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28話

使者が再びバートン領を訪れたのは、リデルが公都から帰還して十日が過ぎた頃のことであった。

今回やってきたのは、前回の物々しい一団よりも遥かに格式高い、公国公式の厳かな行列であった。先触れの騎馬が領内に駆け込み、バートン邸の「会合の間」には、当主ジョルジュをはじめ、ラムズ、ガルヴェ、テレンスといった家中の主だった重臣たちが漏れなく顔を揃えていた。

室内に満ちる空気は、例外なく硬く張り詰めていた。

誰もが、押し潰されそうな表情を浮かべている。

リデルからは、事前に公館での一部始終を聞かされていた。廃嫡、そして領地追放──。それがリデル自身から提案した苦肉の策だと知らされた時、ジョルジュは激しく咳き込み、それからしばらくは魂が抜けたように何も言葉を発せなかった。母シャルロットは人目をはばからずに涙を流し、家臣団は困惑で色めき立った。

それでも、正式な沙汰が下るまでは希望を捨てまいと、一同は固唾をのんでこの日を待っていたのだ。

やがて、厳粛な面持ちの使者が、懐から一通の書状を取り出した。

 

「ローズヴェル公グランツ閣下より、バートン伯爵家への公式なる沙汰を伝達いたします」

 

静まり返った部屋に、冷徹な読み上げの声が響き渡った。

その宣告は、あまりにも短かった。

──バートン伯爵家嫡子リデル・バートンを、事前の許可なき命令違反の咎により廃嫡とし、本日をもってバートン伯爵領からの追放を命ずる。以上である。

会合の間が、水を打ったように静まり返った。

 

「……っ」

 

ジョルジュは微動だにせず、ただ卓上に置かれた書状を凝視していた。その震える両手が、椅子の肘掛けを白くなるほど強く掴んでいた。

 

「──このような理不尽、断じて認められん!」

 

沈黙を破りガルヴェが凄まじい勢いで立ち上がった。激昂のあまり、その顔は真っ赤に染まっている。

 

「あれほどの前代未聞の武功を立て、ローズヴェルを救った英雄に対して、廃嫡と追放だと!? あんまりだ……あまりにも不当極まる!」

 

「ガルヴェ殿の言う通りです。この判決はあまりに卑劣だ」

 

テレンスもまた、普段の冷静さを失って声を荒らげた。

 

「ジョルジュ様、今すぐ直接公都へ出向き、公王閣下へ直訴の嘆願を行うべきです! もしそれでもこの不当な沙汰が覆らぬというのであれば……我がバートン家は、ローズヴェル公国との臣従関係を根本から見直すことも辞すべきではない!」

 

「──それはつまり、公国に対する『反乱』も辞さぬ、ということか」

 

誰かが、地を這うような低い声で言葉を継いだ。

その過激な一言に、会合の間は一気に沸き立ち、不穏な熱気に包まれる。

 

「皆、落ち着け」

 

その時、リデルが至って静かに口を開いた。

一瞬にして、室内のすべての視線が十三歳の少年に集まる。

 

「しかし、リデル……!」

 

「父上、ここで感情に任せて反乱など起こせば、それこそバートン家は完全に破滅いたします。それは私の最も望まない結果です」

 

ジョルジュは、愛息の真っ直ぐな瞳を見つめた。その目の奥には、狂気とも思える冷静さがあり、何事かを父に問いかけているようだった。

リデルは父の視線を受け止めつつも、それ以上は語らず、正面の使者へと向き直った。

 

「使者殿。公王閣下からの沙汰はこれですべてですか? 他に、我々に伝えるべき伝言などはございませんか」

 

使者はリデルの堂々たる態度に気圧されたように、わずかに視線を泳がせた。

 

「……ございます」

 

「では、続けてください」

 

使者は再び懐に手を入れ、もう一通の別の書状を取り出した。

驚くべきことに、その書状に施された封蝋の紋章は、先ほどのローズヴェル公国のものではなかった。室内の重臣たちが、一斉に怪訝そうに眉をひそめる。

 

「こちらは──ヴェーデル公国より我が主君を通じて届けられた、公式なる親書にございます」

 

「ヴェーデルだと?」

 

ガルヴェが、あからさまに訝しげな声を上げた。

 

「先日の戦役で、公王ロイ・ヴェーデルは退位に追い込まれたはず。一体誰からの親書だ」

 

「はい。現在のヴェーデル公国は、ロイ様のご子息であるレイ・ヴェーデル様が新たな公王として家督を継がれております」

 

