に決して劣るものではない!」

 

ここでマクスは、劇的な効果を狙って一度だけ言葉を区切った。広間に集まった群衆が、固唾を呑んで次の言葉を待つ。

 

「──そして何より!」

 

マクスの口から、決定的な一撃が放たれた。

 

「女神教聖母派・八千万信徒の頂点に君臨される最高権威──ゲオルクス教皇猊下が、我ら女神教派の挙兵に対し、全面的な支持と聖なる御加護を表明されたのだ!!」

 

地鳴りのような、凄まじい歓声が大広間の中に爆発的に響き渡った。

司祭たちが狂喜乱舞して立ち上がり、甲冑の重臣たちが天に向けて一斉に拳を突き上げる。抑えきれない興奮と戦意の熱気が、石造りの広間の空間を完全に支配していった。

マクスはその狂熱の渦の中心で、全軍の導火線に火を点ける決定的な一言を、全霊を込めて放った。

 

「──いざ、討たん!」

 

その声が、圧倒的な質量となって空間を圧殺する。

 

「──悪魔の子、グランツ・ローズヴェルとその一派を根絶やしにせよ!!」


───

 

かくして、ローズヴェルを揺るがす大規模な挙兵が現実のものとなった。

マクス・ローズヴェルが率いる女神教派の総軍勢は、おおよそ四万二千。旧家臣団の過半数以上を取り込み、各地から集結した膨大な数の女神教信徒が加わった、圧倒的な大軍であった。

対する現政権・グランツの陣営は、ロングード侯爵家、ヴィステル侯爵家、長年実直に仕えてきたバートン伯爵家を主軸とした、総勢二万九千。単純な数においては劣るものの、洗練された指揮系統と、極めて統制の取れた精鋭揃いの軍勢であった。

そして、この状況を最大限に利用すべく、隣国ヴェーデル公国もまた迅速に軍を動かした。

公王レイの名代として、そして新宰相リデル・バートンの絶対的な号令のもと、総勢三万に及ぶヴェーデルの正規軍が出陣。その幕下には、あの名門リヴァイア侯爵を筆頭に、公国を代表する数多くの有力貴族たちが名を連ねていた。

着任から僅か一ヶ月にも満たない短期間のうちに、ヴェーデルの重臣たちを、新宰相リデルの旗の下へと完全に集結させてみせたのだ。その驚くべき政治的手腕と厳然たる事実は、この大陸全土において、「リデル・バートン」という少年の台頭を内外に決定的に知らしめる、極めて鮮烈な事件となった。

 

後世の歴史書において【第一次(・・・)グランツ内紛】と記録されることになるこの戦役は、その動員規模を除けば、この血生臭い戦乱の世においては決して珍しくはない、いわゆる一つの「御家騒動」であり、各地で飽きもせず繰り返されてきた権力闘争の断片に過ぎなかった。

しかし──この戦いは、その開戦から、僅か「半月」というあまりにも異常な短期間で完全に終結したというその一点において、歴史の書に永劫に消えぬ鮮烈な足跡を刻み込むことになる。

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― 新着の感想 ―
これでリデルもドンやフランクに暗殺者差し向けた後にヴェーデル国内の赤手組を一掃するって大義名分を作れるな。 というか主君がこいつやべーって思ってる相手に殺意向けて無事でいられると思ってるのかね。 リデ…
いつの世も政教分離は大事。
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