レイ・ヴェーデル。前公王の長子でありながら、父親に輪をかけて凡庸であると周囲から酷評されていた、まだ二十歳そこそこの若者だ。戦後は事実上、ローズヴェル公国の言いなりとなり、ただ家名だけを保っている傀儡に過ぎないという噂だった。

 

「何故ヴェーデルが、我がバートン家に親書を」

 

「正確には、バートン家宛てではなく──リデル・バートン様個人に宛てられた、親書にございます」

 

家臣たちは互いに顔を見合わせ、戸惑いを隠せない。

使者は姿勢を正し、二通目の書状を厳かに読み上げ始めた。

その内容が室内に響くにつれ、重臣たちの表情は驚愕へと変わっていく。

読み上げが完全に終わった後、会合の間には、先ほどとは全く性質の異なる、奇妙な沈黙がどさりと落ちていた。

 

「……公国、宰相……」

 

テレンスが、喉の奥から絞り出すようにその役職を呟いた。

 

「ヴェーデル公国の大政を預かる宰相の座を、リデル様に……。そして、それに伴う『侯爵』の爵位を授与する、と……?」

 

もはや、誰もが言葉を失っていた。

リデルは差し出されたその親書を、至って静かに受け取り、その理知的な目で一通り目を通した。

 

「使者殿」

 

「は、はい」

 

「ご苦労様です。返書はすぐにしたためるゆえ、申し訳ないがしばらく待合室で控えていてください」

 

使者は深く一礼し、嵐の去ったような部屋から足早に退室していった。

重厚な扉が閉まった瞬間、会合の間は堰を切ったような喧騒に包まれた。


「リデル、これは一体どういうことだ……!」

 

「父上」

 

リデルは騒ぎ立てる家臣たちを片手で制し、真っ直ぐに父を見つめた。

 

「バートン家からの廃嫡と領地追放の沙汰、そして隣国からの宰相就任の打診と侯爵号。……一日で地獄と天国を味わった気分です」

 

少年はそう言って、悪戯が成功したかのようにわずかに唇を歪めて笑った。


「……お前というやつは」

 

ジョルジュは、我が子の底知れない顔を凝視した。

 

「最初から、こうなる結末が分かっていたのか?」

 

「半分くらいは、予測の範疇にございました」

 

リデルは、飾らずに正直な事実を告げた。

 

「残りの半分は、向こうの出方次第でしたが、どうやら私は、賭けに勝ったようです」

 

再び、会合の間に静謐な時間が流れ始めた。

しかし、先ほどまでの絶望的な暗さはそこにはない。廃嫡と追放、そして隣国の宰相と侯爵号。この一見すると極端な二つの事象が並んだ瞬間、それが公王グランツとリデルの間で交わされた、常人には理解し得ない『政治的取引』であるという事実が、重臣たちの頭脳にも徐々に染み渡っていったからだ。

テレンスが、感嘆の息を漏らしながら最初に口を開いた。

 

「……隣国の宰相、そして侯爵ともなれば、それは我がバートン伯爵家の家格を遥かに超越する大出世にございます」

 

「リデル様個人としての、あまりにも破格の栄達。しかし……」

 

文官はそこで言葉を区切り、ガルヴェの方を見た。

ガルヴェが腕を組み、重々しく頷く。

 

「先の戦役における神がかり的な武功も、元を正せばリデル様が個人で掴み取ったもの。であれば、その果実をリデル様個人が独占し、新たな地へと羽ばたくのは筋が通っている。……異論などあるはずもない。ただ──」

 

猛将はそこで言葉を濁し、寂しげにリデルを見つめた。

 

「ただ、リデル様という支柱を失えば、我がバートン家は……」

 

その一言に、彼の本音が、そして家臣団全員の共通の恐れが集約されていた。ガルヴェらしくない弱気な言葉であったが、誰一人としてそれを否定できなかった。

誰もが沈黙し、動けずにいた。

やがて、上座に座るジョルジュが、静かにその口を開いた。

 

「リデル」

 

その声は、いつもよりずっと低く、そして優しさに満ちていた。会合の席で家臣たちを統べる「伯爵当主」としての硬質な声ではなく、一人の不器用な「父親」としての私的な声音であった。

 

「親心としてはな」

 

ジョルジュは、愛おしそうに言葉を紡ぐ。

 

「お前に、何不自由なく安心してこの我が家を継がせてやりたかった。バートン家の正統なる跡取りとして、この領地を優しく守り、領民を養い、先祖代々受け継いできた大切な土地をまた次の代へと繋いでいく。……それだけが、父親として私が一番望んでいたささやかな願いだったのだ」

 

リデルは何も言わず、ただ静かに父の言葉に耳を傾けていた。

 

「だが」

 

ジョルジュは椅子の背から身を起こし、息子の顔を正面から真っ直ぐに見据えた。

 

「お前という存在は、元よりこの狭い一伯爵家という器に収まるような人間ではなかったのだな。お前が幼き日々より、その非凡さには薄々気づいてはいたが……こうして歴史の濁流が動き出してみれば、それが嫌というほどはっきりと分かる」

 

「父上……」

 

「公王グランツ様が、それほどの破格の手段を用いてまでお前に国家の未来を期待しているのだ。ならば、男としてその期待に全力で応えるべきだ」

 

ジョルジュはそこで一度言葉を切り、深く息を整えた。その目には、過去の後悔が滲んでいた。

 

「思い返せば──あの『天啓の儀』の日、神の祝福たるスキルを持たない『背天者』であると告げられたお前を前に……私は、絶望のあまりお前を半ば見捨てかけてしまった。本当のことを言えば、あの時の私は、異端となってしまった我が子をこれからどう扱えばいいのか、分からなくなって逃げていたのだ」

 

重臣たちの誰もが、当主の痛切な告白に口を挟むことはしなかった。

 

「それが、今となっては恥ずかしくてたまらない。お前をこれほどまでに誇りに思う今となっては、己の無能さがただただ恨めしい」

 

ジョルジュは自嘲気味に微笑み、しかし確かな慈愛を込めて、静かに言葉を結んだ。

 

「だからこそ、これが最後に、無能たる私にできる唯一の孝行だ。……我がバートン家という足枷を外し、お前を広い世界へ送り出すことがな」

 

会合の間が、しんと静まり返った。

リデルは、ただ黙って正面の父親を見つめ続けていた。

前世における「七十年の孤独な生涯」の中で、親という存在は、彼にとって常に冷酷で遠い存在に過ぎなかった。生まれながらに道具として冷徹に育てられ、都合よく使い捨てられた。愛情という概念は知識としては知っていたが、それを自分に無償で向けられた記憶など、ただの一度もなかった。

だが、目の前にいるこの実の父親は、明らかに違った。

政治的な才能の有無や、武人としての能力を見れば、決して傑出した男ではない。だが、このジョルジュという男が自分に注ぎ続けてくれたものは、冷酷な計算でも、貴族としての見栄でも、何かの利益のための利用でもなかった。

あの絶望に満ちた『天啓の儀』の時でさえも、彼は確かに大きく落胆はしたものの、その根底にある我が子への歪みのない情愛だけは、決して変わりはしなかった。

それだけは、前世の修羅場で極限まで磨き上げられたリデルの冷徹な目が、はっきりと見抜いていた紛れもない真実だった。

 

「──父上」

 

リデルは至って静かに、しかし胸の奥底からの響きを込めて言った。

 

「今日まで育てていただき、本当にありがとうございました」

 

言葉にすれば、それだけだった。

だが、その一言だけで、親子の間にはすべてが十分に伝わっていた。

ジョルジュは嬉しそうに、愛おしそうに、その目元を細めて深く頷いた。

ふと気づけば、会合の間の重い扉の外から、微かな衣擦れの音が聞こえた。母シャルロットが、居ても立ってもいられずに廊下で聞き耳を立てていたのだろう。リデルはその気配に気づき、口元を締める。

リデルは、この一年余りの激動の戦乱を共に駆け抜けてきた信頼すべき家臣たちの顔を、卓越しに一つひとつ見回した。誰もが、それぞれの複雑な寂しさと敬意を湛えた表情で、リデルの姿を目に焼き付けようとしていた。

そしてリデルは最後に、会合の間の最も端の席で、微動だにせず静かに座り続けていた一人の人物へと、明確な視線を向けた。

 

「──ラムズ」

 

その呼びかけに、ラムズ・ドーヴィルが、ゆっくりと老練な顔を上げた。

 

「少し、二人だけで腹を割って話したい。付き合ってくれるか」

 

刹那、会合の間にピリッとした微かな緊張感が走る。

ラムズはしばらくの間、じっとリデルの底知れない瞳を見つめ返した。その老いた眼光は、相変わらず底の知れない、老獪な凄みを帯びていた。

 

「……喜んでお受けいたしましょう」

 

老重臣は静かに、しかし確かな重みをもって、それだけを答えた。

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